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2024年08月14日

 1055 人間セミ




他にもテレビの裏側には、色々なエピソードがあります。
鉄塔での高所取材時、スタッフが本番終了までは無事でしたが、いざ降りる段になり、下を見た瞬間、高所恐怖症が走り、降りるに降りられなくなりました。
下から声をかけるにも、見向きもせずボンドで貼り付けたのではないか、と思われるくらいベッタリしがみ付き、ワナワナと震える姿は人間セミその物、お笑い番組のシーンのようで、笑ってしまいそうですが命にかかわる一大事。
救出作戦は大騒ぎになりました。
思い出したくない事件もあります。
雄巣鷹山日航機墜落事故。取材活動の帰社後、スタッフの食欲が進まず、落ち込みが激しかった事には参りました。
真夏の出来事、犠牲者と泣き崩れる遺族の姿が、あまりにも多過ぎ、山全体を覆う臭気と霊気中での取材。
規制線は無く、生々しい現場を見、精神的に受けたショックが大き過ぎたのです。
食べ物を見ても、衣服を焼き捨てても、風呂に何度入っても、あの臭気が鼻にこびり付き、色々なシーンが蘇って来るのです。
遺族の事を考えると生々しい事を書くと不謹慎ですが、何気なく見ると木の枝に肉片がぶら下がっていたり・・
本当にスタッフの脳の構造が破壊されかねないのです。
極力対話をし、冥福を祈り、元気をとり戻させる迄には、1カ月必要でした。
世の悲惨な出来事でも、いち早く正確に伝えるのがテレビマンの務め。
二度とあのような事故の起きない事を願うしかありません。
世の縮図を背負い、テレビマンは、今日も行く・・

 1054 冷凍人間?




テレビ界就職直後の昭和40年、晴海に新設された、零下30度という、冷凍倉庫取材に遭遇。
当時は冷蔵庫自体の普及率は低く、冷凍室付の冷蔵庫は未発売。
冷凍という言葉すらほとんど使われていませんでした。
冷凍倉庫自体も初めての開業で、大きな話題として取り上げられたのだ。
常夏の地で育ったひかるには、零下30度という世界は、かつて今まで生きて来た中では、とても考えられず、即座にコチコチの冷凍人間にされてしまう事しか頭に浮かんで来ません。
いよいよ本番になり、意地悪にも女性レポーターは奥の方へと入って行きます。
仕事なので、やらなければ、という意識はあるのですが、冷凍人間への拒否反応で足が竦み、何時でも逃げ出せるよう、入り口のノブに、しがみ付いているだけ。
本番が終ると、表へ飛び出すと同時に座り込み、二度とこのような仕事はやりたくない、と思いました。
周りからは、「テレビより、お前の恐怖に慄く顔が、一番面白かった」とからかわれ、今だに語り種。
氷や雪など、無縁の世界で育った人間が、冷凍倉庫へ入れ、と言われると冗談抜きに、どうしても浮かんで来るのは冷凍人間。
恐怖を感じ、拒否反応は間違いなく出て来ます。
もし皆さんが、これから乗る飛行機が間違いなく墜落する、と分かっていても乗らざるを得ない場合の事を想像すると、タラップを登る靴は、30キロにも感じるのではないだろうか。
ドアにしがみ付き、墜落寸前に飛び降りたい心境になるかと思います。
ひかるにとって、冷凍倉庫は、このような間違いなく死ぬのではないかと、恐怖を感じるところで、今だに零下30どという言葉は、身震いがするセリフ。
嫌な番組に冬の天気予報があります。
予報官が、「シベリアから零下30度の寒気団が南下し・・・・・・」
聞いただけで、金切り音が奥歯から後頭部へ引っ吊る感じがし、一晩中凍て付き、お願いだから、このセリフだけは絶対にやめてもらいたい.と思いますが、これは自分だけの問題ですので仕方がありません。
せめて、我が家のテレビだけは、このセリフを禁止用語とし、スピーカーから出ないよう、改造出来ないものかと考える、寒がりやの小心者。

1052 美顔人「ビガント」




そして、しかるべき国語として定め、教育にも取り入れ、外国にもアピール。
小中学生の女の子達が、大人に成った時、あの総称で呼ばれるような、素敵な女性に成りたいと、自分を磨き、実現出来た時、本当に、幸せを感じるのではないだろうか。
個人的な提案ですが、清らかで、品位のある、美しい心の素敵な女性、美顔人(ビガント)、と称したらいかがでしょうか。
発音は外国人にも、受けるかと思います。
思わず拍手喝采、乾杯! 乾杯! と言いたくなる、素敵な女性には、「ビガント!、ビガント!」 と賞賛しようではありませんか。
現実は、オバタリアンなる言葉が流行っており、残念至極。
もし、オバタリアンと呼ばれる行動があったとしたら、即、反省すべきではないだろうか。
日本女性として、ビガント姿。
子供達に、見せつけよう。
世界へ、見せつけよう。
オバタリアンと、呼ばれるな!
オバタリアンと、呼ばせるな!
オバタリアンと、さようなら!

1051 オバタリアン




現在、不愉快な言動ではあるが、オバタリアンが定着しています。
電車がホームに近づくと、周りをキョロキョロ、ソワソワ見、前の席が空くならともかく、所かまわず、空席を取らないと、人生が大損するかの如く、席を立つ人とぶつかり会いながらでも、席を確保する姿。
降りる流れに平気で逆らう姿。
娘時代は、そうでも無かったはずなのに、自分さえ良ければいいのか、と聞きたくなり、切符を買う時、乗り物に乗り込む時も品のない素行に度々会い、やはりオバタリアンだと認めざるを得ない場面に出会うのは事実である。
何も先んじたからとて、長生き出来る訳ではなし。
飛び抜けて幸せとも言えないだろう。
綺麗な衣装を纏い、化粧をしたとしても台無しで、悲しい限りだ。
おそらく、バーゲンやスーパーの限定品売り出し等で、早い者勝ちの行動が、何時の間にか身に染み付いているのであろう。
大売り出しは、直接財布に影響が出るのでやむを得ませんが、他での押しのけ、へし分け出る行動は今日限り止めて貰いたい。
娘が母親の行動を見て育ち、子孫末代まで引き継がれて行くのか、と思うと、空恐ろしくなります。
道徳や人生を教えるのは、親の努め。なまったれ親が事あるごとに学校を責めますが、学校は全ての子供を同一教科書で同じように教えます。
己の子の個性を一番知っている親が、その個性を後押しすることで、立派な人間に成るのです。
「子供は、親の背中を見て育つ!」
このままでは、どんな大人が出来上がるのだろうか。
因果応報は、巡り巡って来る。
苦労して育てあげた子供達に将来、オバタリアンと呼ばれ、平気でシルバーシートを占領する、大勢の娘さんが出来たのでは、皆さんが、結果的に辛い思いをするのでは無いだろうか。
娘よ! 貴方は、素敵な女性になれる!
決っして悪い点は、真似する事なかれ!
一歩引く、貴方の心美しい・・・
そして、女性は世の宝。
女性無しに世の中成り立たず、男女雇用機会均等法も出来、議員や管理職等、女性は、世の中を動かす大きな力となっています。
そして、所狭しと活躍する、素敵な女性が、大勢見られるようになって来たのも事実です。日本は、美を重んじる国柄。
昔の男尊女卑の悪習慣のせいなのか、素敵な女性に対する呼び方が見つかりません。
例えばアメリカでは、ナイスレディー、と呼ばれると、上品で素晴らしい女性、と言う事で、呼ばれた方も誇りに受け止めます。
辞書には、貴婦人、麗婦人という呼び方はありますが、普段、素直に呼ぶには、ゴロ合いが、あまり良くありません。
素敵な日本女性を表現する、大事な言葉が、近代化から、取り残されているように思われます。
これで良いのだろうか?
女性の社会進出が著しい昨今、公式な場所やパーティー等で、素敵な女性に乾杯、と言う気持ちを表現出来る、総称が必要ではないだろうか。
女性議員は、すぐにでも実現すべきで、実現の暁には、第1号の総称で呼ばれる事でしょう。

1050 障害者自立




しっかり自信をつけ、笑顔が戻った妹に、1番辛かったのは、何んだったんだと聞くと、体育の時間が1番辛かった。何度体育の時間がなくなればいい、と思ったことか、と小さな声での呟き。
島の広い運動場、友達が木登りをし、飛び回る姿、一人で見ているのは辛かった事だろう。
手術の傷跡が多く残る足を「よくも私の足、魚の腹わたを取るように、あっちこっち切り開いてくれたもんだ」と笑って言っていました。
東京での生活、銭湯へ行くしかありません。
傷跡の多く残る、麻痺した足を人前にさらす事は、辛かっただろうに・・・
耐えるしかなかったのです。
あれから何年か経った後、今度は、一級国家試験の更に上級、特級に挑戦するとの事で、ルートやパイ、微積分などの入り組んだ、ややこしい計算式を、どうしたら解けるのか教えて欲しい、と持ち込まれた。
特殊な電卓をプレゼントする。
問題は、どう考えても、大学卒業の学力を必要とした難問ばかりで、妹には不可能としか思えませんでした。
しかし、見事に合格、「電卓のおかげだった」と、お礼の連絡に、心から祝ってやりました。
あえて妹の事を記したのは、障害の有無に関係なく、平等に与えられた、この元気に打ち続ける鼓動がある限り、自身の置かれている立場や状況を正面から見つめ、
鼓動に負けない、強い心、唯一最良の道を選択して行けば、素晴らしい人生が送れるものと確信し、体の不自由な人達が、一人でも多く障害を乗り越え、社会の一員として胸を張り、堂々と生きて行って欲しい、と願うからである。
おそらく我が家は、福祉の光の届かない、日本南端の、最も貧しい家庭だったでしょう。
障害者と両親が、貧しさゆえ、2千キロという壁を乗り越えられず、会う事叶わぬ状況下、幸せを求め続けた、家族の絆、障害者の励みになれば、と・・・
最近、自分で決断し、実行する妹の姿を見る時、「この妹に幸多かれ・・」と祈る毎日。
妹は生涯、片足補装具で生きるしかありません。
補装具でも仕方ない、しっかり自分の人生を歩んで欲しい・・・
決っして忘れない、あの時の笑顔を。
「兄ちゃん! 私、給料袋、二つ貰えるように成ったのよ・・・」

1049 神さま・・・




片方の足でペダルをこぐ乗り方を必死に練習。
遊び盛りの姿を見、何んでこんな目に会うのか。
完全にマヒした足、妹は、いつも男の子のように、ズボンを履くしかありません。
他の女の子同様、スカートを履かせてやりたい・・
何んで、スカートが履けない体になったんだ!
何んで3歳の女の子が、杖をついて歩かなければならないんだ!
何んの罪も犯していないのに・・・
何んで幼い女の子に、過酷な試練を背負わせるんだ・・・
何んで、不公平な扱いをされなければならないのか・・・
神様がいるなら助けて欲しい・・・
妹のマヒした足を見るたび、動作を見るたび、涙が止まりませんでした。
ひかるより妹のほうが、悔しい思いを数千、数万倍した事でしょう。
不自由な体での行動範囲はわずが、車を自由に乗り回し、本当の足代わり、見聞きする喜びは、人生最大の喜びだった事でしょう。
免許取得から数年後、妹の友人から連絡があり、電話は通じるけど、部屋には来ないで欲しい。
来ても、絶対に、中に入れない、との事。
ひかるが電話をしても、同じ返事。
でも大事な時は、必ず相談をしてきたので、こんどのことは、たいした事はないだろう、とあまり心配はしませんでした。
数ヶ月経過後、妹が、縫製技能検定試験、国家試験に合格したので、祝ってやって欲しいと、友人からの連絡。
受験のため、部屋中問題を張り、教材などで、足の踏み場もなく、人を部屋に入れる状況でなかったとの事でした。
その内、母校の東京都身体障害者職業訓練校から、後輩達のため、週二日の実技指導と講義を引き受けて欲しい、と言われている、との相談。
10年以上もお世話になっている縫製制会社だけど、最悪の場合は、やめる事を覚悟し、講師の仕事を受けるべきだ、とアドバイス。
学校側からも縫製会社に口添えがあり、会社勤めと講師の仕事を両立。
一級縫製技能者、という事で、会社や得意先からも信頼され、サンプル品や高級品の縫製からサイズ直し、後輩達の指導、と忙しい日々を送っております。

1048 杖つく少女




やはり数年もの間、その一言が、忘れられなかったのでしょう。
「障害者が免許を取得する場合、東京都には奨励制度があるし、大丈夫だ」と説得すると、長期休暇が取れそうにもない、との事。
会社の方には、兄からお願いしよう。長年働き、休暇の目的もはっきりしている事だし、理解してもらえるはずだと。
妹は最後に、全ての段取りは、自分一人でやってみる、と言って納得しました。
数ヶ月後、「取れた! 免許が取れた!」と、弾んだ声で連絡があり、祝ってやりました。
よほど嬉しかったのでしょう。
無口で必要な事以外はしゃべらない、兄にすら一度も笑顔を見せなかった妹が、車庫入れで失敗した事や、S字カーブで踏み外した事など、笑顔でしゃべりまくっており、30年以上も背負って来た何かが吹っ切れた様子。
このきっかけが自信となり、妹の人生は大きく展開していきました。
車を購入、地方出身の同僚達と、お盆やお正月に友人の田舎へ同行。
色々な土地や人との出会いや、見聞あり。
車が本当の足代わりとなり、あっという間に、日本全国が行動範囲になったのです。
やっと走り回れる3歳時、「兄ちゃん、遊んでくれ」と、追いかけていた姿が、思い出されます。
突然、引き付けを起こす程の高熱にうなされ発病。
妹は自分の2本の足で、元気に歩いた記憶は無いでしょう。
小さな島には松葉杖とてなく、竹すらありません。
まっすぐな木を与えると、船の櫂を漕ぐようについて、「兄ちゃん、遊んでくれ」と、追いかけて来るようになりました。
負けず嫌いで意地っ張りな性格、擦り傷やアザだらけになりながらも、右手で自転車のサドルにしがみ付き、左手でハンドルを操作。

1047 乙女心




ひかる24歳。妹が上京するとの事。
友人、及び親戚がなく、優しい言葉をかけてくれる人も居ない、厳しい東京で生きて行けるのだろうか。
片方の足は完全に麻痺しており、パスポート持参。15歳の少女である。
しかし、妹は余り干渉されない東京で、ひっそり生活したかったのでしょう。
小さな島、偏見の中で育ち、生きる全て、唯一の頼りは、兄だったのでしょう。
幸いにも東京都の身体障害者職業訓練校へ入学、卒業後、訓練校の紹介で縫製会社へ就職。会社の寮へ入れました。
数年後、同業他社へ転職した同僚から、「今までより条件が良いので来ないか、との誘いに乗りたい」との件で、相談。
無計画で、衝動的な行動に、思いっ切り叱ってやりました。
元気な友達は、あっちこっち転職するかも知れない。お前は障害者なのだから、他人の真似事はするな! じっと我慢しろ! と。
妹は寂しそうな、そして芯から怒っている、射抜く眼差しで睨みつけているだけ。
まさか兄から身体障害者扱いされるとは、思っても見なかった事でしょう。
夢見る少女心のショックは大きく、お互い気まずい無言の一時があり、「帰る!」と一言残し、トコトコ出て行きました。
その後、数年間の音信不通があり、ひかるの方から連絡、「運転免許を取ったらどうだ」と持ちかけると、どうせ「障害者なのでしょ」と、蚊の泣くような小さな声での返事。

1046 火風




単純過ぎる答えの様ですが、登山者に、何んで山に登るのかと聞いたとしても、山が有るからだという答えの如く、岩と波がある限り、千年先も、1万年先も、只、「これしかない!」と繰り返す。
自然の摂理だったのです。
そして、台風が過ぎ去った翌日、父が畑を見回るのについて行きました。
大切に丹精込め、育て上げた作物は、揺さぶられ、薙ぎ倒されています。
うつろな眼差しで、何やらブツブツ呟き、根本に盛土する父の姿を見た時、哀れで、かわいそうに見え、反面、怒りを覚えました。
台風は、間違いなく毎年来る。近所の人達は、このような生活に見切りをつけ、歯が抜けるように、島から出ていく中、何んで父もそのような生活を求めないんだろうか。
この父は、馬鹿じゃなかろうか、と言いようのない失望感に襲われました。
しかし上京後、必死に生きる中で、父の本当の気持ちが、理解出来るようになったのです。
当時は、妹の小児マヒが治せるものと信じ、手術の為 、全財産を使い果たし、日々の生計を維持する事すら必死だったのでした。
台風に嫌という程痛めつけられようとも、島を出たくとも出れない。
引っ越しをする事など、とても考えられず、前にも行けず、後へも引けない、極限の状態にあり、ただ只、じっと時を過ごすしかない。
これしかない!
幼い頃抱いた失望感が無くなり、以後、立派な父に見えるようになりました。
また台風は、殆んど雨を伴いますが、子供の頃、雨のない、からっ風台風が襲いました。
台風通過後、しぶきで覆われた島全体が焼け野原の如く枯れてしまい、家畜はおろか、人間さえも生存が危ぶまれる状況。
もし、本土を雨を伴わない台風が襲った場合、しぶきは風に乗り、海岸線より数キロ内陸部まで運ばれ、枯れ野原化、膨大な塩害が出る事でしょう。
台風の雨は、しぶきを洗い流してくれる、人間や自然にとっては、大事な恵みの雨なのです。
この地方では、島全体を焦土と化す、からっ風台風は、ピーカジ(火風)と呼ばれ、大きな自然災害をもたらすものとして、恐れられています。

 1045 異様な音




人工的に作られた防波堤に叩きつける波は、30メートルものしぶきをあげ、音も想像出来るかと思いますが、大自然の熾烈な戦いは、えぐれた岩の横腹に、下からしゃくり上げる時、しぶきは粉末状に、前方へ飛び散るだけ。
搾り出れる音も、これまた想像も出来ない、炸裂、唸り声の異様な合体音。
巨大な鯨が、押し潰され、もがき苦しみ、訳の分からない、悲痛の叫び声を出している様にも聞こえます。
「ドキューン」 「ドズーン」、言葉では表現のしようがありません。
そして台風通過後、一面に油を流し込んだような穏やかな水平線。
嵐の前の静けさ、という諺がありますが、嵐の後の静けさの方が、はるかに静かです。
なぜ、あれだけ熾烈な戦いをするのか?
静かにしていればいいのに・・・
なぜ無意味な戦いをするのか?
普段は遊園地であり、色とりどりの熱帯魚達が見せてくれる、アニメの世界。
穏やかで、母のように優しい海が、何んで異様な音を出し、激しく、恐ろしい海に変わるのだろうか?
激しさと静寂さが目の前に繰り広げられる時、静と動、鬼の顔と母の顔。
この相反する変化に疑問を感じ、この二つの顔の持つ意味が、どうしても理解出来ませんでした。
しかし後日、過酷な試練を味わった時、自分なりの答えが出せたのです。
本当に苦しい時にとれる方法は、背を向けるか、前へ進むか、この二つしかないはずだ。
背を向ける事は簡単ですが、しゃにむに前へ進むしかない。「これしかない!」と、自身に確認出来た時、二つの顔に対し、自分なりの結論が出ました。
そうです。二つの顔には、何ら意味がなく、ただ、「これしかない!」

1044 難問




ひかるが中学生の頃、人生最大の難問にぶつかりました。
島の生活や子供達にとって、海は切っても切り離せない重要な存在。
都会の子供達が、公園や遊園地で遊ぶように、海と魚は、遊園地や動物園であり、熱帯魚と戯れ、遊んで育ちました。
しかし、一度台風が荒れ狂うと、恐ろしい海に変化します。
瞬間最大風速、70メートルの台風が暴れ狂った時の事を想像してみてください。
普段は、波と岩が何気なく、仲よく調和しており、さざ波が、えぐれた岩の横腹をくすぐり、今は、眠たいから、くすぐるのはやめてくれよ、と戯れているように見えますが、
一度台風が襲い暴れだす時、目の前に現れた姿は、凄まじいものでした。
木々は否応なしに揺さぶり、ねじ伏せられ、風雲は、摩擦のあまり、雷音稲妻と化し、
海は、怒涛のうねりを片時も休む事なく送り続け、攻撃の手を緩めません。
海鳴りは耳をつん裂き、雨は天から降らず、横から殴りつけ、風雲波は三つ巴となり、
巨大な洗濯機が渦巻き、暴走するが如く、自然の猛威を見せつけ、荒れ狂い、小さな島は恐れ慄き、震えているかのよう。
人間の存在は、あまりにも小さく、地面を這い、神とて何んら頼りになりません。
そして三つ巴となった風雲波の怒りの挑戦を受けて立つのもまた、大自然で、
どれ程痛めつけられようとも、負けるものか、と受けて立つのは、岩でした。

1043 VTR




ロケーションを多用した番組作り、ひかるにとって、それ自体は朝飯前の仕事だ。
並行して、大きな壁が目の前に立ちはだかったのである。
それは、VTRの問題だ。
当時日本では、アメリカアンペックス社のテープ幅2インチVTRが導入され、独占していた。
勿論、ローカル局では買えない代物で、キー局に5、6台納入されていたから、NHKも含め、国内には30台前後が導入されていたであろう。
なんといっても、目玉が飛び出る程の値段で、日本のメーカーでは、パテントなどがあって、真似の出来ない。
極めつけは、可搬型のVR3000という、旅行トランク大の機種で、アンペックス社とNASAが軍事偵察機搭載用に開発したという、当時の最先端技術が集約された機械だ。
キー局すら持てず、パビックという会社とひかるの八峯テレビしか持っていないため、ドラマロケやスタートしたVCM等で重宝されていた。
ひかるはこの機械で稼げば稼ぐほど、将来の後継機種を考えずにはいられなかった。
たぶん防衛庁やNHKも含め、国内には5台前後が導入されていたであろう。
このままいけば、日本の放送業界は、儲けの大半をごっそり、アメリカへ上納する事になる。
反米感情の激しいひかるにとって、とても許しておけるものではない。
早速立ちあがったが、とても一人の力で太刀打ち出来るようなものではない。
それこそ、死闘と呼ぶにふさわしい試練が待ち構えている。
しかしひかるは、3年をもって、日本からアメリカ製VTRの影を抹殺する。
そして、5年後には、日本のVTRが、全世界の放送局を独占したのである。
また、日本のVTRが軌道に乗るやいなや、「日本の野球中継を、アメリカ大リーグ野球中継に負けない番組にしたい」という話が、ひかるに持ち込まれた。
アメリカと聞くだけで、「やってやろうではないか!」と即座に行動開始。
やっと野球にスローVTRが一台導入された時期だと言うのに、一気にスローVTR6台を導入し、当時、誰もが想像出来ない番組を作り上げたのである。
現在の野球放送の原点を、あっと言う間に作り上げ、業界人のど肝を抜いたのである。

1042 熱意




どうせなら、半端でない覚悟を持って、一気に攻めよう、それしか道はない」 と説いたのである。
いや、間違いなく、説教だった。
あまりの熱意に社長は、反省をした。
飛び出した連中は、折あらば、更に社の弱体化をさせよう、取って代わるべく、虎視眈々と狙っている。
それに比べ、注目もされず、黙々と仕事をし、管理職の機会を与えられなかったこの男が、本気で社を憂い、例へどのような事があっても、最後まで残って踏ん張ると言い切る。
「飛び出したい人は、飛び出せ! 自分は最後まで残る、看板は俺がはずす!」と不動の姿を見せるひかるを見直したのである。
逞しく、一回りも二回りも大きく脱皮した姿で、全社員に号令を発したのである。
社長は、自分の人材登用が間違っていた・・と
そして最後に言った。
責任は、すべて社長である自分がとる、社長の采配すべて任せる、存分に暴れてみろ・・と
ひかるが思い切った、電光石火の行動が採れたのには、この暴走があったのだ。

1041 パスポートから解放




そして沖縄の本土復帰、パスポートを焼き捨てた時、本土の同期の連中と論争も出来る、ケンカも対等に出来る、と目に見えない鎖の呪縛から解放されたのである。
そんな事は多分、体験した人にしか分からない事であろう。
そんな時、窓外族から、社の中心へ戻るはめになったのだ。
そしてひかるは暴走した。今度はいい意味での暴走だ。
同期の連中は先に管理職として登用され、会社の経営にまで携わり、後輩達からは一目もニ目もおかれていた。
それが、徒党を組んで会社に反旗を翻したのである。
ひかるにとって、その行為は許せなかった。
今まで従いて来た後輩たち、女房子供もいるだろうに・・
自分の利益ばかり考えていいものか! と頭へ来たのである。
社の中心に座ると、ひかるは重役や社長を論破した。
そして社長には、三日三晩、いやと言われても追いかけ回し。
「取り巻く状況は最悪だ、しかし守りに回っていると、さらに社員は、歯が抜けるように引き抜かれていく、現在、3分の2の社員が残っているが、5割を切れば、なだれ現象になり、もう持たない。
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