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2024年08月11日

1007小さな寝息




米国の統治下、勿論、保険制度もなく手術や渡航滞在費等、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。
遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。
普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。
11歳の多感なひかる少年は、この大きな試練に家族が押しつぶされるのではないか、と不安に成り子供心にも明るく振る舞う。
無邪気な妹の遊び相手をするよう、心掛けたのでした。
そのうち小児マヒが伝染病でない事が分かり、明るさを取り戻して行ったのです。
9年後の昭和38年、ひかるは高校卒業と同時に東京へ出、魔法の箱、テレビを解明しようと決心。
経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は誰が考えても無理な相談。
心の内を父に相談すると「自分の思った通りやればいい・・」と一言。
しかし周りは大反対、年老いた両親と足の悪い妹を島に残し、なんで東京に出るんだ!
せめて沖縄本島位にしたらどうだ・・
無口な父は、ただ黙っているだけ・・
人間は一度不幸のどん底に落ちると後がなく、怖いものが無くなるのだろうか・・
これから先一家は離散、それぞれの幸せをコツコツと築き上げて行ったのです。

 1006 小児麻痺




ひかる11歳、妹が3歳の昭和29年夏。
父は漁へ出かけ、母は野良仕事。
やっと走りまわれるようになった、妹の遊び相手をしていると、元気がなくなり、そのうちグッタリ倒れてしまいました。
急いで母を呼び戻した頃には、泣き声一つ出す力さえなく、痙攣の合間に断続的にひきつけを起こす程の異常な高熱。
40度以上の高熱が続いているのだろうか。
火照った体は風呂上がり状で、体内はそれ以上の高温でしょう。
解熱剤なるもの、薬と呼べるものは何一つなく、助けを求めるにも近所には誰一人いません。
母は知恵熱やカゼ、普通の発熱でない事を咄嗟に感じ取っていたのでしょう。
取り乱し、「助けて欲しい!」と叫ぶその只事でない形相に、命に危険が迫っている事が感じられます。
次々と他界した、三人の子供達の事が脳裏をよぎっているのだろうか。
脈をとったまま、水!、水をくれ、との催促に冷たい井戸水を汲み続けました。
母は無我夢中で冷やし続け、その甲斐あったのか数時間続いた引き付けは、徐々に治まって行きましたが、あまりにも高熱が続いたせいなのか、後遺症が残り片方の足が完全にマイしてしまいました。
当時聞いた事も無かった小児マヒ、にかかったのです。
この嵐のような出来事が、これから先、一家に試練を背負わせる事となったのです。
島では見た事も聞いた事もない、初めての発病。
小児マヒに関する知識がなく、周りの子供達に伝染するのではないかと見られ、精神的には完全に隔離状態。
母は物の怪に取り憑かれたように祈祷師を回り、西の方角にある木が災いしている、と聞けば必死で切り押す。
父は直さなければ、手術をしなければ、金を作らなければ、と毎晩、財布を広げ、わずかばかりの、増えもしない金を数えるばかり。

 1005 3文字




情報の全くなかった島、電波など考えられなかった島で育った少年には、そんな望遠鏡が有るはずがない!
魔法使いにでも出来ないはずだ、と思えるのでした。
しかし、何度読み返しても5コマ漫画は同じ答えしか出してくれません。
以後、テレビの3文字は少年の脳裏に焼き付けられたのです。
どうしても映画が観たい・・
この映画が、家に居ながら観られる・・
だったらテレビを勉強してみたい・・
解明してみたい・・
何時の間にか、ひかるは5コマ漫画の世界へ夢を膨らませ、魔法の箱解明に人生を賭けてみたい、と行動を起こすのでした。
今考えると携帯やTVラジオもない電気もない南端孤島でどうやって白黒TV時代TV業界へ繋がるルートを検索できたのか不思議です。
二歳年長の先輩が蒲田の工学院へ入りカラーTV学科が出来たとの報に飛びついたのです。
当時4月10月入学、ひかるは5期生でしたから直後で、TBSフジテレビ資本折半企業第一期生入社出来たのです。
微かな情報、チャンス、藁をも縋る可能性に命を捨てる覚悟で臨む、上京時の地を這う生き様は無駄でなかった。結果昭和40年から40年間番組作り、元祖テレビマンが貫けました。
 

 1004 挑戦!TV界




昭和18年8月、八重山地区の黒島にひかる誕生。
出産設備や病院のない島、生まれた男の子を含め次々と3人が他界した後、3歳違いの長女に続く男子誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生、妹は高齢出産の子、特別可愛がられ幸せな五人家族でした。
小さな島には電気はなく、勿論、水道もありません。
情報と呼べるものは、特にありません。
飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。
ボウフラが湧き、瓶の首をコント叩き、潜った瞬間すくって飲む、ボウフラとの協同生活。
ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので子供の仕事と言われ、何の抵抗もなく毎日拭かされ、何度かホヤを割り叱られて育ちました。
サンゴ礁で出来た島では、岩だらけの合間に点在する、猫の額程の畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。
小学校高学年の頃には、島の貧しい生活に見切りを付け、石垣島や沖縄本島へと引っ越す家が多くなり複式学級制へと移行していきます。
そんな中でも、子供達にとって一番の楽しみは、夏休みや冬休みに12キロ離れた石垣島へ渡り、映画を見る事でした。
しかしひかるの家は特に貧しく、石垣島へ渡る船賃や映画代等とても考えられず、その日暮しの状況。
子供同士で映画のシーンや仕草の真似をしながら遊ぶ時が一番悔しく、どうしても仲間に入っていけません。
一度で良いから、映画が観たい・・・
お願いだから、映画を観せて欲しい・・・
きっと来年は映画を観せて貰える、と懸命に畑仕事を手伝う。
待ちに待った夏休み、しかし夏休みは日一日と過ぎ、夢は空しく消えて行きます。
必ず正月には観せる、と父が約束。
なお一層小さな体で両親を手伝いましたが、それでも夢は叶えられませんでした。
約束を守って欲しい・・・と無理に言い出せません。
親が一番辛いのは、子供心にも分かっています。
中学2年生の時でした・・・
マンガ本の片隅に、5コマ漫画でコタツに入りながら映画が観られる。
「これがテレビだ」と書いてありました。
目を疑い、もう一度読み直しましたが、何度読んでも同じ答え。
家に居ながら映画が観られる?
本当にそのような事が出来るのだろうか?
映画館の無い島、焼玉式エンジンのポンポン船で行き来する、別の島で上映される映画がこの家で観られるはずがない・・

 1003 貴重な財産




台風情報を一番先に捉える、日本南端の石垣島気象台で知られています。
南の島々は空から見下ろすと全てサンゴ礁で縁どられ、そこへ打ち寄せるさざ波は白くリング状に取り巻く。
鮮やかなコバルトブルーから、濃いネイビーブルーへと変化。
まばゆい紺碧、膨大な絵の具を流し込んだのではないか、とさえ思われる風光明媚な大自然が豊富に残されています。
またこの地区は郷土芸能の宝庫とも言われ、マタハーリヌ、チンダラカヌシャマヨー、と歌われる、沖縄県を代表する安里屋ユンタ等、数多くの民謡や踊りを生み、方言や風習等、貴重な財産として引き継がれ、サンゴの種類や規模の大きさ等でも世界屈指の群棲地として注目の的となっています。
現在、テレビは全国の家庭に入り込み生活の一部となっている事は言うまでもありません。
信じがたい事ですが、この地区は5万人もの人口を有するにも関わらず平成5年末迄、NHK以外の民放テレビの電波が届きませんでした。
沖縄本島迄450キロ、中継局が作れずテレビの最後の未開地でした。
60年前、この地区の周囲12キロ、人口二百数十人という小さな太平洋に浮かぶ琵琶湖程の島から、ひかる少年がテレビにロマンを求め、風呂敷包とパスポートを携え旅立ちました。
さて、どんな人生になるのでしょうか・・・

1002 埋蔵石油




60年を過ぎた今、やっと沖縄も少しは注目されるようになって来たのである。
沖縄本島より450キロ南、県2番目に大きな西表島、3番目に大きな石垣島を中心とした、19の島々からなる、八重山地区は、日本最南端、波照間島、および最西端、与那国島を有する、日本の最南西地区。
また、今は無人島ですが、以前はカツオ漁が盛んに行われた魚釣り島もこの地区にあり、海底にはかなりの石油が埋蔵されているとの、調査結果があり、中国、台湾も帰属を主張し、国際的にも関心が寄せられています。
西表島は起伏に富んだ山だらけ、人口二千人の島で、周囲75キロの90%以上が、マングローブや亜熱帯の原生林に覆われ、東洋のアマゾンと呼ばれる生まれたままの自然が残された日本最後の秘境の島である。
またこの島には、天然記念物の西表ヤマネコが生息。
この猫は、中国大陸と日本が陸続きだった大昔、この島の山に取り残され、そのまま生息しているという。
ヒョウ、ピューマ、チーターなどネコ科の元祖だという。
中国のパンダは世界的にも有名だが、それよりも貴重な動物が日本にも生息中という事である。
知床半島や釧路湿原等、日本でも世界遺産に登録されている所はあるが、まず一番目にこの西表島が自然世界遺産に登録されるべきではなかっただろうか。
国連環境問題等で環境大臣が、世界に誇れるネコ科の原種が日本に生息している事をアピールすれば、絶賛されるのではないだろうか。
隣りの石垣島は、沖縄県最高峰の於茂登岳、526メートルが有り、この地区の人口4万6000人の内、4万2000人、90%以上の人口が集中。

 1001 TV少年、南の島から東京へ




沖縄県は120の島々で構成され、第二次世界大戦最後の上陸激戦地となり、戦後は昭和47年まで米国が統治。
復帰後の今なお敗戦の傷跡を多く残しています。
本土は原爆で一瞬だったが、沖縄は上陸掃討作戦、戦車と火炎砲で横一列に焼き尽くしていく。
壕に住民が潜んでいたとしても、軍人が混じっているので焼き尽くす。
やむを得ないといえばやむを得ないだろう。
極度に鬼畜と教え込まれた敵兵が目前、恐怖の中から捕虜として集められ住民は生き延びる。
焦土と化した広大な土地に、米軍は極東を睨んだ巨大な基地を作った。
残された猫の額程の親兄弟の血のしみこんだ土地を耕すしかなかった。
食糧難、沖縄の人たちは米軍に物乞いの如く、縋りついて生きるしかなかった。
そして戦後は米国統治のままである。
沖縄から見ると本土は自分達の繁栄、復興に必死で、沖縄は見放された状態に映る。
親が自分の身を守る為、子供が切り捨てられたと言う怒り、感情が渦巻く。
戦前から植え付けられた反米感情をはるかに上回る、今度は反日感情が積み重なっていったのである。
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