昭和18年8月、八重山地区の黒島にひかる誕生。
出産設備や病院のない島、生まれた男の子を含め次々と3人が他界した後、3歳違いの長女に続く男子誕生で、両親の喜びはひとしお、八年後、母43歳で妹が誕生、妹は高齢出産の子、特別可愛がられ幸せな五人家族でした。
小さな島には電気はなく、勿論、水道もありません。
情報と呼べるものは、特にありません。
飲み水は雨水を瓶に溜め、大事に飲みます。
ボウフラが湧き、瓶の首をコント叩き、潜った瞬間すくって飲む、ボウフラとの協同生活。
ランプのホヤを拭くのは、大人の手が入らないので子供の仕事と言われ、何の抵抗もなく毎日拭かされ、何度かホヤを割り叱られて育ちました。
サンゴ礁で出来た島では、岩だらけの合間に点在する、猫の額程の畑を耕し、家庭菜園に毛が生えたような自給自足の生活。
小学校高学年の頃には、島の貧しい生活に見切りを付け、石垣島や沖縄本島へと引っ越す家が多くなり複式学級制へと移行していきます。
そんな中でも、子供達にとって一番の楽しみは、夏休みや冬休みに12キロ離れた石垣島へ渡り、映画を見る事でした。
しかしひかるの家は特に貧しく、石垣島へ渡る船賃や映画代等とても考えられず、その日暮しの状況。
子供同士で映画のシーンや仕草の真似をしながら遊ぶ時が一番悔しく、どうしても仲間に入っていけません。
一度で良いから、映画が観たい・・・
お願いだから、映画を観せて欲しい・・・
きっと来年は映画を観せて貰える、と懸命に畑仕事を手伝う。
待ちに待った夏休み、しかし夏休みは日一日と過ぎ、夢は空しく消えて行きます。
必ず正月には観せる、と父が約束。
なお一層小さな体で両親を手伝いましたが、それでも夢は叶えられませんでした。
約束を守って欲しい・・・と無理に言い出せません。
親が一番辛いのは、子供心にも分かっています。
中学2年生の時でした・・・
マンガ本の片隅に、5コマ漫画でコタツに入りながら映画が観られる。
「これがテレビだ」と書いてありました。
目を疑い、もう一度読み直しましたが、何度読んでも同じ答え。
家に居ながら映画が観られる?
本当にそのような事が出来るのだろうか?
映画館の無い島、焼玉式エンジンのポンポン船で行き来する、別の島で上映される映画がこの家で観られるはずがない・・
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