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2024年07月06日

1232 交番


昭和30年代から40年にかけて沖縄出身者の心はかなり荒んでいた。
パスポートや離島と言う経済的なハンディ、或いは孤独や孤立等が原因だったでしょう。
犯罪のニュースには沖縄の苗字が結構出てきたのである。
それが偏見となってアパートには沖縄出身者の入居お断りという看板が出ていた程である。
ひかるは結婚にもろに反対され、最後は「犬や猫がくっつく訳ではない、式くらい挙げたらどうか」という相手の言葉に了解が取れたと飛び上がらんばかりに喜んだ。
しかし一緒にいたい気持ちが先走りし、結婚式の事など全く考えていなかったのです。
急ぎ結婚式を挙げなければと考えるのですがまったく金がありません。
悩んだ末、交番へ駆け込みました。
まだ24歳で明らかに田舎っぺの顔、沖縄の顔つき。
式を挙げなければ結婚出来ない、深刻に結婚したいと言う悩みは、なんと奇跡が起きたのです。
交番のお巡りさんが任せておけ、と引き受け警察官の専用結婚式場になっている虎ノ門ホールを保証人となってキープしてくれたのです。
考えられない奇跡です。パスポートを見、親身になっての計らい事でした。
今でもお巡りさんを見る度に、ご苦労さん、有難うといつも手を合わせています。
私はいかような事があっても、手錠を嵌められるような人間にだけは絶対にならない、と心に決めております。
警察関係者がこのブログを見、当時の担当者をルール違反だから、と罰せないでくださいね、もう時効ですから。
パスポート結婚、当時は珍しい国際結婚だった。
結婚の相談を交番に持ち込んだのは、ひかるくらいのものかな・・

1231 価値感


最初から結婚をしないと決め込んで生きて来た友人を数多く知っておりますが60代になって大きな分かれ道が出てきます。
経済的にも余裕が出来これから友人仲間と数多く付き合って人生楽しむという事になるのですが、ところがどっこいそう簡単には行きません。
周りの話題は子供や孫の話、嫁さんの悪口であったり亭主がどーのこーのであったり、病気の話題であったり殆んど話題に入っていけません。
結果的に同年代の人達と輪になって楽しむ、が人間性や価値感に大きな違いが出、孤立して行きます。
若い時には予測出来なかった事が目の前に出てきます。
ですから年寄りの言う事と聞き流さずに、人生の総仕上げ、出来れば結婚をするのが一番ベターではないかと言います。
結婚感についても、例えばイケメンである程度金持ち、ちょっと条件を付け過ぎではないだろうか。
若い時から金持ちと言うよりは、二人でゼロから築き上げる過程が一番楽しいのではないだろうか。
また結婚する場合性格が違う、と心配する向きがあると思いますが、個性が合わない者同士がお互い欠点をカバーし合う事でより素晴らしい家庭が出来ます。
勇気を持って一歩踏み出して欲しいと思います。
私の場合沖縄本島から450キロ南の小さな島で育ちました、女房は代々江戸っ子です。
合うの合わないのと言うと、性格や個性、習慣、全く合いません。
しかし月日が経てばお互いの欠点は分かり切っており、其々欠点を補い合う、あうんの呼吸というものが出来ます。
むしろ性格や個性が離れていた方が結婚生活は楽しいのではないかと思うくらいです。
つり合いが取れない、という言葉があるが私の場合は全く取れなかった。
女房の実家はあの時代劇に出てくる昔からの大棚である卸問屋であった。
女房の母は末娘として初の高等女学校出、勿論学校の送り迎えも用人が付く、習い事や躾などはかなり厳しく育っていたのである。
かたやひかるの母は学校も出ていない為、読み書きは出来なかった。
ひかるは南の小さな島で子供の頃は、裸足でそれこそ完璧なるフルチンで魚のように海を泳ぐ。
透明度が良いためゴーグルは不要、裸眼で海面を叩くと魚が穴へ入る。
魚を素手で取り、生きたままむしゃむしゃ食べて育つ野性そのものの育ち方をしている。
ひかるの事を全く躾がなされていない島ザル、と呼び塩を撒かれたのも、誰が見ても頷ける状況である。
そんな中でひかるは結婚する。
そして十年間、実家との絶交を女房に言い付け、子供が出来、孫をかすがいに実家との付き合いを円滑にしていったのである。

1230 結婚


私の場合両親が80手前で他界しました。
たぶん私は80歳までは生きられるだろうと考えております。
現在78歳、あと2年後には鼓動が止まる計算になります。
私の人生は80センチの物差しで考えておりましたがもう2年先なんて言うのはあっと言う間に過ぎてしまいます。
人生最後の総仕上げ、悔いのないようにしたいのが今の段階です。
出来れば85歳90歳まで生き延び、ひ孫の誕生、そして鼓動を重ね合い、鼓動がひ孫まで伝わっているんだと言う実感を感じたいのが一番の願いです。
最近テレビで結婚をしないとか或いは子供を作らない事を自慢気に話す人がおります。
私の考え方からすると鼓動を己の代で止めてしまう、本当に自殺に等しいのではないか、と残念でしょうがありません。
子供が出来ない場合はともかくとして、親から引き継いだ鼓動、己の代で止めてしまう。
あってはならない事だと思います。
確かに子供がいなければ金もかからず贅沢も出来ます。
しかし年を経て己の鼓動がこの世に引き継がれていない事は、本当に寂しい事ではないでしょうか。
勤続中は大きな組織のパーツです。そこからが人生の総仕上げ。
結婚をする事によって相手の個性やものの考え方など多くを吸収していきます。
当然、相手の親からも多くの事を学び吸収していきます。
親が二人から4人になったのです。
さらに子育てをする中で、多くの事を学びとって行きます。
人はそうやって、深みのある人間性、広い心の人間性が培われて行きます。

1229 ワンカット


その後80まで生きたとしても20年間は果たして体が思ったように動くのか先の保証はありません。
そう考えてみると何をしなければならないのか、何の為にこの世に自分が生まれて来たのか、疑問が湧いてきます。
そんな中から一日でも無駄に出来ない、ワンカットの積み重ね、いわゆる鼓動哲学の原点を見出したのです。
あれから55数年、今78歳ですが自分ながらよくぞ己の鼓動と対話をし無駄のない日々を過ごして来たものだと感心しております。
これから世に出て活躍する若い人達に是非鼓動哲学、これを頭の隅に置いて自分の鼓動をどう使い切るか本気で考えて欲しい。
願いを込めて今回鼓動哲学を公表しました。
常に若かろうが年をとろうが鼓動という側面から己を見つめ、そして周りを見つめてワンカットワンカットの人生アルバムを積み重ねて欲しいと切に願うものです。
我々は普段哲学と言うと頭の問題、脳の事しか浮かんで来ませんが、その先には鼓動があります。
鼓動の上に脳があり、一輪の素晴らしい花が咲くのです。
鼓動が止まったらお終い、へったくれもありません。
だから原点を突き詰めた鼓動哲学が重要であると主張します。
若い人は学業と鼓動であったり、鼓動と結婚であったり、鼓動と家族、夫婦と鼓動、50代と鼓動、80代と鼓動、病と鼓動、田舎暮らしと鼓動、趣味であったり、何んでも結構でしょう。
一人何種類もの鼓動哲学があって良いのではないか。
ぜひ朝起きたら胸に手を当て、鼓動と対話してみましょう。
本当に昨日から一晩ぐっすり寝ていたのにこの鼓動は1分たりとも休む事なく動いていたのです。
何んの意味があるのかと問いたくなります。
学生なら卒業論文に鼓動哲学を記し、記念に10年後20年後紐解いてみるのも いいのではないだろうか。
前記に人生を物差し上で考えるべきだと書きましたが鼓動哲学を実践する上でこの人生物差しは重要な役割を果たします。

1228 老若男女


過去から現在、そして未来と己の人生を鼓動という側面かな分析展開していく事がいかに大事であるかは、きっとある程度年齢を重ねれば解るかと思います。
私の提唱する鼓動哲学とは、一人一人が其々の生き様としての哲学であって欲しい、
其々が己の哲学を持つべきだと主張します。
癌患者と鼓動哲学論をした事がある。
ややもすると癌の重圧に耐えかねていた。
朝晩鼓動と対話し、思った通りワンカットずつの積み重ね、残り少ない余命を全う出来る、と鼓動哲学論に涙を流しました。
自由だの人権論だの色々ありますが、己にとっての大事な鼓動哲学論が欠けている。
体の不自由な人、元気な人、緩和ケアが必要な人、老若男女 鼓動哲学論が出て来る事を願うものである。
ひかるはテレビ業界に入った時、IT に関する知識が乏しく IT 最先端企業ではたしてやっていけるのか悩んだ時期がありました。
人は悩んだ時、何かに縋りたくなるものです。
何んとひかるが縋ったのは歴史でした。
当時東大編纂所が出版した日本の歴史27巻を買い込み、無心になって古代から現代に至る迄、2度ほど読み返しました。
読み終えて得たものはたった一つ、己がこの世に生きている時間があまりにも短く、長い歴史の上から見れば一瞬に過ぎないのだなと言う事でした。
二十歳を過ぎ60までというと、あと40年しかありません。
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