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2015年10月17日

地球市民新聞・010号・>【日本大復活に向けて】日本的愛国心と侍精神【白人たちの侵略史】


・心のプレーゼンテーション・人間寺・







スッタニパータ(ブッダ)

【 第一 蛇の章 】 

■□■<1、蛇>■□■

--------------------------------------------------------------------------------

2 池に生えている蓮華を、水に入って折り取るように

愛着を完全に断ちきった修行僧は、「今世」も「来世」もともに捨て去る。

──蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように。

【日本大復活に向けて】日本的愛国心と侍精神【白人たちの侵略史】



薄れてしまった侍精神。


 なぜ、この心が薄れてしまったのでしょうか。


 それは日本的愛国心が薄れてしまったからです。


 侍精神も愛国心も、どちらも共に“古臭いもの”と考えられているようです。


 多くの日本人が、「侍精神も、愛国心も、自分には関係ない」<strong>と口にするかもしれません-。


 しかしもしもこの封印されたが甦らなければ日本は滅びるでしょう。


 なぜなら時代を造り未来を造り国家や世界を造っていくものはまぎれもなく私たち-一人一人の心だからです。


敵をつくらない人間の真の生きかた

人間はこの世に生まれ落ちたときから、“競争社会”の一員としてスタートさせられる運命にあります。小学校や中学校で猛勉強させられていい大学に入るのも、人よりいい人生を歩むためという大義名分の元で人に負けるなと親から煽られます。


社会に出れば出たで、上司からは他社に負けるなと尻を引っぱたかれ、同じ会社の同僚も出世のためのライバルとしてしか存在しなくなっていきます。こういう競争世界が現実であると知っていながら、人々は、またマスコミ等は「共存共栄」こそ人間の幸せの原則であると言います。


 だれもが、自分自身のことより他人である相手のことを考えて思考、行動すれば世の中はうまく行くと言うことを知っているはずですが、なかなかそうは出来ません。たしかに、今日まで文明というものは、人間の競争本能が築き上げてきたといっていいでしょう。


しかし、人間ひとりひとりを考えた場合は、競争というものには必ず勝つものと敗れるものが存在します。負ければ悔しい思いに駆られますし勝てば勝ったで相手に嫌われたり、人を敵に回したりする現象も起こってくるものです。
負けた人間はプライドを傷つけられるし、勝った人間は、自分がさらに強い競争の標的になることを自覚し、両者とも精神的に大きな抑圧(プレッシャー)とそれに伴うストレスに見舞われることになっていきます。



 となると、勝っても負けてもそれ自体がストレスの固まりとなってしまい、人間の生き方として、幸福感には程遠い、むしろ苦しみに満ちた人生となってしまいます。仏陀の言葉のひとつの「生もまた苦である』(Jâti pi dukkâ)という意義がここにあります。

 それでは私たちは社会の一員として、いったいどうすればストレスのない、幸福と安らぎを味わえる人生を創造することが出来るのでしょうか。

 これまで述べてきた「競争」という言葉を「共存」という言葉に置き換えて考えてみると、分かりやすくなってくると思うのです。いま、私自身のことを考えてみても、私は一人でこの世を生きているのではありません。同じようにあなただって一人で生きているわけではないでしょう? あなたが奥さんであれば、あなたには夫という人がいます。


お子さんも一人か二人いらっしゃるでしょう。また、ときどき訪ねてくるあなたのお母さん、お父さん、そして田舎にいるお兄さんの存在も忘れてはいけませんね。さらに、いつも何かと世話になるご近所の奥さんもいますし、あなたは疎んじているかもしれませんが、旦那さんの方のご両親、ご兄弟もいます。さらに言えば、ご主人の会社の上司や同僚だって、間接的にかもしれませんがあなたの人生に深く係わってくれている人々です。そういう人たちの協力があって、あなたは今というときを生きているのです。


言い換えれば、それらの人々が生きていてくれるから、自分という生命が成り立っているのです。


そう考えると、自分一人の存在というものが、この社会、この国、またこの世界の人々にそれぞれ係わっていることが分かってきます。人類の関係が敵とかライバルとか言うもので成り立っているのではなく、すべて兄弟であるという発想はこういう事実から生まれてくるのです。


それを競争こそ自分の人生を豊かにする源であるといったのでは、人間本来が歩むべき真実の道に余りにも遠い存在となってしまいます。そう考えるより、いまこうして自分が生きていられるその支えとなってくれている人に対して自分が何をしてあげられるか、その恩恵を自分の出来る範囲のなかでお返しする、その生き方のほうが、実行するにしてもはるかに楽で、易しいことですし、第一実行した自分も、恩恵を受けた相手もそれぞれに心が豊かになり、そこには怨みも悔しさも、また奢りという感情も表出してきません。


そういう生き方のなかにこそ、人間一人一人の生き方の意義が見いだせるのです。


私自身は、生きるために自分の持つ能力と才能を駆使し、それをまた十分に生かす方法を知っていますが、その方法を誰かを倒すためとか、誰かと闘うためになどには決して使いません。


もし、私の周囲で誰かが私を追い抜いていったのなら、それはその追い抜いていった人のほうが少なくとも私より能力や才能に恵まれていたのであり、あるいはこれから成そうとしている事柄に対して、私の力よりもその人の力のほうが必要とされていたか、相応しいのだと、むしろ私はその人に激励の拍手を送ることと思います。


それが、その人と私がそれぞれに相応しい立場に置かれた自然なかたちだと考えられるからです。それはそれでありがたいことではないですか。その人も私も、べつに競争したわけでなく、従ってお互いに勝ったわけでも、敗れたわけでもありません。


いづれのときか、立場が変わるときもあるでしょうし、あるいはそういう変化が起こらないかもしれませんが、それでいいではないですか。


また、私に競争を挑んでくる人もいるでしょう。でも、私自身がその人のことを競争相手と見ないかぎり、私にとって何の苦にもなりません。お互いが同じ土俵の上にいるならば、より才能の豊かなほうが優先されるでしょうし、べつの道を歩むなら、それはそれで何の関わりを持だない存在となります。いづれにせよ、そういう気持でいれば、競争の相手という概念が生じない世界になります。


この世の中で、自分という人間の資質が十二分に発揮される位置に自分が置かれることこそ幸せへの道にちがいありませんが、その方法として競争という手段を行じることは、誤りです。この世の中で、自分に係わってくれている人のことを念じ、そのなかで日々努力精進していく過程に、真の生きる意味を見いだすことができるのです。

●自分のことを、考えてみましょう。


私への恩恵をお返しするために何が出来ますか?


私でなければならないこととは何ですか?


私にしか出来ないこととは何ですか?

「私でよければぜひやらせてください」と言えることは何ですか?


「私にもやらせてください」と言えるものは何ですか?

011号つづく



菩薩行動本当の愛を発見する法門


愛は、勉強することではない。

誰しもが、すでに持っていること。

愛は、勉強することではない。誰しもが、すでに持っていること。

愛とは勉強することではありません。

自分の中から引き出すものです。

人間は、愛によってできていますから、本来、どんな人間にも必ず共通して愛を持っています。

愛だけは、どんな人の心にも存在しているのです。

しかし、それが、心のごみによって見えなくなります。

心のごみとは見栄」「エゴ」「過去のつらい記憶」「トラウマ」「コンプレックスなどです。

こうした心のごみがあり心の奥底から輝いている愛があっても、


ごみが邪魔をして光が遮られている状態になっているのです。


愛は勉強するものではありませんからいくら本を読んでも意味がありません。


一時的に頭の中では分かったような気がしますが
偽りです。


「愛のある人生とない人生どちらが幸せになれると思いますかと聞けば、


すべての人が愛のある人生だと答えます。


頭では、分かっているのです。


教えられて分かることではなくすでに皆が、気づいていることです。


しかし、悪いことをする人でも、頭では分かっていても、そのとおりにできない現実があります。

いくら勉強をしても、愛は本から学ぶということはできません。

本から学ぶことで愛が得られることは、おかしな話です。

先ほども言いましたが、愛はすでにみな持っているのです。

愛によって私たちは、できあがっています。

肉体という体があり、体は心によって動かされ、心の中心に愛があり、温かく輝いています。

ただ心のごみが邪魔をして、光を遮っているだけです。

悪いことをする人は、その心のごみが人一倍多くて、中心から放つ光が、

ほとんど遮られてしまっている状態になっているのです。

本当に大切なことは、愛を学ぶことではなく、この心のごみを取り払うことなのです。


心のごみを取り払うことで、すでに存在している愛が見えてくるようになり、温泉を掘りあてたように湧き出てきます。

実は、愛に満ちあふれる人とはいえ、すでに皆が愛に満ちあふれているのです。

ただ人によって、愛は満ちあふれているのに、隠れてしまっている人がいるのです。


愛に目覚めるとは、心のごみを取り払うことです。

光を遮っている蓋を、取り除くことです。

曇っているガラスを拭いてあげることです。

黒いサングラスから、透明色の眼鏡に変えることです。


それだけで、誰しもが本来持っている愛が湧き出てくるはずなのです。

本を読みあさり、机に向かって勉強することなど、本来まったくする必要のないことなのです。





妙法・あなたが生まれた意味と理由



人生はあなたに意味を与えない。


あなたが人生に意味を与えるのだ。


人生はあなたに意味を与えない。あなたが人生に意味を与えるのだ。

あなたが生まれてきた理由は何でしょうか。

あらかじめ理由があって、あなたはこの世に誕生してきたのでしょうか。


神様は、あなただけに、特別に理由を与えて、この世に生まれてきたのでしょうか。


いいえ、意味があって生まれてきたわけではありません。

真実から言ってしまえば「ただ、そこに、生まれた」だけです。


ただ、誕生してきたのです。

もし本当に生きる意味があるのであれば、皆生きることには苦労はしません。


自分は何を、いつどれくらい、何のためにするべきかが、すぐ分かるはずです。


それが分からないから、生きることに苦しみ、もがいているのです



生きる目的がないのは、意味があって生まれてきたわけではなく、ただ生まれてきただけだからです。


理由や意味があって生まれたわけではなく、ただ生まれてきたのですから、理由なんてあるはずがありません。

なのに「自分には生まれてきた理由がきっとあるはず」と思うから、矛盾ができてしまいます。

世界の宗教は、本当の意味があって生まれてきたわけではない

人類に、意味があると思われるように教えを説いています。


本当はどの宗教も「生まれてきた意味はない」ということを知っています。

ですが、そんなことをダイレクトに言ってしまえば、余計に人を迷わせることになります。

それぞれの宗教が、都合のいいように意味を作り「あなたはこのために生まれたのです」と


暗示をかけ、迷える人を助けています。

しかし、結局は「生まれてきた意味はない」という真実と向き合わなければ、本当の真実も見えてきません。


太陽を見てみましょう。

太陽は、何か理由があって生まれたでしょうか。


いいえ、ただ太陽は宇宙の流れによって誕生しただけです。

太陽ができて、後から地球ができ、人間が生まれたのです。

太陽のおかげで地球が誕生し、人類が誕生しましたが、人類のためにわざわざ誕生したわけではありません。

太陽が誕生し、その結果、地球ができて、人類が誕生しただけです。

意味があってそうなったのではなく、宇宙という法則にのっとって「ただそうなっただけ」です。

すべての存在に、生まれてきた理由はありません。

しかし「自分には生まれてきた意味がある」と強く信じ、探しているから、苦労をしてしまうのです。


生まれてきた理由などはじめからないから、見つかるわけがないのです。


「それじゃあ、生きている意味がないじゃないか」


先ほどから言っているではありませんか。


「生きている意味はない」と。

あなたが今死んでしまっても、地球の運行に何の影響もなく、太陽に何か影響を与えるわけでもありません。


個人には問題でも、宇宙全体では、まったく問題ではないのです。


「おいおい、生きていることって、そんなちっぽけなことなの」

「なんだか生きる気力がなくなった」

「生きている意味がなければ、どうすればいいのか」

さあ、きましたね。


その言葉を待っていました。

では、ここからが本題です。

大切なお話は、これからです。

私がお伝えしたい内容は、ここからが本題です。

生きている意味があって生まれてきたわけではありません。

太陽はあなたのために光り輝いているわけでなく、

光り輝いている太陽のおかげで勝手に地球が誕生して、

次に人類が誕生しました。

人生は、あなたに何かを与えるわけではありません。

あなたが人生に与えるのです。


もともと、人生はあなたに何かを与えようとしているわけではありません。

先ほどから話しているとおり、生まれてきた理由など特別ないのですから。

私はこのサイトを運営しているかたわら、お客様から「自分探しをしています」というお手紙をよくいただきます。


「自分には、何か生きる理由があって生まれてきたはず。でもそれが見つかりません」

一生懸命に、自分探しをしているようです。

しかし、そういう人に限って、幸せを見つけることはできず、いつまで経っても幸せにはなれません。

最初から人生に意味はないのですから、見つかるわけがないのです。

宝がないのに、宝探しをしているようなものです。

エンドレスになります。

探すものではありません。


自分で決めるのです。


自分勝手に決めて、行動していい。


あなたが人生に対して、意味を与えるのです。

生きている意味はないから、生きている意味を自分で作るのです。


あなたの人生にタイトルがあって、誕生してきたわけではありません。

だからあなたが自分で自分の生き方、人生に、タイトルをつけるのです。

すると、そこから物語が始まります。


タイトルがなければ、単なるやりとりにすぎませんが、タイトルがついた瞬間からそれはドラマになります。


「人生にあなたが意味を与えること」


これがまず、あなたがしなければならない大切な仕事なのです。





寝る前にこれだけで!「骨盤正して美脚ストレッチ」



薄着の季節が終わりを迎え「やっと体型を隠せる〜」

気を抜いてませんか


春は代-謝が上がり、痩せやすくなる時期です。


これからの時期こそ、正しい方法でダイエットを-始めれば、みるみる代謝も上がり、より早く理想の体型に近づくことができます。

そこで-今回は、毎晩寝る前におすすめとっておきの美脚エクササイズをご紹介したいと思いま-す。





雑誌掲載!

食べるダイエットスムージー登場!

【ミルミルダイエット】

・効果・評判・美容・健康・置き換え



誰にも知られたくない10日間!ミルミルダイエット



「ミルミルダイエット」販売見直しに伴うご注意事項につきまして下記ご了承の上ご注文ください。

・今までミルミルダイエットをご購入いただいた方全員にコーンフレークプレゼントさせていただいておりましたが2014年12月以降にご注文いただいた方にはコーンフレークはついておりません。

・商品パンフレットに記載されております価格につきまして現在は30食入り3,980円のみの特別価格でご提供させていただいております。

・味・入り数はお選びいただけません。

ミルミルダイエット

【名称】たんぱく含有食品

【原材料名】
〔バナナ〕乳糖バナナパウダー粉末状大豆たん白水溶性食物繊維イソマルトオリゴ糖チアシードマルトデキストリン、植物発酵乾燥粉末、有胞子性乳酸菌酵母ペプチドサラシアレティキュラータエキス粉末白インゲンマメエキス末キダチアロエ葉粉末増粘剤(ペクチン、キサンタンガム)、<strong>香料、酸味料甘味料(アスパルテーム・L‐フェニルアラニン化合物スクラロース)、<strong>ビタミンC、クチナシ黄色素キトサン、乳化剤酸化防止剤(亜硫酸塩)、(原材料の一部に乳カニオレンジキウイフルーツバナナリンゴ大豆ゴマカシューナッツを含む)〔あずきマルトデキストリン乳糖粉末状大豆たん白水溶性食物繊維イソマルトオリゴ糖チアシード植物発酵乾燥粉末有胞子性乳酸菌酵母ペプチドサラシアレティキュラータエキス末白インゲンマメエキス末、キダチアロエ葉粉末、増粘剤(ペクチン、キサンタンガム)、香料、甘味料(アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物、スクラロース)、ビタミンCタマリンド色素キトサン乳化剤酸化防止剤(亜硫酸塩)、(原材料の一部に乳カニオレンジキウイフルーツバナナリンゴ大豆ゴマカシューナッツを含む
【内容量】〔バナナ〕75g(15g×5袋)、〔あずき〕75g(15g×5袋)

これこそまさに!正しいダイエット














土肥六実商品紹介させていただきました。
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