2017年10月04日
『日本語教育を通してシナジー論を考える』 人文科学のための人材育成について6
5 鴎外の脳の活動は感情
「鴎外と感情」というメタファーについて、先ずトップダウンで考える。鴎外は、陸軍省の医務局に入り軍医として活躍する傍ら、作家としての才能を開花させる。軍での仕事は、上司からの指示命令によるものであるから、感情については、当然外的な要因による誘発が考えられる。一方、作家として活動している時には、内的な要因による創発が感情の源になる。
二木(1999)によると、感情には喜怒哀楽のようにどちらにも入るものがある。ここでは情動と脳の活動の関係を考えるために、喜怒哀楽の表現を見ていこう。文学の研究を少しでも科学にするためである。鴎外の歴史小説にも内的要因と外的要因による思考が見られることは先にも触れた通りであり、この点を接点に創発が見られる作品と誘発が見られる作品を考察する。方法は、ABのイメージから感情と行動という組を作り、Cの人工知能の組と合わせていく。
5.1 『安井夫人』(1914)
@ 誘発の作品として取り上げる『安井夫人』には、幕末の話でも現代に通じる日本人女性の夫への献身が描かれている。日向の国宮崎で藩に任用された父の影響から書物を読んで育った仲平は、小さいときに疱瘡を患い大痘痕となって右目が潰れた。そのため偉くなるとも不男とも噂された。彼の青春時代は、どこかに負い目を感じるものだった。
A 大阪と江戸で修業を終えた仲平に安井家で嫁を取ることになった。父が思案した娘には断られたが、その妹佐代からよい返事をもらう。佐代からの希望である。しかし、器量よしで小町といわれるほどの美形で年も離れていて、なんとなく仲平とは不釣合いである。
B 仲平と父が講壇に立つ学問所の書生たちに対しても、繭を破った蛾のように内気な性格を脱して、佐代は天晴れな夫人になる。自分の欲求を満たしてくれるものに接近行動を示す佐代の情動であろう。江戸を出ること二度三度、仲平は四十にしてようやく世間から学殖が認められる。妬みから容姿に纏わる陰口が聞こえてくる。しかし、佐代は女の子を三人出産し、陰口など何処吹く風である。佐代にも当然母としての喜びの情動が生まれる。仲のよい知人からは、無遠慮なお世辞が聞こえてくる。先生に仕えるわけだから、ご新造様は先生以上に学問をしていると。
C 佐代は三十を過ぎて男子を二人産んだ。母としての自覚と夫への献身が増々強くなり、仲平は大儒息軒先生として天下に名を知られる。時代は、ペリーの浦賀来航と尊皇攘夷である。その折、大井伊直弼が桜田門外の変で倒れる。そして佐代は五十一で他界する。
D 佐代とはどういう女だったのか。美しい肌に粗服をまとい、質素な仲平に仕えつつ一生を終えた。佐代は夫に仕えて労苦を辞さなかった。夫に対する献身の気持ちが強い。これを外から内への思考とすると、佐代の脳の活動は誘発と考えられる。報酬として何物も要求しなかった。立派な邸宅に住みたいともいわず、結構な調度を使いたいともいわず、うまい物を食べたがりも面白い物を見たがりもしなかった。また物質的にも精神的にも何物も希求しないほど恬澹だった。
E 佐代は何を望んだのであろうか。夫の出世であろうか。それでは月並みである。未来に向けて何かを望んでいたのである。それが何か識別できないほどに尋常でない望みであって、その望みの前では一切の物が塵芥のごとく卑しくなってしまう。恐らくそれは夫を敬う忠義の心、献身であろう。
上記第二章の論文「読む・書く」で説明した【要約の手順】に照合させる。
◇ 要約文を4段落(起承転結)で考える。@が起、Aが承、BとCが転、Dが結になる。
◇ 段落毎にキーワードを探す。Aであれば、仲平、嫁を取る、佐代、美形で年も離れている、仲平とは不釣合いにする。
◇ 段落毎に中心文を探す。Aの中心文は、「大阪と江戸で修業を終えた仲平に安井家で嫁を取ることになった。」にする。
◇ 中心文を使用して、その段落を要約する。できるだけ5W1Hも考える。キーワードとキーワードを助詞や動詞でつないでいく。
◇ テーマ・レーマも考慮すること。例えば、「嫁を取る」が旧情報で、「佐代からよい返事」や「佐代からの希望」が新情報。
5.2 『魚玄機』(1915)
@ 美人で詩をよくした魚玄機。生まれは長安で、五歳の頃には白居易の詩を暗記し、十三歳で七言絶句を作る。十五歳になると、魚家の少女の詩として好事者に写し伝えられた。
A この短編には女の秘密が記されている。それを内から外への思考とすると、脳の活動は創発となろう。容貌も美しくなった十八歳の時に、三名家の一人温の友人で白皙美丈夫な素封家の李億と相見し、聘を受け入れた。しかし、障害があった。李が近づけば玄機は回避し、しいて迫れば号泣する。李は遂げぬ欲望のため、恍惚として失することもあった。また、人間関係が複雑である。李には妻がいる。玄機が妾であることが分かり、夫妻は反目する。こうした因縁が道教の女道士にはあった。
B 美人で才能があると、負けず嫌いでわがまま性格になる。寝食を共にする修行中の道女士たちと心胸を披歴するが、揶揄や争いそして和睦もある。 羨と妬が混じり合う。そうこうして、玄機の詩名は次第に高くなった。しかし、交友関係は長続きせず、ある道女士が失踪してから、十九歳になった玄機の態度は一変した。書を求められても笑語に移し、無学のものが来ると、侮辱を加えて追い返す。客と謔浪もする。 灯の下で沈思して不安になって、机の物を取っては放下することもあった。
次第に偏った行動をとるようになる。人格(パーソナリティ)が気質(先天的な資質)と性格(後天的な環境条件)により他人を巻き込み、派手で劇的になっている。
C 貴公子と共に楽人陳某が玄機の所に来た。体格が雄偉で面貌は柔和な少年で、多くを語らず終始微笑を帯びて玄機の挙止を凝視していた。玄機は陳に詩を寄せ、陳は玄機を頻りに訪問する。 7年の月日が経った。緑翹という十八歳の婢がやって来た。陳が緑翹を揶揄するのを見たが、玄機は意に介さない。緑翹を女子として目していなかったからだ。自分は賞賛に値するだけの優れた人間であると信じ込む特権意識が伺える。
D 二十六歳になった玄機は、眉目端正で浴を出たときには琥珀色に光っていた。緑翹は犬に似た顔で手足も粗大で、襟肘は垢や油で汚れていた。しかし、陳が次第に緑翹と語るようになる。玄機は、胸を刺されたように感じ、色を変じた。陳と緑翹との間に秘密があると思うようになった。
ストレスを感じ不安や心配が生まれ、それを上手く解決できない不安障害と気持ちや考えが上手くまとまらない統合失調症の境界で、パーソナリティ障害が生じている。
E 玄機は書斎で沈思すると、猜疑は深くなり、忿恨は次第に盛んになった。緑翹の顔に侮蔑の色が見えたり、緑翹に接するときの温言のある陳の声が耳に響くようになる。玄機は甚だ陰険に看取し、扉の錠を下ろし、詰問した。怒りが生じ情動が生まれる。こうした創発は、人に攻撃的な行動を促す。緑翹が狡獪に思えて押し倒し、白状せよと叫んで緑翹の喉を締めた。手を放すと女は死んでいた。
利己的で相手の気持ちや迷惑を考えることも、社会の道徳習慣に従うこともできず、良心が欠如している反社会的なパーソナリティ障害である。
F 観(仏教の寺に当たる)の後ろにある穴に緑翹の屍を落として土をかけた。初夏に訪れた客が涼を求めて、観の後ろに行くと、緑色の蠅が群がる場所があった。そこから緑翹の屍が見つかり、魚玄機が逮捕され斬に処された。
情動でいうと創発が多く、心の病気でいうとパーソナリティ障害が見られ、執筆時の鴎外の脳の活動を感情と考えることができる。
『安井夫人』同様、上記第二章の論文「読む・書く」で説明した【要約の手順】と照合してみる。
◇ 要約文を4段落(起承転結)で考える。@とAが起、Bが承、CとDとEが転、Fが結になる。
◇ 段落毎にキーワードを6、7個探す。Aであれば、女の秘密、十八歳の時、李億と相見、聘を受け入れ、人間関係が複雑、玄機が妾にする。
◇ 段落毎に中心文を探す。Aの中心文は、「容貌も美しくなった十八歳の時に、三名家の一人温の友人で白皙美丈夫な素封家の李億と相見し、聘を受け入れた。」にする。
◇ 中心文を使用して、その段落を要約する。できるだけ5W1Hも考える。キーワードとキーワードを助詞や動詞でつないでいく。
◇ テーマ・レーマも考慮すること。例えば、「聘を受け入れた」が旧情報で、「障害があった」や「遂げぬ欲望」が新情報になる。
花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より
「鴎外と感情」というメタファーについて、先ずトップダウンで考える。鴎外は、陸軍省の医務局に入り軍医として活躍する傍ら、作家としての才能を開花させる。軍での仕事は、上司からの指示命令によるものであるから、感情については、当然外的な要因による誘発が考えられる。一方、作家として活動している時には、内的な要因による創発が感情の源になる。
二木(1999)によると、感情には喜怒哀楽のようにどちらにも入るものがある。ここでは情動と脳の活動の関係を考えるために、喜怒哀楽の表現を見ていこう。文学の研究を少しでも科学にするためである。鴎外の歴史小説にも内的要因と外的要因による思考が見られることは先にも触れた通りであり、この点を接点に創発が見られる作品と誘発が見られる作品を考察する。方法は、ABのイメージから感情と行動という組を作り、Cの人工知能の組と合わせていく。
5.1 『安井夫人』(1914)
@ 誘発の作品として取り上げる『安井夫人』には、幕末の話でも現代に通じる日本人女性の夫への献身が描かれている。日向の国宮崎で藩に任用された父の影響から書物を読んで育った仲平は、小さいときに疱瘡を患い大痘痕となって右目が潰れた。そのため偉くなるとも不男とも噂された。彼の青春時代は、どこかに負い目を感じるものだった。
A 大阪と江戸で修業を終えた仲平に安井家で嫁を取ることになった。父が思案した娘には断られたが、その妹佐代からよい返事をもらう。佐代からの希望である。しかし、器量よしで小町といわれるほどの美形で年も離れていて、なんとなく仲平とは不釣合いである。
B 仲平と父が講壇に立つ学問所の書生たちに対しても、繭を破った蛾のように内気な性格を脱して、佐代は天晴れな夫人になる。自分の欲求を満たしてくれるものに接近行動を示す佐代の情動であろう。江戸を出ること二度三度、仲平は四十にしてようやく世間から学殖が認められる。妬みから容姿に纏わる陰口が聞こえてくる。しかし、佐代は女の子を三人出産し、陰口など何処吹く風である。佐代にも当然母としての喜びの情動が生まれる。仲のよい知人からは、無遠慮なお世辞が聞こえてくる。先生に仕えるわけだから、ご新造様は先生以上に学問をしていると。
C 佐代は三十を過ぎて男子を二人産んだ。母としての自覚と夫への献身が増々強くなり、仲平は大儒息軒先生として天下に名を知られる。時代は、ペリーの浦賀来航と尊皇攘夷である。その折、大井伊直弼が桜田門外の変で倒れる。そして佐代は五十一で他界する。
D 佐代とはどういう女だったのか。美しい肌に粗服をまとい、質素な仲平に仕えつつ一生を終えた。佐代は夫に仕えて労苦を辞さなかった。夫に対する献身の気持ちが強い。これを外から内への思考とすると、佐代の脳の活動は誘発と考えられる。報酬として何物も要求しなかった。立派な邸宅に住みたいともいわず、結構な調度を使いたいともいわず、うまい物を食べたがりも面白い物を見たがりもしなかった。また物質的にも精神的にも何物も希求しないほど恬澹だった。
E 佐代は何を望んだのであろうか。夫の出世であろうか。それでは月並みである。未来に向けて何かを望んでいたのである。それが何か識別できないほどに尋常でない望みであって、その望みの前では一切の物が塵芥のごとく卑しくなってしまう。恐らくそれは夫を敬う忠義の心、献身であろう。
上記第二章の論文「読む・書く」で説明した【要約の手順】に照合させる。
◇ 要約文を4段落(起承転結)で考える。@が起、Aが承、BとCが転、Dが結になる。
◇ 段落毎にキーワードを探す。Aであれば、仲平、嫁を取る、佐代、美形で年も離れている、仲平とは不釣合いにする。
◇ 段落毎に中心文を探す。Aの中心文は、「大阪と江戸で修業を終えた仲平に安井家で嫁を取ることになった。」にする。
◇ 中心文を使用して、その段落を要約する。できるだけ5W1Hも考える。キーワードとキーワードを助詞や動詞でつないでいく。
◇ テーマ・レーマも考慮すること。例えば、「嫁を取る」が旧情報で、「佐代からよい返事」や「佐代からの希望」が新情報。
5.2 『魚玄機』(1915)
@ 美人で詩をよくした魚玄機。生まれは長安で、五歳の頃には白居易の詩を暗記し、十三歳で七言絶句を作る。十五歳になると、魚家の少女の詩として好事者に写し伝えられた。
A この短編には女の秘密が記されている。それを内から外への思考とすると、脳の活動は創発となろう。容貌も美しくなった十八歳の時に、三名家の一人温の友人で白皙美丈夫な素封家の李億と相見し、聘を受け入れた。しかし、障害があった。李が近づけば玄機は回避し、しいて迫れば号泣する。李は遂げぬ欲望のため、恍惚として失することもあった。また、人間関係が複雑である。李には妻がいる。玄機が妾であることが分かり、夫妻は反目する。こうした因縁が道教の女道士にはあった。
B 美人で才能があると、負けず嫌いでわがまま性格になる。寝食を共にする修行中の道女士たちと心胸を披歴するが、揶揄や争いそして和睦もある。 羨と妬が混じり合う。そうこうして、玄機の詩名は次第に高くなった。しかし、交友関係は長続きせず、ある道女士が失踪してから、十九歳になった玄機の態度は一変した。書を求められても笑語に移し、無学のものが来ると、侮辱を加えて追い返す。客と謔浪もする。 灯の下で沈思して不安になって、机の物を取っては放下することもあった。
次第に偏った行動をとるようになる。人格(パーソナリティ)が気質(先天的な資質)と性格(後天的な環境条件)により他人を巻き込み、派手で劇的になっている。
C 貴公子と共に楽人陳某が玄機の所に来た。体格が雄偉で面貌は柔和な少年で、多くを語らず終始微笑を帯びて玄機の挙止を凝視していた。玄機は陳に詩を寄せ、陳は玄機を頻りに訪問する。 7年の月日が経った。緑翹という十八歳の婢がやって来た。陳が緑翹を揶揄するのを見たが、玄機は意に介さない。緑翹を女子として目していなかったからだ。自分は賞賛に値するだけの優れた人間であると信じ込む特権意識が伺える。
D 二十六歳になった玄機は、眉目端正で浴を出たときには琥珀色に光っていた。緑翹は犬に似た顔で手足も粗大で、襟肘は垢や油で汚れていた。しかし、陳が次第に緑翹と語るようになる。玄機は、胸を刺されたように感じ、色を変じた。陳と緑翹との間に秘密があると思うようになった。
ストレスを感じ不安や心配が生まれ、それを上手く解決できない不安障害と気持ちや考えが上手くまとまらない統合失調症の境界で、パーソナリティ障害が生じている。
E 玄機は書斎で沈思すると、猜疑は深くなり、忿恨は次第に盛んになった。緑翹の顔に侮蔑の色が見えたり、緑翹に接するときの温言のある陳の声が耳に響くようになる。玄機は甚だ陰険に看取し、扉の錠を下ろし、詰問した。怒りが生じ情動が生まれる。こうした創発は、人に攻撃的な行動を促す。緑翹が狡獪に思えて押し倒し、白状せよと叫んで緑翹の喉を締めた。手を放すと女は死んでいた。
利己的で相手の気持ちや迷惑を考えることも、社会の道徳習慣に従うこともできず、良心が欠如している反社会的なパーソナリティ障害である。
F 観(仏教の寺に当たる)の後ろにある穴に緑翹の屍を落として土をかけた。初夏に訪れた客が涼を求めて、観の後ろに行くと、緑色の蠅が群がる場所があった。そこから緑翹の屍が見つかり、魚玄機が逮捕され斬に処された。
情動でいうと創発が多く、心の病気でいうとパーソナリティ障害が見られ、執筆時の鴎外の脳の活動を感情と考えることができる。
『安井夫人』同様、上記第二章の論文「読む・書く」で説明した【要約の手順】と照合してみる。
◇ 要約文を4段落(起承転結)で考える。@とAが起、Bが承、CとDとEが転、Fが結になる。
◇ 段落毎にキーワードを6、7個探す。Aであれば、女の秘密、十八歳の時、李億と相見、聘を受け入れ、人間関係が複雑、玄機が妾にする。
◇ 段落毎に中心文を探す。Aの中心文は、「容貌も美しくなった十八歳の時に、三名家の一人温の友人で白皙美丈夫な素封家の李億と相見し、聘を受け入れた。」にする。
◇ 中心文を使用して、その段落を要約する。できるだけ5W1Hも考える。キーワードとキーワードを助詞や動詞でつないでいく。
◇ テーマ・レーマも考慮すること。例えば、「聘を受け入れた」が旧情報で、「障害があった」や「遂げぬ欲望」が新情報になる。
花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より
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