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2023年05月31日

川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは5

 主人公は、実体となりそもそも存在し、主人公を理想の型に入れて加工しながら育てる世界に個物がある。これが川端の創造である。これを「雪国」から読み取れる顔の表情と関連づけながら、川端が求める実体と個物の説明を追っていく。顔の表情は、登場人物の説明の際にどんな作品の中でも使われているし、外界からの情報を受ける感覚器官(五感)とともに顔のシステムの入出力に対応している。
 感情は、階層で考えると瞬時の情動と継続の畏敬に枝分かれし、情動は、内からの創発と外からの誘発に分類できる。感情については、行動と組みになることを想定し、森鴎外の「山椒大夫」と「佐橋甚五郎」を分析したときに、バラツキによる統計も含めて「鴎外と感情」というシナジーのメタファーの作り方を説明した。(花村2017)顔の表情は、五感情報により刺激を受けるため誘発の方が多い。しかし、堪えていた感情が何かの拍子に出てしまうのは、創発の表情である。
 この論文では、購読脳の「無と創造」という出力が、人工知能の認知発達で目的達成となるかどうかが問題となる。また、人工感情と組になりそうな情報の認知1のセカンドのカラムとして顔の表情を設定し、(1)の公式を考える。

(1)「無と創造」(購読脳の出力)→「(五感)情報の認知1と顔の表情」→「人工感情」→「認知発達」

(1)が確認できれば、川端康成の執筆脳について、「川端と認知発達」というシナジーのメタファーが成立する。遠藤(1974)によると、様相論理の言語とそのモデル構造の分析の中に「無と創造」という組み合せがでてくる。バルカンの原理と呼ばれる様相文がある。モデル構造MQ <K、R、D>(Kは空でない可能世界の集合、RはK上の反射関係、Dは個物の領域)に対して「語Qであるものが存在しうるなら、Qでありうるものがすでに存在している」という意味のバルカン文 ((∀x) NPx → N(∀x) Px)(ここでNは必然でPは存在者)であり、何もない無からの創造を否定する言明である。

花村( 2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは4

4 認知発達型ロボティックス

 従来のロボティックスは、知能と身体の合体を目指していた。しかし、知能の組み込みが困難なため、設計の段階でロボットが自ら行動して学習し、内容を発達させていくような仕掛けを組み込もうと考えた。それが認知発達ロボティックスである。
 大宮(2010)によると、認知発達ロボティックスとは、知能発達機能が組み込まれた未完成の知能と胴体を合わせて未完成のロボットをまず作り、コミュニケーションや行動からロボット自身が活動の中で知能を発達させていく動的知能学のことをいう。つまり、身体を動かして初めてわかることがロボットの世界でもいえることになる。しかし、ここでは生まれたばかりの赤ん坊のような脳の活動ではなく、あくまで目的達成型の脳の活動を考えていく。
 認知発達ロボティックスは、未完成の知能と身体からなる組が上位で目的達成型ロボットと組になると考える。例えば、床掃除のロボットの場合、初めは部屋のどこに埃が溜まりやすいのか分からない。掃除を繰り返す経験知からソファーの下に溜まりやすいことがインプットされると、そこを掃除するときに、自動で吸引力が上がる。
 川端の「雪国」では、愛と組むと止揚する無が未知の知能で、愛が行動する身体となり、互いに否定し合いながら、両者を包むより高次の統一体に発展する。この統一体は、「雪国」の中で川端が感謝の気持ちを持って書いている愛情とし、それが目的達成型のAI(=認知発達)と組になると考える。愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。

花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは3

3 共生の読み

 「無と創造」という購読脳の出力は、情報の認知のための入力となって横にスライドしていく。このプロセスでは、非専門の系列(社会、情報、バイオ、メディカル)がブラックボックスにならないように、実務や資格などで実績を調節していく必要がある。(花村2015、2017)確かに文化科学や社会科学には、文化と栄養や法律とエネルギーなどLの研究フォーマットが存在する。しかし、人文科学には存在しない。あるいはなくてもよい。
 そもそも存在しないことについて考える場合でも、解を出せる分析法があれば、それは存在してもいいはずである。そこで、縦軸を言語の認知とし、その出力が入力となり、共生の読みのために横に滑って情報の認知を経てLの出力が出るフォーマットを考える。このLのモデルは、購読脳と執筆脳をマージするときに役に立つ。作家が執筆中に伝えようと思っていたことが理解できるのは、ことばの理解のみならず購読脳が執筆脳に近づいて行くためである。
 縦の柱の研究フォーマットであれば、Tの逆さの認知の定規をスライドさせながら、人文や文化の柱とその他の副専攻の柱を調節するだけである。
 共生の読みのゴールは、「無と創造」という購読脳の出力が入力となり、リレーショナルなデータベースを作成しながら、一文一文をLに読むと次第に見えてくる。人工知能の世界でいう何がしとか健常者の脳の活動でいう何がしということがつかめればよい。イメージとして、まだ知識のない人工知能が特定の目的を意識して次第に育っていく感じがよい。そう考えると、人間に見たてて川端と組みが作れそうである。
 なお、小説のデータベースは、既存の文学分析や様々な理系の研究と照合ができる文理のリレーショナルな研究ツールであり、コーパス、パーザー、翻訳メモリーさらには計量言語学と並んで、人文科学の人たちが取り組むべき人文と情報の組み合わせである。

花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは2

2 無と創造−川端康成の定義

 「雪国」の購読脳を「無と創造」という組にする。無については、川端(1979)の中で高田瑞穂が次のように定義している。
 無は、孤児として育った川端の原点ともいえる感情であり、あらゆる存在よりも広くて大きい自由な実在である。無とはこの青空よりも大きい見たこともない父母に通じ、愛と死が融けあって康成の文学が誕生した。特に、雪国の中では、無が愛と組になると止揚の暗示、つまり愛情となり、愛と死が組になれば、天井へ飛躍したり、時には地下へ埋没する。二つの矛盾対立する概念は、止揚により相互に否定し合いながら、双方を包むより高次の統一体へ発展していく。
 また、創造についても、川端が作品を書きながら、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を定め、人工的に畸形的に育てているとする。「雪国」の中では、島村がふと思い、呟き、動く存在で、駒子については指で覚えている女、葉子も眼に火がついてる女として繰り返されるところに康成の創造がある。
 確かに孤独な生い立ちもあって、「雪国」のみならず川端の作品には、愛情に対して感謝の気持ちがあるといわれている。(川端康成1979: 153)愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。「雪国」に記された島村と駒子が交わすやり取りの中に次のような一節がある。
 「でも、これが奉公かしらと思うことがあるくらい、うちの人はずいぶん大事にしてくれのよ。子供が泣いたりすると、おかみさんが遠慮して表へ負ぶって出て行くわ。なんの不足もないけれど、寝床の曲がってるのだけはいやね。帰りがおそいと敷いといてくれるのよ。敷布団がきちんと重なってなかったり、敷布がゆがんでたりでしょう。そんなのを見ると、情なくなって来るのよ。そうかって、自分で敷きなおすのは悪いわ。親切がありがたいから。」(川端康成1979: 84)
 おかみさんが子供を世話してくれることに対する駒子の感謝の気持ちと小さい注文が見え隠れする。奉公の身分にある駒子は、おかみさんの小さな親切がありがたい一方、布団もきれいに敷いといてもらえない自分の立場を考えもする。

花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは1

1 シナジーのメタファー

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロの分析方法である。基本のパターンは、縦が購読脳で横が執筆脳となるLのイメージを作り、各場面をLに読みながらデータベースを作成して全体を組の集合体にし、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探していく。
 これまでに考案しているシナジーのメタファーは、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」そして「ナディン・ゴーディマと意欲」である。それぞれの作家が執筆している時の脳の活動として文体を取り上げ、とりわけ、問題解決の場面を分析の対象にする。今回は、川端康成(1899−1972)の「雪国」(1948)を題材にし、購読脳の「無と創造」及び執筆脳とする「目的達成型の認知発達」について考察する。
 シナジーのメタファーの作り方については、花村(2018)の中で詳しく説明している。その中で執筆脳の定義は、作者が自身で書いているという事実並びに作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読みとした。つまり、この論文では、定番の読みと組みになる川端の「雪国」執筆時の脳の活動がリレーショナルデータベースを通した分析から目的達成型の認知発達に届けばよい。

花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

2023年02月09日

心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える7

まとめ

 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の登場人物に関する理解度についてデータベースから心理学統計による評価をしてみると、理解度に差があることが分かった。

参考文献
大山正・中島義明 実験心理学への招待 サイエンス社 2012
実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について 2020
島崎藤村 千曲川のスケッチ 新潮文庫 2004

心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える6

1 最初は作者と都会にいる友人とで理解度に差がないと予測する。両者の平均値を取ると、藤村 1.6、友人 0.4になる。この差は誤差の可能性がある。
2 具体度の1、2は独立変数であり、それにともなう理解度の大小は、従属変数になる。
3 独立変数そのものの1、2が要因で、独立変数の実際の値、理解度が水準になる。
4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。 
6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を説明する。
[満足度のt検定]
綾子 1.6、前川 0.4、よってt値=1.2。
自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
p値は、0.02にする。ここでは5%未満のため、帰無仮説を棄却して対立仮説を採択し、有意な差があるとする。

花村嘉英(2020)「心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える」より

心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える5

表2 具体度2

 私が君に山上の冬を待受けることの奈様に恐るべきかを話した。しかしその長い寒い冬の季節が又、信濃に於ける最も趣の多い、最も楽しい時であることをも告げなければ成らぬ。→小さい理解1、理解なし0 藤村1、友人0

 それには先ず自分の身体のことを話そう。そうだ。この山国へ移り住んだ当時、土地慣れない私は風邪を引き易やすくて困った。こんなことで凌いで行かれるかと思う位だった。実際、人間の器官は生活に必要な程度に応じて発達すると言われるが、丁度私の身体にもそれに適したことが起って来た。次第に私は烈しい気候の刺激に抵抗し得るように成った。東京に居た頃から見ると、私は自分の皮膚が殊に丈夫に成ったことを感ずる。→強い理解2、理解なし0 藤村2、友人0

 私の肺は極く冷い山の空気を呼吸するに堪えられる。のみならず、私は春先まで枯葉の落ちないあの椚林を鳴らす寒い風の音を聞いたり、真白に霜の来た葱畠を眺めたりして、屋の外を歩き廻る度に、こういう地方に住むものでなければ知らないような、一種刺すような快感を覚えるように成った。→強い理解2、理解なし0 藤村2、友人0

 草木までも、ここに成長するものは、柔い気候の中にあるものとは違って見える。多くの常磐樹の緑がここでは重く黒ずんで見えるのも、自然の消息を語っている。試みに君が武蔵野辺の緑を見た眼で、ここの礫地に繁茂する赤松の林なぞを望んだなら、色相の相違だけにも驚くであろう。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

 ある朝、私は深い霧の中を学校の方へ出掛けたことが有った。五六町先は見えないほどの道を歩いて行くと、これから野面へ働きに行こうとする農夫、番小屋の側にションボリ立っている線路番人、霧に湿りながら貨物の車を押す中牛馬の男なぞに逢った。そして私はこの人達の手なぞが真紅まっかに腫るほどの寒い朝でも、皆な見かけほど気候に臆してはいないということを知った。→弱い理解1、理解なし0 藤村1、友人0

花村嘉英(2020)「心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える」より

心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える4

2.3 「千曲川のスケッチ」の登場人物間で理解度が違う

 「千曲川のスケッチ」は、作者自身が信州の小諸に赴任してから文体の確立を目指して綴った自然や文化の観察記録である。ここでは、この小論の研究テーマ、藤村と都会にいる友人間で理解度に違いがあるかどうかについて作成したデータベースを基に考察していく。 

解答 藤村と都会にいる友人とで理解度が違う

表1 具体度1

私は今、小諸の城址に近いところの学校で、君の同年位な学生を教えている。君はこういう山の上への春がいかに待たれて、そしていかに短いものであると思う。四月の二十日頃に成らなければ、花が咲かない。梅も桜も李も殆ど同時に開く。城址の懐古園には二十五日に祭があるが、その頃が花の盛りだ。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

すると、毎年きまりのように風雨がやって来て、一時にすべての花を浚って行って了まう。私達の教室は八重桜の樹で囲繞されていて、三週間ばかり前には、丁度花束のように密集したやつが教室の窓に近く咲き乱れた。休みの時間に出て見ると、濃い花の影が私達の顔にまで映った。学生等はその下を遊び廻って戯れた。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

殊ことに小学校から来たての若い生徒と来たら、あっちの樹に隠れたり、こっちの枝につかまったり、まるで小鳥のように。どうだろう、それが最早もうすっかり初夏の光景に変って了った。一週間前、私は昼の弁当を食った後、四五人の学生と一緒に懐古園へ行って見た。荒廃した、高い石垣の間は、新緑で埋もれていた。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

私の教えている生徒は小諸町の青年ばかりでは無い。平原、小原、山浦、大久保、西原、滋野しげの、その他小諸附近に散在する村落から、一里も二里もあるところを歩いて通って来る。こういう学生は多く農家の青年だ。学校の日課が済むと、彼等は各自の家路を指して、松林の間を通り鉄道の線路に添い、あるいは千曲川の岸に随ついて、蛙の声などを聞きながら帰って行く。→弱い理解1、理解なし0 藤村1、友人0

山浦、大久保は対岸にある村々だ。牛蒡ごぼう、人参などの好い野菜を出す土地だ。滋野は北佐久の領分でなく、小県の傾斜にある農村で、その附近の村々から通って来る学生も多い。ここでは男女が烈しく労働する。君のように都会で学んでいる人は、養蚕休みなどということを知るまい。→弱い理解1、理解なし0 藤村1、友人0

花村嘉英(2020)「心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える」より

心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える3

2.2 実験計画

【研究テーマ】
質問 藤村と都会にいる友人で理解度に違いがある。
帰無仮説 藤村と都会にいる友人で理解度に差がない。
対立仮説 藤村と都会にいる友人で理解度に差がある。
【実験計画】
独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でいうと原因である。
従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
【要因と水準】
要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
【参加者間要因と参加者内要因】
参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
【有意確率】
帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤ってないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。

花村嘉英(2020)「心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える」より
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プロフィール
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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