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2012年09月18日

暮らしの中の自然 下駄


暮らしの中の自然 下駄

下駄(げた)は、日本の伝統的な履物。足を乗せる木製の板に、歯と呼ぶ接地用の突起部を
付け(歯がないものもある)、眼と呼ぶ孔を3つ穿ち、そこに鼻緒を通す。足の親指と
人差し指の間に鼻緒を挟んで履く。
(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。
呼び名の成立は戦国時代と推測され、下は地面を意味し、駄は履物を意味する。
それ以前は「アシダ」と呼称された。(漢字は様々な字があてられていた。)


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下駄の種類
足駄
歯を台に差込む構造のもの(初期には一木から繰りぬいた)。歯が通常のものよりやや高い。

平安時代後期から江戸時代ごろまで用いられ、江戸期にはもっぱら雨天の履物であった。
また、旧制高等学校生徒が履いていたのもこの種の下駄である(=朴歯の高下駄)。マント、弊

衣破帽、高下駄が 高校生のシンボルとされた。

山下駄
歯、台ともに一ツ木を刳りぬいてつくったもの。江戸初期に樵夫がつくって江戸に売りに
出たのでこの名がある。台が四角で、桐製が多かった。

吉原下駄
ほぼ山下駄に同じだが、杉製。鼻緒は竹皮。江戸初期から中期ごろ、吉原の遊び客が雨に
降られたときに待合茶屋が貸した。

ぽっくり下駄
吉原の花魁、嶋原の太夫に付く禿の履き物。舞妓、半玉、といった年少芸妓もこれを履く。
または一般の幼い女子や少女の履き物。逆台形の黒塗り、もしくは白木のやや高めの下駄。
畳表であることも。台の部分には豪華な金蒔絵などが施されることも。中に鈴を入れることも

あり、歩くと音がする。別の呼び方として、「おこぼ」、「こっぽり」、「こぼこぼ」など。

露卯(ろぼう)
差歯の下駄で、台に歯のホゾが見えるもの。江戸初期ごろ。

柳下駄
柳の台に朴歯。差歯が抜けにくいのが特徴で、上方からの下りもの。17世紀後半に花柳界で
はやった。

馬下駄
今の下駄の直接の祖先にあたる。杉製で差歯、角型。台の下をひし形に刳りぬいてある
ために歩くと馬の蹄のような音がしたという。

駒下駄
馬下駄をさらに進化させたもので、雨天だけではなく晴天にも履ける日和下駄である。
17世紀末期に登場し、広く男女の平装として用いられた。
明治以前におけるもっとも一般的な下駄である。

桐下駄
駒下駄登場の少し後から高級品、嗜好品として用いられるようになった。
初期は黒塗りであったが、後に木地のものがふつうになった。

小田原下駄
18世紀初頭、江戸の魚河岸で生れた。後の日和下駄、利久の原型。蟻さし歯を用いて
歯の根が台にあらわれず、歯がすり減れば入れなおすことができるという点が利点。
また鼻緒に革を用いたところに特色があり、全体的に上品な仕上げであった。
高級品であったが、河岸の魚屋が好んで履いた。

外方(げほう、下方とも書く)下駄
台は桐の柾目、歯は樫の木丸歯。下り坂で履き心地がよいとされて、18世紀初期に流行した。

菱や瓢箪の刻印を打って他のものと弁別したという。

助六下駄
歌舞伎十八番『助六』で主人公がはいている下駄。初演時(1713年)に流行した。
台は桐の糸柾目で、小判形、朴の差し歯。

右近下駄
表面がカーブした歯のない下駄。土踏まずの辺りをくりぬいている。現代では、
底にスポンジ張りが一般的。台表面に鎌倉彫などの装飾を施したものが多い。

日和下駄
足駄(雨天用)に対する意味でこの名がある。時期によって定義はいろいろとあるが、
男物の場合は角形で台は桐(糸柾目が高級品)、長さ七寸二〜三分(女物は五分ほど短い)。

歯は二寸二分程度がふつうで(大差という)、これを三寸三〜四分にすると(京差という)、

足駄(高足駄)というようになる。

利久下駄
差歯の日和下駄。主に上方のみでこの名がある。千利休が考案したといわれる。

吾妻下駄
日和下駄の表に畳を打ちつけたもの。江戸末期に流行した。桐の台、赤樫の歯。鼻緒は
ビロウドが多く、低いものが主流だった。

鉄下駄
木ではなく鉄で作られた下駄。

高下駄
歯が上下方向に長いもの。普通の下駄より高さがあり、履くと身長が高く見え、高下駄と
呼ばれる。歯が厚いものを書生下駄と呼んだり、歯が薄いものを板前下駄と称する。

厚歯
下駄の歯が前後の方向に厚い寸法のもの。高下駄で厚歯のものがあり、特にバンカラと
呼ばれた学生に愛用された。
金色夜叉で貫一がお宮を下駄で蹴り飛ばす場面で貫一が履いている下駄がこれである。

田下駄
弥生時代の遺跡からも発掘されている、日本で最も古い履き物。田んぼでの農作業に
使ったり湿地を歩くために使ったと思われる下駄。これが日本の下駄の原型だと思われる。

一本歯
下駄の歯は2本だが「一本歯下駄」も存在する。山道を歩くための下駄であり、
山の中で修行する僧侶や山伏などの修験者が主に用いた。このことが由来となって
天狗が履いていたとされ「天狗下駄」とも呼ばれる。
昔は越後獅子など芸能や曲芸をする者がバランス能力を見せるために履いたが、近年改めて
体のバランス感覚(平衡感覚)を養う、足腰を鍛える、整体やリハビリなどに良いとして
子供から大人まで履かれることもある。

下駄スケート
下駄の歯に鉄製の刃を取りつけた日本独特のスケート靴。明治から昭和30年代中頃まで
日本各地で用いられた。

八ツ割(ヤツワリ)
台表面にイグサや裂いた竹を編んだ表(おもて)を貼り、台自体に七つの切れ目を入れて
歩行時に足の裏に台が追随するようにした下駄。歯はない。地域により呼び名が異なり、
八ツ割は関西圏での呼び名。その形状から、雪駄に準ずる扱いをする場合もあるようで
あるが、明確ではない。現代では裏にゴム張りをされていることが多い。


『古事記』において、天の岩戸に籠もったアマテラス神の気をひくためにアメノウズメ神が
「桶を踏み鳴らし」踊った記述があるが、裸足で伏せた桶を踏み鳴らしてもさしたる音には
ならないだろうこと、木材や金属同士を打ち合わせ音を鳴らす行為は呪的意味をもつこと
から、アメノウズメ神は下駄を履いて桶を踏み鳴らしたのだという説がある。
これは、下駄は本来、呪的行為に使われる呪具であったという説の流れを汲む主張だが、
遅くとも中世にはそのような意味合いは失われていた、とする説が主流である。それでも、
甲高い音を立てて地を踏み鳴らす行為が呪術的意味で行われていた事例は、明治時代まで
確認できる。
タグ:下駄
posted by 豊後国主 at 17:05 | 生活の中の自然
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初参加 2010年 7月30日
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