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2017年05月08日

NEC PC98の牙城を崩したもの(前編)

PC98で書いたように、パソコンはNECのPC-98を持っていれば間違いないという時代がありました。1990年代前半のことです。

日本国内のパソコンシェアも、NECがダントツでした。
PC-98を持っていれば、使えるソフトも豊富だし、持っている人もたくさんいて、コピーも手に入りやすかったんですね。

今でもCDやDVDは大概、コピーできてしまうように、当時はソフト(アプリケーション)もコピーできる環境がありました。
名前は忘れてしまいましたけど、フロッピーの最小書き込み単位である、1セクタずつ忠実にコピーしていくソフト。
当時はまだソフトの供給媒体は、CDやDLでなく、フロッピーディスクが使われていましたから。

フロッピーを丸ごとコピーというのは面白く、フロッピーディスクのフォーマットに依存しません。
どういうことかというと、そのソフトを使えば、データでも何でもまったく同じものができてしまいます。
例えば、PC-98では読み込むことのできないワープロ専用機のデータディスクや、使えるはずもないワープロ専用機のシステムディスク、ゲーム専用機のフロッピーもPC-98でコピーできてしまいました。

何しろパソコンを持つなら、PC-98だと活用できて楽しい時代でした。

でも皮肉なことに、NECがダントツのシェアを誇っていたのは日本国内だけです。
フォーカスアウトして世界を見たとき、海外には海外のシェアがありました。

日本国内にはNECや、東芝、富士通、日立など各社あったように、海外にもIBMや、NeXT、Macintoshなど各社のパソコンがありました。
米Apple社のMacintoshは、現在でも相変わらず独自の路線を貫いています。
しかしNECのPC-98シリーズが台頭していた1990年代前半にはすでにIBMが世に出した「PC/AT」の互換機が、海外では市場を席捲するようになっていました。

そこであくまで重要なのは、決して「IBMが」ということではないのです。
IBMは、自社のパソコンを広めるには、周辺機器を充実させるのが大切だと考えました。
あろうことか、他社にもIBMのパソコンで使える周辺機器を開発してもらうため、取った手段がIBMのパソコン、PC/ATの仕様を公開することでした。

また、かつてIBM社はいち早くパソコン市場に乗り込むため、開発を急いでいました。
そのため、自社パーツで時間をかけて開発するより、他社のパーツを調達して組み上げる方法を選んだのです。

それでは誰でも公開された仕様通りにパーツを集め組み上げると、まるでPC/ATパソコンが出来上がります。
これがPC/AT互換機です。

思うにIBM社の戦略は浅はかでした。
タグ:PC98
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