2017年11月09日
吉田拓郎「外は白い雪の夜」 〜私の男女観〜
ふと思い出した歌。
吉田拓郎さんの「外は白い雪の夜」。
ある男女の別れを描いた歌。
1978年発表の歌です。
(YouTube:Shige Nishida)
1978年といえば吉田拓郎さんは32歳だから、リアルタイムの歌というよりは、昔を振り返ったか、昔をイメージした歌だと思います。
歌詞からすると、まだ男性が主導権を握っているというか、悪く言うと“威張っている”ふうに聞こえます。
それは吉田拓郎さんだからかも知れませんが、歌われている時代そのものは男性優位だった時代に思えます。
少し前の歌に、河島英五さんの「酒と泪と男と女」があります。それもまだ男性がわがままを通している時代。1979年発売、BOROの「大阪で生まれた女」も女性が大阪を捨て、男性についていく歌です。
私は決してそれが良いと言っているわけではありません。
かといって悪いと言っているわけでもありません。
きっと、女性が強いとか男性が強いというのは、カップルそれぞれであり、表向きは男性が威張っていたと言われる江戸時代だって、家に帰れば夫がシュンと小さくなっている家庭はたくさんあったろうと思います。
ただ、それを世間がどう取るかで、男性が威張るのが普通だったのが過去で、現在では逆転したのが時代の移り変わりではないかと思っています。
これは私の印象でしかありませんが、その逆転の始まりというのがどうも、テレビでピンクレディーが出てきた頃ではないかと思うんです。
ピンクレディーはご存知ですね?
1976年に「ペッパー警部」でデビューし、「S・O・S」、「カルメン77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」、「UFO」とか「サウスポー」などで爆発的にヒットした女性二人のグループです。
男性から支持を受けていたのはもちろん、女の子たちからの支持が圧倒的に強かったグループで、歌の内容も女性目線で女性が主導権という路線は、それまでほとんどなかったと思います。
この「勢い」は、今の時代を作る礎になっていると私は思っています。
しかし、私の「男女観」は、あくまでどっちもどっちです。平等です。
それぞれ得意なことも苦手なこともある。
一般に地図を見るとか、空間認識が不得意な女性は、コミュニケーション能力に長けている。
機械や論理的なことが得意な男性と、清潔的で繊細な感覚を持ちうる女性。
それぞれ一長一短あるわけだから、足りない部分を互いに助け合えばいい。
だからカップルとなり、夫婦となり人類数十万年の歴史を築いてきたのではないでしょうか。
彼女のこと、彼氏のことをリスペクトしている。リスペクトできるからこそ愛せるのではないでしょうか。
子供は女性しか産むことができません。男性がいなければ子供はできません。
子育てだって女性と男性が得意不得意を分担するからこそ、うまく行くのだと思います。
下ネタになるので詳細には書けませんが、なぜ男性が毛深いのか、女性が小柄なのか、でも一時的に女子の成長が男子を上回る時期がある。関節にしても女性がペッタン座りできるのはなぜか。
考えていくと、自然は見事に男女を作り上げたものだと驚きます。
そこで、
「女ってさ!」とか、「男ってさ!」
という話題がバカバカしいとしか私には思えません。
ただ、体格的な差は、いかんともしがたいので、女性が男性に威圧感を感じるとか、痴漢の問題もあります。社会的には「男女雇用機会均等法」というのがあるくらいだから、均等ではない。
それらのことから、女性が持つ不満の方が大きいと思います。また、男性はそういうことに無神経であるとも思います。
それだからか、女性の方が「男ってさ!」という機会が多いんだと私は思うし、実際にそう感じます。
そんな今でも男性を立てる女性はいるし、女性に優しい男性もいます。
これはいつまでもそうあり続けると思います。
-------------------
話は回帰します。
冒頭の吉田拓郎さん。
「外は白い雪の夜」
これは、1982年、武道館で行われたLIVE、「王様達のハイキング」での映像です。
吉田拓郎さんは1966年、大学生時代に活動を始め、1972年に「結婚しようよ」と「旅の宿」でメジャーになったアーティストです。
彼が作曲して他のミュージシャンたちに提供した歌は、調べて全部書くには寝不足必至なので割愛します。
でも、森進一さんの「襟裳岬」は、かなり有名でしょう。
古くは天地真理さんとか、もっと前からも。新しくはKinKi Kidsにも提供しています。
また、フォークミュージックを一般にしたのは吉田拓郎さんです。それまでフォークミュージックは、長髪で反社会的な若者たちの音楽というレッテルを貼られていたものを、普通の音楽として認識させるに至ったのは吉田拓郎さんです。
で、
私がはじめて吉田拓郎さんの歌を聞いたのは、隣の姉の部屋から聞こえたきた「落陽」です。
「なんだ?この歌は。」
とても印象に残る歌でした。そして何度も聞きたくなりました。1970年代です。
数年前に新聞でその歌が取り上げられ記事になり昔、実際に起こったことを作詞者に送り作詞され、吉田拓郎さんが歌にしたというのを知りました。
吉田拓郎さんのファンなら言わずと知れた、名曲です。
LIVE「王様達のハイキング」で吉田拓郎さんは「落陽」を歌います。
歌いだして間もなく、会場に大合唱が起こります。
初め、吉田拓郎さんは「ウソだろ?」というのか、照れくさいのか、ニタニタ笑っています。
そもそも「王様達のハイキング」がもう何年振りのLIVEだったので、吉田拓郎さんも「落陽」が持つ、世間の潜在意識や相変わらずの支持度を知らなかったのでしょう。
でも、
その大合唱が止まらない。手拍子も止まらないまま。
やがて吉田拓郎さんは動きを止め棒立ちになり、大合唱に圧倒されます。
ご覧になった方はご承知のことと思います。
しかし、知らない方で、興味のある方には絶対に見ていただきたい映像です。
YouTubeにはありません。
でも先日失敗したニコ動にはあります。
もしまた見られないようでしたら、先にお詫びしておきます。
(niconico:64523419(GINZA))
吉田拓郎さんの「外は白い雪の夜」。
ある男女の別れを描いた歌。
1978年発表の歌です。
(YouTube:Shige Nishida)
1978年といえば吉田拓郎さんは32歳だから、リアルタイムの歌というよりは、昔を振り返ったか、昔をイメージした歌だと思います。
歌詞からすると、まだ男性が主導権を握っているというか、悪く言うと“威張っている”ふうに聞こえます。
それは吉田拓郎さんだからかも知れませんが、歌われている時代そのものは男性優位だった時代に思えます。
少し前の歌に、河島英五さんの「酒と泪と男と女」があります。それもまだ男性がわがままを通している時代。1979年発売、BOROの「大阪で生まれた女」も女性が大阪を捨て、男性についていく歌です。
私は決してそれが良いと言っているわけではありません。
かといって悪いと言っているわけでもありません。
きっと、女性が強いとか男性が強いというのは、カップルそれぞれであり、表向きは男性が威張っていたと言われる江戸時代だって、家に帰れば夫がシュンと小さくなっている家庭はたくさんあったろうと思います。
ただ、それを世間がどう取るかで、男性が威張るのが普通だったのが過去で、現在では逆転したのが時代の移り変わりではないかと思っています。
これは私の印象でしかありませんが、その逆転の始まりというのがどうも、テレビでピンクレディーが出てきた頃ではないかと思うんです。
ピンクレディーはご存知ですね?
1976年に「ペッパー警部」でデビューし、「S・O・S」、「カルメン77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」、「UFO」とか「サウスポー」などで爆発的にヒットした女性二人のグループです。
男性から支持を受けていたのはもちろん、女の子たちからの支持が圧倒的に強かったグループで、歌の内容も女性目線で女性が主導権という路線は、それまでほとんどなかったと思います。
この「勢い」は、今の時代を作る礎になっていると私は思っています。
しかし、私の「男女観」は、あくまでどっちもどっちです。平等です。
それぞれ得意なことも苦手なこともある。
一般に地図を見るとか、空間認識が不得意な女性は、コミュニケーション能力に長けている。
機械や論理的なことが得意な男性と、清潔的で繊細な感覚を持ちうる女性。
それぞれ一長一短あるわけだから、足りない部分を互いに助け合えばいい。
だからカップルとなり、夫婦となり人類数十万年の歴史を築いてきたのではないでしょうか。
彼女のこと、彼氏のことをリスペクトしている。リスペクトできるからこそ愛せるのではないでしょうか。
子供は女性しか産むことができません。男性がいなければ子供はできません。
子育てだって女性と男性が得意不得意を分担するからこそ、うまく行くのだと思います。
下ネタになるので詳細には書けませんが、なぜ男性が毛深いのか、女性が小柄なのか、でも一時的に女子の成長が男子を上回る時期がある。関節にしても女性がペッタン座りできるのはなぜか。
考えていくと、自然は見事に男女を作り上げたものだと驚きます。
そこで、
「女ってさ!」とか、「男ってさ!」
という話題がバカバカしいとしか私には思えません。
ただ、体格的な差は、いかんともしがたいので、女性が男性に威圧感を感じるとか、痴漢の問題もあります。社会的には「男女雇用機会均等法」というのがあるくらいだから、均等ではない。
それらのことから、女性が持つ不満の方が大きいと思います。また、男性はそういうことに無神経であるとも思います。
それだからか、女性の方が「男ってさ!」という機会が多いんだと私は思うし、実際にそう感じます。
そんな今でも男性を立てる女性はいるし、女性に優しい男性もいます。
これはいつまでもそうあり続けると思います。
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話は回帰します。
冒頭の吉田拓郎さん。
「外は白い雪の夜」
これは、1982年、武道館で行われたLIVE、「王様達のハイキング」での映像です。
吉田拓郎さんは1966年、大学生時代に活動を始め、1972年に「結婚しようよ」と「旅の宿」でメジャーになったアーティストです。
彼が作曲して他のミュージシャンたちに提供した歌は、調べて全部書くには寝不足必至なので割愛します。
でも、森進一さんの「襟裳岬」は、かなり有名でしょう。
古くは天地真理さんとか、もっと前からも。新しくはKinKi Kidsにも提供しています。
また、フォークミュージックを一般にしたのは吉田拓郎さんです。それまでフォークミュージックは、長髪で反社会的な若者たちの音楽というレッテルを貼られていたものを、普通の音楽として認識させるに至ったのは吉田拓郎さんです。
で、
私がはじめて吉田拓郎さんの歌を聞いたのは、隣の姉の部屋から聞こえたきた「落陽」です。
「なんだ?この歌は。」
とても印象に残る歌でした。そして何度も聞きたくなりました。1970年代です。
数年前に新聞でその歌が取り上げられ記事になり昔、実際に起こったことを作詞者に送り作詞され、吉田拓郎さんが歌にしたというのを知りました。
吉田拓郎さんのファンなら言わずと知れた、名曲です。
LIVE「王様達のハイキング」で吉田拓郎さんは「落陽」を歌います。
歌いだして間もなく、会場に大合唱が起こります。
初め、吉田拓郎さんは「ウソだろ?」というのか、照れくさいのか、ニタニタ笑っています。
そもそも「王様達のハイキング」がもう何年振りのLIVEだったので、吉田拓郎さんも「落陽」が持つ、世間の潜在意識や相変わらずの支持度を知らなかったのでしょう。
でも、
その大合唱が止まらない。手拍子も止まらないまま。
やがて吉田拓郎さんは動きを止め棒立ちになり、大合唱に圧倒されます。
ご覧になった方はご承知のことと思います。
しかし、知らない方で、興味のある方には絶対に見ていただきたい映像です。
YouTubeにはありません。
でも先日失敗したニコ動にはあります。
もしまた見られないようでしたら、先にお詫びしておきます。
(niconico:64523419(GINZA))
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