2017年09月18日
Dynabook
私が単独事故「悪い記念日」後、手にしたPCがDynabookでした。
事故からの回復にはかなり時間を要したので、PCも想像以上に進化していました。
事故前の8ビットCPUが16ビットに。
各社独自のOSが、MS-DOS主流という時代に。
Dynabookというと、ノートパソコンで、東芝と思うでしょう?
確かにそうなんですけど、Dynabookの起源はXerox社なんです。
1970年にダイナブック構想がXeroxのパロアルト研究所で策定されたとあります。
今のWindowsやMacintoshで標準の“マウス”と“マルチウィンドウ”のインターフェイスはダイナブック構想にありました。
Xerox社といえば、コピー機で有名ですね。今ではオフィスにコピー機は当たり前になっていますが、昔は大きなコピー機が「デーン」と占有する部屋を“ゼロックス室”、コピーを頼むのは「ゼロックスして」と言いました。
Xerox社はアメリカのXeroxコーポレーションが本家で、イギリスに子会社Rank Xeroxを設立。Rank Xeroxと富士フィルムが50%ずつの出資で日本に“富士ゼロックス社”を設立しました。
(そのようにXerox社の研修で習いましたけど、Wikipediaだと持株比率が違っています。)
昔に聞いた話だと、富士フィルムでなく、東芝と合弁の予定だったと。では東芝ゼロックス?
それを裏付けるように、XeroxでもDynabookを発売していました。OEMです。
私が入手したのはXeroxのDynabookでした。
DynaBook J-3100GS 001
スペックはこんなものでした。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/bellwood/dynabook286.htm(東芝Dynabook)
東芝のDynabookはグレー一色なのに、Xeroxは、ディスプレイを閉じると、ブルーの帯が一本入っていました。
電源を入れると、まずフロッピーディスクドライブがアクセスします。
NECのPC-98シリーズはフロッピーディスクが入っているときだけアクセスするのに対し、Dynabookはディスクドライブが空でもアクセスします。
そのとき、
「グ、グ」っと、特徴的な音がしました。
それは、「NEC PC98の牙城を崩したもの(中(前)編)」にも書いていますが、PC/AT互換機ならではで、
「とうとう私も、PC/AT互換機を手にしたんだ!」
という嬉しさもありました。
今と比べるとスペックは比較にならないほど貧弱です。それでも1990年当時は、十分でした。
用途は、一太郎Dash(ワープロ)、Rotus1-2-3(表計算)、ASKA(カード型データベース)。
そのくらい。インターネットなんてまだありません。一部のオタッキーがパソコン通信をしていたくらいでした。
3.5インチフロッピーが使え、フロッピーディスクから起動するソフトがいくつも。
ハードディスクなんて、まだまだ一般人が手に入るものではありません。
その代わり、メモリカードなるものがありました。
SDカードではありません。昔のPCカード大です。クレジットカードや運転免許証のサイズです。
厚みは3mmくらい?
電源を切っても消えることのない不揮発性のメモリです。
扱いは今のハードディスクと全く同じ。
ソフトをインストールできる。データを書き込める。初期化できる。
容量は、、、
1MBとか、2MBとか。
だんだんと容量も大きくなり、価格も下がってきて、4MBが2万円くらいになったとき、購入しました。
4MBです。
3.5インチフロッピー3枚弱です。それが2万円になったから安いと、、、(笑)
それでも全体のスペックがそのくらいだったから、十分だったんです。
一太郎と、表計算、データベースがフロッピーなしで立ち上がる。
メモリカードは、今のSSDのようなものです。
しかし当時はWindowsでなく、まだMS-DOS3.1。
軽い軽いOSが、メモリカードから立ち上がる速さといったら、快感そのものでした。
事故からの回復にはかなり時間を要したので、PCも想像以上に進化していました。
事故前の8ビットCPUが16ビットに。
各社独自のOSが、MS-DOS主流という時代に。
Dynabookというと、ノートパソコンで、東芝と思うでしょう?
確かにそうなんですけど、Dynabookの起源はXerox社なんです。
1970年にダイナブック構想がXeroxのパロアルト研究所で策定されたとあります。
今のWindowsやMacintoshで標準の“マウス”と“マルチウィンドウ”のインターフェイスはダイナブック構想にありました。
Xerox社といえば、コピー機で有名ですね。今ではオフィスにコピー機は当たり前になっていますが、昔は大きなコピー機が「デーン」と占有する部屋を“ゼロックス室”、コピーを頼むのは「ゼロックスして」と言いました。
Xerox社はアメリカのXeroxコーポレーションが本家で、イギリスに子会社Rank Xeroxを設立。Rank Xeroxと富士フィルムが50%ずつの出資で日本に“富士ゼロックス社”を設立しました。
(そのようにXerox社の研修で習いましたけど、Wikipediaだと持株比率が違っています。)
昔に聞いた話だと、富士フィルムでなく、東芝と合弁の予定だったと。では東芝ゼロックス?
それを裏付けるように、XeroxでもDynabookを発売していました。OEMです。
私が入手したのはXeroxのDynabookでした。
DynaBook J-3100GS 001
スペックはこんなものでした。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/bellwood/dynabook286.htm(東芝Dynabook)
東芝のDynabookはグレー一色なのに、Xeroxは、ディスプレイを閉じると、ブルーの帯が一本入っていました。
電源を入れると、まずフロッピーディスクドライブがアクセスします。
NECのPC-98シリーズはフロッピーディスクが入っているときだけアクセスするのに対し、Dynabookはディスクドライブが空でもアクセスします。
そのとき、
「グ、グ」っと、特徴的な音がしました。
それは、「NEC PC98の牙城を崩したもの(中(前)編)」にも書いていますが、PC/AT互換機ならではで、
「とうとう私も、PC/AT互換機を手にしたんだ!」
という嬉しさもありました。
今と比べるとスペックは比較にならないほど貧弱です。それでも1990年当時は、十分でした。
用途は、一太郎Dash(ワープロ)、Rotus1-2-3(表計算)、ASKA(カード型データベース)。
そのくらい。インターネットなんてまだありません。一部のオタッキーがパソコン通信をしていたくらいでした。
3.5インチフロッピーが使え、フロッピーディスクから起動するソフトがいくつも。
ハードディスクなんて、まだまだ一般人が手に入るものではありません。
その代わり、メモリカードなるものがありました。
SDカードではありません。昔のPCカード大です。クレジットカードや運転免許証のサイズです。
厚みは3mmくらい?
電源を切っても消えることのない不揮発性のメモリです。
扱いは今のハードディスクと全く同じ。
ソフトをインストールできる。データを書き込める。初期化できる。
容量は、、、
1MBとか、2MBとか。
だんだんと容量も大きくなり、価格も下がってきて、4MBが2万円くらいになったとき、購入しました。
4MBです。
3.5インチフロッピー3枚弱です。それが2万円になったから安いと、、、(笑)
それでも全体のスペックがそのくらいだったから、十分だったんです。
一太郎と、表計算、データベースがフロッピーなしで立ち上がる。
メモリカードは、今のSSDのようなものです。
しかし当時はWindowsでなく、まだMS-DOS3.1。
軽い軽いOSが、メモリカードから立ち上がる速さといったら、快感そのものでした。
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