7月1日はどうしても忘れることのできない日です。
虫の知らせ
にも書きました。
20歳のとき、単独事故を起こした日です。
いつの間にか、あれから30年以上が経ってしまいました。
あの当時、耳鼻科へ通っていました。
住んでいた町がとても小さな町だったので、耳鼻科がありませんでした。
片道1時間かけて、街の耳鼻科へ通っていたんです。
確か、週1回くらい。
喧嘩をした、、
というか、酒を飲んでいるうちに知人と絡み合い、振り下ろしてきた手のひらが運悪く私の左耳を直撃しました。
翌朝、「ビーン」という耳鳴りがし、数日経っても治る気配がないことから、耳鼻科へ通い始めたのです。
仕事には遅れていくわけなので道中、少し急いでいました。
確か前の週にはそれらしい気配があったと思います。
舗装を敷き直す予兆が。
あの日はアスファルトを敷いた翌日くらいだったのだと思います。
しかも、雨が降ったあとでした。
滑るのはわかっていたのですが、油断があったんです。
前の車を追い越しました。
追い越して自車線に戻るとき、滑ったのです。
事故で頭をケガしたため、その時の記憶はほぼありません。
それでも思い出せたのは、車が滑り出したとき、一瞬、
「アンダーステア?」(前輪が滑り、曲がり切れない状態)
と感じました。
直後に、
「まさか、オーバーステアだ!」(後輪が滑り、スピンする状態)
この一瞬の躊躇が事故の原因でした。
おぼろげに憶えているのは、オーバーステアと理解してから、右手でハンドルの上を持ち右へ、右手が真下になるまでカウンターを当てたということ。
舗装道路の上で、スピードもかなり出ていましたから、ハンドルを180度も切る時点ですでに終わっていました。レースの経験もない私にはそれ以上、車をコントロールすることはできませんでした。
あとは対向車線のガードロープ支柱まで一直線。
写真を見るとお分かりと思います。ガードロープの支柱にぶつかったことで大破して、タイヤの役目を果たさなくなった左前輪を中心に、まるでコマのようにクルクルと回りながら、自車線の路肩に突っ込んだといいます。
これは後に、対向車線を走っていた人から聞きました。
前からガードロープ支柱にぶつかったとき、シートベルトで車外に投げ出されることはありませんでした。
入院後しばらく、シートベルトの跡が胸に残っていました。
その後、路肩に突っ込んだ車はそこで止まります。しかし、勢い余った私はシートの背をブチ折り、シートベルトの隙間からスポッと抜け、リアガラスを打ち抜いて車外に放り出されました。
写真ではわかりづらいですが、後ろは線路です。
対向車線を走っていた人、後続の車の人、何人か車を止め、降りて下さって私の救護に当たって下さいました。
後続の車には看護師さんが乗っていました。救急車が来るまで、応急処置をして下さいました。
ただ、車外に投げ出された私は、しばらく見つからなかったといいます。
しばらくして、線路の上にうずくまっているのを見つけられたと聞きました。
たぶん、線路には頭から落ちたのだと思います。
そのとき、後頭部を強打。頭蓋骨陥没骨折に。
背中がボッキリ折れたシート。
写真の車は先輩から格安で買った車。確かレカロのバケットシートを付けていました。
でも、買う時にはシートは外すというのが条件だった。
運転席のシートがない状態で買ったわけです。
たまたま、同級生から3000円で買った正体不明のバケットシートがあったので、それを付けました。
5000円のシートだったら、折れなかったかも、、、
冗談ですが、いま命があることを感謝しています。
車を止めて、私を探してくれた方々、応急処置をして下さった方々。感謝です。
それら皆、あとから聞いた話で、私の記憶ではありません。
もう一つ、あとから聞いた話があります。
それが、
私の追い越した車は黒いクラウンだったと。
後続の方々はその黒いクラウンと私が、じゃれ合っているのかと最初思ったのだそうです。
じゃれ合っているのは友人同志だから。
ところが私が事故になって、当然クラウンも止まると思っていたのに、そのまま行ってしまった。
なら、あのクラウンは走行妨害じゃなかったのか?
という話を。
それが本当なら、クラウンは追い越されないようにスピードを上げた。私もさらにスピードを上げ、自車線に戻るとき急ハンドルになってしまった。
何となく、何かムキになった記憶があるような、ないような、
今のようにドライブレコーダーがあれば、どうなっていたのか。
これこそ「後の祭り」ですね。
あれからもう30と何年も経ってしまいました。でも、まだ10年後のときには思い出して震えていました。
また、当時私はPCに興味があり、毎晩コンピュータ言語のBASICインタプリタを解析しようとプロットプリンタ(笑)でインタプリタの逆アセンブラを印刷していました。
その知識を買いかぶられたのか、カシオ計算機からスカウトされていたんです。
でもあの事故で頭をケガしたため、回復まで3年間かかりました。当然、転職どころではありません。
私の人生を変えた事故であったのは間違いないようです。
2017年07月01日
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