2018年07月11日
心の重りをとってあげる。
人の事を可愛そうだと思うのは
自分に当てはめてしまっているだけで
本当にその人が可愛そうかと言うと、実は本人は全く悲しんでいないかもしれない。
人に対して思ってしまう事でも、聞いた訳ではなく勝手に自分が感じているだけで
確認しない限りは自分基準の考えであり
人の考えとは違うのが現実。
それなのに、自分まで悲しい気持ちになる意味はあるのだろうか…。
また、
よくお仕事でカウンセリングをしていた時に
いつも、いつも悩んでいる方がいた。
初めは体の事を気にされていて、自分の心の重りに気がついていなかった。
けれど、お話を聞いているうちに
その体の辛さは心から来るものだと感じた。
自分の体が辛く重たい。
動けないし何もやる気にならない。
そういった方の殆どが、何かしらのストレスを抱えており
しかも、自分の事ではなく人の事を気にしすぎていたり
偏った考えから切り替えが出来ずに一つの事に囚われ過ぎていた。
しかもそれは解決しない内容だったり
自分自身の問題ではないのに自分の問題のようにずっと考えていたり。
人の事を気にして苦しんでいる真面目な方が多かった。
自分の大切な人や周りの事を気にしすぎた結果
心が不安感のストレスでいっぱいになり、体に影響が出てきてしまう。
けれど、第三者から聞いてみると
そこまで苦しむ事は無いのに、大切な自分の心と体をわざわざ苦しめるのは勿体無いように感じる。
悩んでいる方のほとんどは
優しすぎる人
心配性な人
人から良く思われたい人
自分の過去のトラウマが消せない人
マイナスに考えてしまう人
これら原因で、心が弱くなってしまっているように感じた。
他者を自分と同じように考え、
自分がこの人だったらどう思うだろ…。
などと想像する。
けれど、あくまでもその想像は自分から発したもので予想にすぎない。
それが、明るい考えなら良いけれど
暗い考えなら他者にとっても自分にとっても意味がないように思う。
もしも、その相手が同じような考えの場合、
お互いを気にし合って完全に悪循環になってしまう。
よく、昔から
人の気持ちを考えられる人が良い人だと言われてきたけれど
本当にそうなのだろうか?
確かに思いやりは大切なことだし
人に見返りなく優しく出来たり
気遣いが出来る人は素敵だ。
でも、その事と人の心を決めつけてしまう事というのは少し違うように思う。
自分の心をその人に当てはめても、当てはまるわけが無い。
人の痛みを理解しなさいといわれても、その人じゃないのだから理解出来ない。
人の痛みを理解した事でその人の痛みが消えるわけではなく、ただ便乗して二人で困ったというのは
解決にはならない。
人の痛みを一緒になって悲しむよりも
楽しみや、希望を持ってもらえるくらい
自分は元気でいた方が良いし
自分にも優しくしてあげなければ、そもそも人を助けるだけの元気が出ない。
辛そうなら『可愛そうに…』ではなく、その辛さを忘れてしまう事を提供する方が良い。
それとか、特に態度を変えずにいつもどおり普通に接する方が相手からしても気軽である。
自分も相手も『気軽』にならなきゃ
いつまでたってもプラスに進めない。
『重たい心』なんて捨ててしまっても全然痛くない。
周りが心配した態度をとる事が優しさなのだろうか?
それは、重りを2倍にしているだけである。
本当の思いやりは、便乗よりも、
自分の心の重りをとって軽い心で相手に接してあげる事
それも優しさなのではないだろうか?
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