2016年11月10日
吉良城跡
9月の末に休暇が取れたので、午後からの天気は怪しかったのですが
土佐戦国の7守護の一人である吉良氏の城跡「吉良城跡」に行ってきました。
城ナビによって東側に案内されてしまい、登り口がわからず付近を探索していると、
作業をしている地元の老人の方がいたので声をかけてみました。
すると、道はきついが逆側の谷から登るとよいと教えていただきました。
「春野弘岡上保育園」の先に地元の方々が作っている下の看板がありました。
車を止めるスペースが付近になく、あきらめようとした時に地元の方が声をかけてくれ
空き地に駐車をしていざ吉良城跡へ・・・。
登り口にはステンレス製の城跡看板がありました。
この看板の先の登り口には巨大な谷が目に飛び込んできました。
いきなりのきつい山道をひたすら登っていくと、ところどころ危険地帯があり、地元の方がロープや竹で
ガードをしてくれています。
吉良城跡は北嶺と南嶺とからなり、北嶺を中心に堀切や竪堀の遺構が良好な状態で残っています。
今回縄張り図を持たずに思い付きで登ったこともあり、南嶺については遺構を見ることができませんでした。
次回は是非案内してほしいということを言われているので、ゆっくりと南嶺の遺構も見てみたいと思います。
まず目に飛び込むのが吉良城の南嶺と北嶺を断ち切る堀切遺構、ここには竹橋が架かっています。
竹橋の上から堀切下を覗いてみました。
この堀切の竹橋を渡ると詰ノ段の切岸が眼前に飛び込んできます。
この切岸に向かって右側に道らしきものがあったので、詰ノ段に登っていくと、石積みがありました。
詰に登ってみると、南側に約2mぐらいの台状地形の「狼煙台」らしき遺構がありました。
南に半円状に広がって下方の南ノ段に傾斜しています。
詰ノ段の周りには全体にわたり小さな割石によって石を積み平坦地を作っているようですね。
南部分を除いては急峻な地形で詰らしく浮きあがったような地形で構成されています。
平坦部の各所には割石が散在しているところがありました。
詰はさておき、次に進みたいと思い詰の北側をのぞき込むと・・・。
「うぎゃーっ!」
強烈な切岸と堀切が僕の進軍を阻むのでした・・・。
恐るべし・・・、吉良城。
本日はこの辺で・・・。次回に続く。
土佐戦国の7守護の一人である吉良氏の城跡「吉良城跡」に行ってきました。
城ナビによって東側に案内されてしまい、登り口がわからず付近を探索していると、
作業をしている地元の老人の方がいたので声をかけてみました。
すると、道はきついが逆側の谷から登るとよいと教えていただきました。
「春野弘岡上保育園」の先に地元の方々が作っている下の看板がありました。
車を止めるスペースが付近になく、あきらめようとした時に地元の方が声をかけてくれ
空き地に駐車をしていざ吉良城跡へ・・・。
登り口にはステンレス製の城跡看板がありました。
この看板の先の登り口には巨大な谷が目に飛び込んできました。
いきなりのきつい山道をひたすら登っていくと、ところどころ危険地帯があり、地元の方がロープや竹で
ガードをしてくれています。
吉良城跡は北嶺と南嶺とからなり、北嶺を中心に堀切や竪堀の遺構が良好な状態で残っています。
今回縄張り図を持たずに思い付きで登ったこともあり、南嶺については遺構を見ることができませんでした。
次回は是非案内してほしいということを言われているので、ゆっくりと南嶺の遺構も見てみたいと思います。
まず目に飛び込むのが吉良城の南嶺と北嶺を断ち切る堀切遺構、ここには竹橋が架かっています。
竹橋の上から堀切下を覗いてみました。
この堀切の竹橋を渡ると詰ノ段の切岸が眼前に飛び込んできます。
この切岸に向かって右側に道らしきものがあったので、詰ノ段に登っていくと、石積みがありました。
詰に登ってみると、南側に約2mぐらいの台状地形の「狼煙台」らしき遺構がありました。
南に半円状に広がって下方の南ノ段に傾斜しています。
詰ノ段の周りには全体にわたり小さな割石によって石を積み平坦地を作っているようですね。
南部分を除いては急峻な地形で詰らしく浮きあがったような地形で構成されています。
平坦部の各所には割石が散在しているところがありました。
詰はさておき、次に進みたいと思い詰の北側をのぞき込むと・・・。
「うぎゃーっ!」
強烈な切岸と堀切が僕の進軍を阻むのでした・・・。
恐るべし・・・、吉良城。
本日はこの辺で・・・。次回に続く。
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ところで中世山城の建設は、普通の人は勝手に土木工事を行えなかったのですか。
陰陽道で季節によって土を触ると祟られるとか。たたりを免れるのは、陰陽師や河原者たち
だけっだったというのは、土佐もですか?
中世山城入門って感じ。友人を誘って行くのに丁度です。楠目はとっても興味深い所
でした。何回か行くと良さがもっと分かると思います。近世の城はたくさん行って
ますが中世山城は自然な感じがいいです。山城は軍事的拠点なので、誘い込んで、お命ちょうだい
というわけ。行きやすい場所に誘っておいてグサ、バサっと。
現代でも楽しい場所に誘っておいて、金なんかを取られることも。
今も昔も結構危険はあるものですね。山城でふっと考えました。