2020年03月24日
記録するという事
最近書いている記事は 2016年のものだ
今までのことはもちろんのこと
ブログにアップする時には 当時の手帳を傍らに開く
不思議なことに 見返して見るたびに
そこに書かれている当時のことが
その空気感や情景の細部まで思い起こす事ができる
印象に残っている物事は 脳内に全て素早く再現できるほどだ
「書く」事が大好きで 「記録」する事が趣味に近い
一日1ページの手帳を 毎日何かしらの出来事で埋めている
自分が関心・関係を持つあらゆる人や出来事・物の話題で・・・・
「書く」という作業によって 自分をなるべく客観視できるように
意識的に訓練していると言ってもいい
でないと
どうしていいのかわからず 取り乱すだけの感情の時もあるから
けれど 先日 実家にある父の手帳を見た時に
少し複雑な気持ちになった
父は 恐ろしく達筆な人で
彼が中学生当時のノートも残っているが
とにかく娘の自分から見ても 素晴らしい文字と 絵を描く
理科系の授業の板書は その図まで教科書のように正確無比だ
私にとって このノートは宝物だ!
その父が長年綴った日記が 本棚にズラーーっと並んでいる
今の父は もう文字を書くことはもちろん
筆記用具を持つことすらしないし できない
一昨年半ばに 家の書類にサインしてもらう事があり
そのたどたどしい文字の羅列を見て ショックだった
もし 今 父がいなくなったらこの手帳たちはどうしよう?
全て読み返して見たい気持ちもあるが 果たしてそのまま
保管していくべきものなのだろうか?
5行日記のような手帳やノート達 父の心情とプライバシーの塊だ
極私的な一般人の手帳・・・
自分にとっては 「父」のものだから こだわりがあるのだろう
それを自分に置き換えた時
自分の手帳は自身で処理しておかなくては・・という気持ちになる
私と弟で 父の手帳に関する思い入れに温度差があるように
子供達3人にとっては その処し方に戸惑いしか与えないだろうから
(もちろん 夫には絶対に見せることはないし 見せたくない!)
・・・なんていうことを考えながらも
まだまだこのブログは書いていくつもりでいる
個人の記録媒体としては 昔は考えられなかったものではあるが
自分の中に溜まった " 澱 " のようなものが
少しでも浄化できるのでは?という身勝手な思いで(笑)
お時間のある時に
バカなこと書いてるなぁーと 退屈しのぎにお付き合い下さいませ♪
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