2017年09月22日
ロヒンギャが国籍を認められない理由
ミャンマーでイスラム教徒の少数民族・ロヒンギャへの迫害が問題になっています。
ロヒンギャはミャンマー西部に住む少数民族ですが、ミャンマー政府は国民と認めず、治安部隊による迫害が問題化しています。
国連は、40万人を超えるロヒンギャが隣国バングラデシュに逃げ難民になっていると発表しています。
バングラデシュ側の難民キャンプはどこも手狭で、大勢の人々が劣悪な環境で暮らしています。
あるロヒンギャの女性は「ほんの少しの食料以外、お金も何ももらっていません。首を斬られても殺されても、ミャンマーには戻りません」 と現状を訴えています。
問題の解決に向け、何ら具体的な対策を示していないとして、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家最高顧問への批判が高まっています。
果たして、この問題はスー・チー国家最高顧問が悪いのでしょうか。
ロヒンギャ問題は、その歴史的経緯を知る必要があります。
そもそもロヒンギャは、最初から現ミャンマー領内に居た民族ではありません。
混乱期にバングラデシュから侵入し、ミャンマー領内に住み着いたイスラム教移民の、ベンガル人です。
かつてミャンマーのラカイン州は、アラカン王国と呼ばれていました。
アラカン王国が18世紀にビルマに併合された後、19世紀に英緬戦争、イギリス・ビルマ戦争が勃発します。
ビルマがイギリスに敗北した結果、1826年にラカインは割譲され、イギリスの植民地となりました。
イギリスは植民地支配のため、ロヒンギャを活用することにしました。
仏教徒のラカイン人を弾圧するため、イスラム教徒のロヒンギャを支配層としたのです。
イギリスの後ろ盾を得て、ロヒンギャがラカイン州を支配していた時代には、おそらく大変裕福な生活をしていたと思われます。
ラカイン州に昔から居住する、ラカイン人の土地を略奪したわけであり、歴史的経緯を見るとイギリスは当然として、ロヒンギャもかなり悪質であると思われます。
ラカインの人々の土地を奪って住み着いたロヒンギャは、こうした経緯から他民族から大いに嫌われています。
スー・チー国家最高顧問と軍事政権がようやく話し合いがついて、各民族とも和解して国をまとめよう、という結論に至った時には、ロヒンギャは、ミャンマーの平和と統一のために追い出すべき外国からの不法な侵略者とみなされることとなりました。
イギリス支配の手先であったロヒンギャに、スー・チー国家最高顧問も良い印象は抱かないでしょう。
何より、スー・チー国家最高顧問の父親は、第二次世界大戦後のイギリス支配に対し武装蜂起したリーダーの一人なのですから。
ロヒンギャ問題の解決には、その経緯から、イギリスの関与が不可欠なはずです。
にもかかわらず、イギリスが何らアクションを起こす気配はありません。
現状は専らスー・チー国家最高顧問だけが批判の的となっています。
欧米のマスコミは、イギリス批判を避け、叩きやすい相手を叩く傾向があるようです。
ロヒンギャ問題は、パレスチナ問題がそうであるように、イギリスが世界中の諸問題の根源であることを証明しています。
ロヒンギャはミャンマー西部に住む少数民族ですが、ミャンマー政府は国民と認めず、治安部隊による迫害が問題化しています。
国連は、40万人を超えるロヒンギャが隣国バングラデシュに逃げ難民になっていると発表しています。
バングラデシュ側の難民キャンプはどこも手狭で、大勢の人々が劣悪な環境で暮らしています。
あるロヒンギャの女性は「ほんの少しの食料以外、お金も何ももらっていません。首を斬られても殺されても、ミャンマーには戻りません」 と現状を訴えています。
問題の解決に向け、何ら具体的な対策を示していないとして、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家最高顧問への批判が高まっています。
果たして、この問題はスー・チー国家最高顧問が悪いのでしょうか。
ロヒンギャ問題は、その歴史的経緯を知る必要があります。
そもそもロヒンギャは、最初から現ミャンマー領内に居た民族ではありません。
混乱期にバングラデシュから侵入し、ミャンマー領内に住み着いたイスラム教移民の、ベンガル人です。
かつてミャンマーのラカイン州は、アラカン王国と呼ばれていました。
アラカン王国が18世紀にビルマに併合された後、19世紀に英緬戦争、イギリス・ビルマ戦争が勃発します。
ビルマがイギリスに敗北した結果、1826年にラカインは割譲され、イギリスの植民地となりました。
イギリスは植民地支配のため、ロヒンギャを活用することにしました。
仏教徒のラカイン人を弾圧するため、イスラム教徒のロヒンギャを支配層としたのです。
イギリスの後ろ盾を得て、ロヒンギャがラカイン州を支配していた時代には、おそらく大変裕福な生活をしていたと思われます。
ラカイン州に昔から居住する、ラカイン人の土地を略奪したわけであり、歴史的経緯を見るとイギリスは当然として、ロヒンギャもかなり悪質であると思われます。
ラカインの人々の土地を奪って住み着いたロヒンギャは、こうした経緯から他民族から大いに嫌われています。
スー・チー国家最高顧問と軍事政権がようやく話し合いがついて、各民族とも和解して国をまとめよう、という結論に至った時には、ロヒンギャは、ミャンマーの平和と統一のために追い出すべき外国からの不法な侵略者とみなされることとなりました。
イギリス支配の手先であったロヒンギャに、スー・チー国家最高顧問も良い印象は抱かないでしょう。
何より、スー・チー国家最高顧問の父親は、第二次世界大戦後のイギリス支配に対し武装蜂起したリーダーの一人なのですから。
ロヒンギャ問題の解決には、その経緯から、イギリスの関与が不可欠なはずです。
にもかかわらず、イギリスが何らアクションを起こす気配はありません。
現状は専らスー・チー国家最高顧問だけが批判の的となっています。
欧米のマスコミは、イギリス批判を避け、叩きやすい相手を叩く傾向があるようです。
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