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しのちゃん
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2008年01月28日 Posted by しのちゃん at 21:41 | イギリス回想日記 | この記事のURL
的中率100パーセントの私の直感
 半年過ぎても私とGは相変わらずメールの交換をしていました。そしてメッセンジャーもあったので、好きな時に話をすることができました。  しかし、徐々にその頃からGのメールの回数が減ってきたんです。そしてある日ふと“彼には彼女がいるのではないか・・”と私の頭をよぎりました。  でもGは半年経っても前と変わらず毎日の生活を書いてきました。そして私もGを笑わせるくだらないと言えばくだらなさ過ぎるメールを書いていたんです。(彼はこのくだらないメールがかなり気に入っていたようです。)  ある時Gが「あなたは他の男じゃ駄目だろうね。」って言うんです。それはどう意味でしょうか?ん? じゃあこの人がもし駄目なときは私には誰もいないってことですかぁ?  その後Gに彼女について尋ねることが怖くて何も聞けませんでした。しかしその直感が後になって的中していたことがわかるんです。

2008年01月28日 Posted by しのちゃん at 21:27 | イギリス回想日記 | この記事のURL
一時の安らぎ
 日本からずっとメールの交換をやり取りしていたG。イギリスに着いて直ぐから辛いことばかりでした。  Gとは本当はホームステイをしていた時に会うことができたんです。そして会うべきだったんです。  彼はオックスフォード大学を卒業してエリートとして社会に出た言ってみれば青年実業家だったんです。それを直ぐに聞いていた私はどうしても怖くて会えませんでした。いろいろ考えすぎたんです・・。  一度電話で話した事があります。「忙しいですか?」Gが言うと忙しくもないのに「はい」って答えてしまいました。そしてGは私を気遣いそれだけで電話を終わらせてしまいました。  この時はストップがかかったと言うより私がどうGから思われるかと言う不安から進展を妨げてたんです。  Gとは毎日メールを続けていました。初めから“結婚”という文字は二人の中にあったと思います。  私たちは本当にあの時幸せだったんです。例え顔を見なくても何か心がいつも通っていた気がします。本当に辛い事を忘れる事のできる一時の安らぎを感じていました。      

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 21:13 | イギリス回想日記 | この記事のURL
ホームオフィス
 絶対に仕事がしたかった私は、観光ビザからスチューデントビザに変える為、ホームオフィスに行って面接をするか一旦外国に出るかの選択に迷っていました。  一旦外国に出ても、必ずスチューデントビザを得れるわけではありません。だから賭けです。でもお金を無駄に使うより、ホームオフィスに行ったほうが賢明だと思いました。  数日後、早速電車でホームオフィスのあるクロイドンというところに行きました。連日長い列の外国人がいるようで、早朝行ったにも関わらずロンドンに帰ったのは5時過ぎです。  長い列に外国人に挟まれながらやっとの思いで入り口に辿りつくと、イギリス人の制服を着た男性から、「パスポートを見せてください。」って言われました。「私どうしても仕事がしたいんです。」「でもあなた観光で半年は居れるんだから、それまで待ちなさい。」私は「嫌です。スチューデントビザが必要なんです。」と結構くいさがりましたが、「また半年後に来て下さい。」と追い返されました。困った

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 12:58 | イギリス回想日記 | この記事のURL
試練の中の試練
 一人暮らしを始める前、私はある外資系銀行にお金の送金を依頼していました。“フラットのデポジットと一ヶ月の家賃を入金しないと”  そして銀行に行くとまだ送金されていないんです。2週間ほどで送金は完了と言う話だったのに、一ヶ月過ぎても送金されない。もう所持金は数千円でした。こんなんじゃフラット代を払えないし、買い物にもいけない。困った  その時、ケンブリッジの教会で知り合ったH子のことを思い出したんです。彼女とは私が帰国しても連絡を取り合っていました。  直ぐに電話をしてお金の事を相談すると、ロンドンまで来てくれました。「お久しぶりです。元気でしたか?例の物持って来ました。」って言うんです。もう感謝しても感謝しきれないくらいH子には感謝してます。  結局送金されたのは2ヶ月過ぎて位だと思います。もうそこの銀行には絶対入金しないと決めました。  それからだいぶ生活も落ち着いてきたので、早速仕事探しに行こうと思い派遣に登録をしに行ったんです。  「お待ちしておりました」ドアを開けると日本人の女性が入り口の所に立っていました。「では早速登録の手続きをさせていただきますのでパスポートと履歴書をお願いします。」そう言って私は日本で用意していた履歴書とパスポートを出したんです。  「○○様、申し訳ございません。お仕事の登録ができません。」  “えっ?”  「○○様は観光ビザで入国されています。」   ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!  私は全く2ヶ月以上も自分が観光で入国していたことに気が付いてなかったんです。だから入国審査もすんなり行きすぎるほど行ったんです。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 11:32 | イギリス回想日記 | この記事のURL
初めての一人暮らしと試練
 フラットはイギリスで発行されている、ジャパニーズ・ダイジェストという新聞で探しました。  総てはトントン拍子に決まりました。部屋も綺麗でイギリス人の大家さんもいい人でした。  隣の部屋はスリランカ人が住んで、下には日本人の女性が住んでいました。初めの頃この二人にはあまり関わりを持っていなかったんですが、日本人女性が私がキッチンで料理をしていたときに、「良かったら今度食事をしませんか?」って言ってきたんです。  彼女は有名レストランのシェフとして働いていました。自称腕の良いシェフらしく、まだ25歳だったのに「私は下っ端みたいな事したことがないから」あ〜この人嫌だなーって思いました。内心ここまでの付き合いだって思ったんです。  そして食事をしている時「私、人と違うって良く言われます。だって一人で行動できるから」「一人で行動できると違うんですか?私一人で行動してますよ?!」って言い返しました。  食事中ずっとそんな話をしてたんです。そして食事の味も決して腕の良いシェフの味には程遠いように思いました。「私、ケチャップやマヨネーズなんて使わないんです。あんな物で味をごまかすの嫌だから」使わないのは勝手ですが、あなたの場合は使ったほうが良いんじゃない?  その後できるだけ彼女とは会わずに生活をしました。そして隣のスリランカ人とも。  初め私の部屋に冷蔵庫が無かったんです。それは不便でしたが、最初は特別気になりませんでした。そして私の冷蔵庫はキッチンにあり、スリランカ人と共有しなければなりませんでした。  ある時、私が冷蔵庫の中のバターを使おうとしたら、明らかにバターが減っているんです。“使われている”でも一回じゃわからないから様子を見る事にしたんです。  しかし、やっぱり減ってたんです。いろんな物が!怒り だんだんイライラし始めてストレスが溜まってきました。思い切って大家さんにその事を言うことにしたんです。「スリランカ人が、私の冷蔵庫の物を食べてます。」「なんですって!私も最近彼女の事でイライラしてたらのよ、わかったは、もう追い出すから明日!」“明日?”早かったです。次の日彼女は大家さんから追い出されました。  大家さんの枕を盗んで・・。  彼女が去って、大家さんが私に言ったんです。「隣の部屋の方が広いし、冷蔵庫も付いているから部屋を変わったら?家賃は同じでいいから」  部屋を見ると本当に広くてテレビも前の部屋の倍の大きさでした。ヤッホーウ  イライラさせられたけど、言って良かった。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 11:12 | イギリス回想日記 | この記事のURL
3度目の渡英
 3度目の渡英はどうしても仕事がしたかったんです。でも仕事と言ってもワークパーミットを取るのはほとんど不可能です。もうスチューデントビザで仕事をするしかなかったです。  もう3度目ということもあり、少し出発前は油断して、ダラダラとした日々を送っていました。  出発当日まで荷物の整理をしてバタバタと日本を出発。このバタバタが結果的にこの後の私の不運なのか試練と言うものなのかを招いたと今でも思います。  イギリスに到着したときは毎回の様に初めて入国審査を受けた時の事を思い出します。またしつこく質問されるのではないか、そう思うようになっていました。  その時の入国審査はあまりにもあっさりでした。3分くらいで終わったような気がします。  初めにロンドンでホームステイをしました。そこの夫婦はアイルランド人でアイリッシュ・アクセントが強かったです。  私の部屋は広くて綺麗だったのですが、夜になると小さな穴からねずみが出たり入ったりするんです。初めは変な音がしているけれど、気にしてませんでした。ある日チューチューと言う声が聞えたんです。“ね、ねずみぃ困った”怖くてどこから出入りしているのか探しました。出入り口は部屋の隅に下から上へ繋がる細長いパイプがあったのですが、それが天井まで繋がっていました。その下のパイプの穴からねずみが出入りしてんです。気持ち悪くて直ぐに奥さんに言ったんですが、「ねずみがいるの?!前は猫をかってたからいなかったんだけど、家の前で車に引かれてねぇ」  もうどうする事もできなかったので、紙でその穴を塞いでその部屋を去るまで我慢しました。  一ヶ月間ホームステイに滞在して最後の一週間で、フラットを探し始めました。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 10:38 | イギリス回想日記 | この記事のURL
インターネットでビビビ
 そして次の日インターネットの自分のメールボックスを見て、あるイギリス人の名前を見たとたんビビビって感じたんです。そして私のどこかの心がこう言ったんです。「この苗字ならなってもいい。」  そのイギリス人は前日に出会った「それは危険だ」っと言った人でした。  信じられないくらい、次々としかも真剣にメールを書いてくるG、一日3通メールが来るときもありました。毎日メールは来ました。自分の毎日の生活を克明に書いてきたんです。“この人凄い”って思いました。  それは私がイギリス行きの日まで同じように続けられたのです。楽しかったです。こんなに私の言った事に真剣に返事を書いてくれる、しかも会った事もないのに。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 10:12 | イギリス回想日記 | この記事のURL
ダイアルアップ
 イギリス人宣教師もスコッティッシュマンも日本を去ってしまいました。でももうその時の私はイギリスに行くという固い決心がありました。  なんでもない出会いの様でしたがその数ヶ月、彼らに会わなければ私が再びイギリスへ行くという気持ちになったかはわかりません。  ところが3度目のイギリスという事で少し慣れがあったのです。  そこ頃くらいから家庭にインターネットの普及が始まったと思います。イギリスに行く数ヶ月前から自宅でまだダイアルアップだったインターネットを始めました。  あれは不便でした。電話線に繋いでいたので、電話がなるとパソコンがパチパチ言うんです。そして切れる事もありました。料金も電話を使っているような状態だったので、気が付いたら数万使っていた事もあります。  私がいつも利用していたサイトはイギリスのサイトでした。“イギリス人と話がしたい”そう思ってUKチャットに参加していたんです。  初めの頃は自分の問に顔も見えない人達から次々と声がかかるのが、面白くて、緊張もして、凄く不思議にも感じてました。  そのUKチャットほとんどの人達がくだらない話をしてきました。真面目に話してるのはほんの数人でうんざりする時もありました。  “あー続かないなぁ一定の人と話が・・”そう思っていたとき、一人のイギリス人が「HELLO」ってウィスパーしてきたんです。  またいつもの感じだろうと思っていました。その時もう数十人からウィスパーがあり、対応しきれなくて総ていい加減に対応してたんです。  相手は必ず場所、性別、年齢を尋ねてきます。そして私も同じ事を尋ねるんです。その時ほとんどの人に私は「When I fall in love it will be forever」って書いてたんです。でもそれはカーペンターズの歌を歌ってただけなんです。  ですので、「Hello」って言って来たそのイギリス人にも同じ事を書いていました。すると「それは危険だ」って言ったんです。彼は直ぐに「よろしければメールアドレスを教えてください」と言ってきました。その時は彼も数十人の内の一人でしかなかったのです・・・。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 09:52 | イギリス回想日記 | この記事のURL
ハンサムと嘘
 毎週の様に大学の寮に通うようになりました。  彼と会った時彼が本人は24歳と言っていました。見た目は大人びていたのですが、発言が少し子供っぽかったように感じました。  彼とは英会話の他に花火大会に行ったりもしました。いつもそうなのですが、私は相手に気持ちが行きかけるとストップがかかるんです。なので、なかなか深い関係になれませんでした。その時もそうです。  ある時、「今度○日の日お金はいらないから来て!」って言われたんです。 「まだその日は何があるかわからないので、予定を入れられない」って言ったんです。  好きな気持ちはありましたが、どうしてもストップがかかったんです。  結局その日は会いませんでした。  この人については後々わかったのですが、イギリスから戻った後何気なくインターネットを見ていると英会話学校の広告に目が行ったんです。普段ならどうでも良い広告をなぜかその時クリックしたんです。本当に偶然でした。その人がその学校の講師として写真付きで載っていたのです。名前も間違いなく本人でした。  でも彼のプロフィールにこう書いていたんです。“現在24歳、大学に留学していた頃に出会った後輩の○子と出会い結婚”って。  私と出会ったのが24歳でそれから3年が経っていましたので、その時27歳ではなくてはいけません。それくらいは良いのです。問題は彼が大学にいたのが7ヶ月間です。私はその7ヶ月の半分は彼と接していたました。  もうその時でもどうでも良いと思ってましたが、何かおかしいな〜?なんて疑問も残りました。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 09:44 | イギリス回想日記 | この記事のURL
新しい出会い
 そのイギリス人宣教師が日本を去る数週間前に、私は“イギリスに行くのだから何とか行くまでに英語を勉強したい”そう思っていました。    ある時私は某大学に「イギリス人の学生がそちらにいますか?」って尋ねたことがあります。すると「いますよ。スコットランドの男の子が、一度良かったら来て下さい。彼と話をして彼が良いって言えば来て見てはどうですか?」って言うんです。またしても私は何かを感じたんです。  これも数年後何度かその大学にイギリス人の留学生について問い合わせたことがあります。しかしそれ以来「います。」という言葉を聞いた事がありません。  実際イギリス人を探すのは難しいです。アメリカ人やカナダ人の方が出会える確率が高いようです。  数日後私はそのスコッティッシュに会うことにしました。初めて見たときは背が高くひょろ〜っとした感じのハンサムな人だと思いました。

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