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しのちゃん
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2008年01月30日 Posted by しのちゃん at 22:55 | イギリス回想日記 | この記事のURL
あんな日本食レストラン
 一ヶ月が経った頃、私は風邪を引いてしまいました。“もうあの日本食レストランでは働きたくないなぁー”そう思っていました。  電話をして、風を引いた事を伝えると口から「もう辞めようと考えてるんですが」ってつい言ってしまいました。そしたら「そうね、そうしたほうが良いわね」って感じでお上さんからあっさり言われました。  どっちにせよ私はそこの雰囲気に溶け込めなかったので、早く辞めてよかったと思っています。

2008年01月30日 Posted by しのちゃん at 22:28 | イギリス回想日記 | この記事のURL
不思議な女性の声
 少し話はさかのぼります。  まだロンドンに来て間もないときの事です。私はあるスーパーに買い物に来ていました。もう外は薄暗かったです。  一寸スーパーの中でボーっとしてたんです。どうしてボーっとしてたのか、一寸体調も良くなかったのですが、どこからか“ボーっとしてていいの?”って言う声が聞えたんです。  私はハッとしました。ボーっとしていてはいけない。でもやっぱり外に出るとフラリフラリした感じで、カバンにも全く気をとめてなかったんです。  ダブルデッカーで家まで帰っている途中、チケットを調べる男性が来ました。私は2階に乗っていたのですが、財布をカバンから出そうと思い、かばんの中を見るとチャックが全開になったいました。“いっいつ全開に・・・”その隣にイギリス人らしき女性が異様に私の近くに座っていたんです。“この女だ!”とっさに私は思い階段を降りて、チケットを調べる男性に言ったんです。「カバンを盗まれました!」しかしその男性は全く聞き耳をもってませんでした。  すると下に載っていた大柄な黒人女性が「あなた財布を持っていたのは確かなの?」って言うんです。私は「確かです。隣の女性が怪しいんです。」証拠もないのに言ってしまいました。  「じゃあ一緒に行ってあげる」二人でまた二階にあがり、怪しい女性のところに行き「すいません、あなたのかばんの中を見せてください。」って私が言うと「あんた、今何言てるのかわかってんの!」って大声を出して怒鳴りだしました。「はい、わかってます。」そして彼女は席を立ち「どこにあるのよ」っと自分の体を触り、カバンから全部荷物を出したんです。  “やっぱりなかった・・・”でも物凄く怪しい行動をとったのはこの人です。ここで謝れば総て私に否があるようになる。だから絶対に謝りませんでした。  下に再び降りるとイギリス人男性が「僕の知り合いに警察がいるから電話してあげる」って自分の携帯を持ち出し、警察に電話してくれたんです。それから30分ほど私はバスを止めてしまい、多大なご迷惑を乗客の方々にしたというわけです。  そして私は警察の車で家まで送ってもらいました。  そしてまた別の日のダブルデッカーでの出来事です。私はぶらりとオックスフォードストリートを歩いていました。カードばかりを売っているお店に入り地下に行くため階段を下りたその時、足をズルっと滑らせて転びそうになったのです。その時“何かがまた起こるかも”って思ったんです。その後、立ち上がり更に階段を降りろうとした瞬間女性の声で“シノブ”って呼ばれたんです。その後母の声に似た女性からも呼ばれました。  その後家に帰る途中バスに乗ろうとした瞬間黒人の男が、私のカバンに手を入れたんです。それと同時に私は男の手をグッと掴みました。“絶対に離さない”するとその男がカバンから手を離し、チケットを見に来る男性に言ったんです。「このバスは○○行きか?」「いや、違う」そしてその男は何事もなくバスから降りました。  私の足は膝ががくがくしてバスの階段を上がることができませんでした。もし財布が私の脇の後ろにあれば私の財布は完全に盗まれていたでしょう。  あの女性の声に助けられたんです。

2008年01月29日 Posted by しのちゃん at 21:46 | イギリス回想日記 | この記事のURL
それって謝るべきですか?
 私は日本食レストランで働くことになりました。  でもどうしてもそこの雰囲気がすきになれなかったんです。そしてお上さんと旦那さんも。  そこで3年くらいはたらいている日本人のY子がこの二人から気に入られていたようで「Y子ちゃんがいてくれて本当に助かる」っていつも馬鹿みたいに言ってました。  ある日、外国人のお客さんで満員になった時、私は初めてお客さんの前でワインのコルクを開けることになったんです。そのワイン古いんだか安物なのか知りませんが、コルクを開けた時その粕がグラスの中に一緒に入ったんです。“あっ!粕が入ってる”そう思いながらもそのままにしていました。  その後直ぐに外国人客が「ワイングラスにコルクの粕が入っているから、とってほしい」って言ってきたんです。そしてお上さんが対応した後、私のところに来て、一寸怒った口調で言ったんです。「お客さんのワイングラスにコルクの粕が入っていたわよ!!」って。  私は、「あ、そうですか」って言うと、「あなた謝ることを知らないのね!」って怒鳴られました。  初めから強い口調で言うその人になんで私が頭を下げないと悪いのか!って思いました。普通なら謝ったかもしれませんが。  どんな場合でも謝るべきでしょうか?いいえ、私はそうは思いません。

2008年01月29日 Posted by しのちゃん at 21:40 | イギリス回想日記 | この記事のURL
駐在員の奥さん
 どうやって駐在員の奥さんと知り合ったのか覚えてません。私は自分の不運ないきさつを奥さんに話しました。  「もう私に会ったから運が良くなるわよ。」  そう言ってもらいそれを信じていたんですが・・・・・・。  「仕事を探してるの?私の知り合いで日本料理店をやってる所があるの、だから私の紹介で電話しました。って一度電話してみたら。」って言うんです。  日本食レストランか・・・。“嫌だな日本人と働くの”そう思いながら電話をしてみる事にしました。次の日直ぐに面接に行き「あなたなら良いわ」って言われたんです。せっかく面接までしたけれど、あまり気乗りはしませんでした。しかしお断りするのも悪いと思い行くことにしたんです。  結局その日本食レストランのお上さんを紹介してくれた駐在員の奥さんの名前を言っても「そんな人知らないわ」って言われました。どうでもいんですが。

2008年01月29日 Posted by しのちゃん at 21:32 | イギリス回想日記 | この記事のURL
仕事がしたい!
 二年目のロンドン生活に入りました。そして私は仕事を探すことにしたんです。  でも厳しかったです。Japan Centre と言うピカデリーサーカスにある日本人向けのお店があります。その2階に求人情報が常時貼ってあります。  正直言って日本なら絶対にしない様な仕事が連なっています。  もう100歩も1000歩も譲ってそこのジャパンセンターで掃除をする事ににしたんです。“やってみる事に価値がある”でもそんなの違うと感じました。下げるだけ自分を下げたんです。でも決して清掃と言う仕事を馬鹿にするつもりもありません。それはとても大切で重要な事なんです。でも私の最初に掲げた意志とは違っていました。  そしてそのジャパンセンターで働いていた心無い日本人がいたのです。  いつもイギリスに行くと思うのですが、本当に助け合えれるのも日本人だけれど、嫌な思いをさせられるのも日本人です。  結局そこはあまり長く働きませんでした。

2008年01月29日 Posted by しのちゃん at 21:28 | イギリス回想日記 | この記事のURL
それから一年が経ち
 とてもつまらない一年でした。ロンドン生活がこんなにつまらなく感じるなんて、私の人生終わったんじゃないかって・・。  あるイギリス人作家がこういう言葉を残してます。“ロンドンに飽きたものは、人生に飽きたのと同じである。”  結局仕事も派遣からは一度も来ませんでした。私は仕事もできず、Gとも会わず、良い友達もできず、生まれて初めて大きな挫折と高い壁にぶつっかったのです。  でもやっぱりここで諦められませんでした。諦めてはいけないそう思ったんです。

2008年01月29日 Posted by しのちゃん at 21:15 | イギリス回想日記 | この記事のURL
9月11日
 Gとメールのやり取りをして半年以上が経っていました。“もうこのまま会わないだろう、でも会いたい”いつもそんなことを考えてたのです。  Gが数週間私にメールを書かなかったのですが、ある日「今、ニューヨークにいます。ニューヨークで仕事をしています。」って書いてきたのです。その頃のメールの交換はとってもゆっくりで何週間も明けて来る事が多くなっていました。  そういうこともあり少しイライラしていた私は遂に聞いたのです。「あなたに彼女がいるならそれはそれで良いです。」ってそしてら「確かに以前はいた、でももう彼女とは終わっている。」  やっぱり・・・。それから私はGに不信感を抱くようになりました。そして素直にメールの交換をする事ができなくなっていました。  その後あの9月11日のニューヨークでのツインタワーの事件が起こったのです。  Gは仕事が忙しかったようで、前の様に頻繁にメールをしていませんでした。しかし9月11日から1ヶ月ほど経ち長いメールが来たんです。  「9月11日ニューヨークで仕事をしていた。僕はツインタワーの近くにいたんだ。周りは破壊されて何も見えなかった。  仕事も駄目になった。この先一人でやっていかなくてはいけないんですか?」  私に言われても・・・。その後私のメールは彼を攻撃する内容に変わって行きました。  どうしても許せなかった、あの時の彼女の事が。それぞれ人の違った意見があるかもしれませんが、もし付き合っているなら私とメール交換を辞めてくれれば良かったんです。そうすれば私がGに会わなかった後悔の念は残っても、きちんと言ってくれた彼に尊敬の気持ちも抱いたかもしれません。  この事は後々ずっと私を苦しめました。

2008年01月29日 Posted by しのちゃん at 21:07 | イギリス回想日記 | この記事のURL
派遣会社へ
 ようやく半年待ってスチューデントビザを手に入れた私は、早速派遣会社へ登録に行きました。  今度は違う派遣会社に登録へ行ったのです。そこではイギリス人のマネージャーと面接することになりました。「君の履歴なら直ぐ仕事があるよ。」そう言ってくれたんです。  しかし問題があったのです。それは私の英語力でした。私の英語力は中の中といった感じでとても対等にイギリス人と話すレベルではありませんでした。  一度学校のクラスをレベルアップするために試験を受けたのですが、その時はアッパーインターミディエイトまで行ったのですが、やっぱり実際話すのとテストでは大きな違いがありました。そして上級に上がったのは良かったのですが、ついて行くのに苦労しました。

2008年01月28日 Posted by しのちゃん at 22:03 | イギリス回想日記 | この記事のURL
再びホームオフィスへ
 朝早く再びホームオフィスへ出かけました。ここも入国審査と同様に厳しくて、人によって対応が全く違います。  順番が近くなるにつれて、心臓がドキドキし始めました。“ここでスチューデントビザをもらわないと私は仕事ができない・・”  何時間も待ってようやく私の順番が来ました。審査員は男性で多分ユダヤの人だったと思います。格好でわかりました。その審査員がアテンダントを見て言ったんです。「なぜ学校を休んだのですか?」私はとっさに「風邪を引いて休みました。」「風邪を引いたときはどのように対処したのですか?」「お薬を自分で買って飲みました。」審査員は黙ってパスポートにスチューデントビザを押したのです。  その時の審査員はかなり優しかったので運が良かったです。  “これから仕事ができる”私は喜びに満ち溢れていました。

2008年01月28日 Posted by しのちゃん at 21:47 | イギリス回想日記 | この記事のURL
ロンドンのいんちき学校
 仕方なく仕事ができないので、とりあえず語学学校に通うことにしました。 仕方なくってお金払ってるからそんな事言ってはいけないんですが・・・。  Gとメールをしているおかげで、クラスの英語はかなり簡単に思えました。Gの英語は公式的な表現が多く、日頃使うには硬すぎますがそれでも文法や単語はかなり上達していました。学校へあまり行かなかった私に先生は「あなた学校に来ない割りに、英語上手だよ。」って言ってくれました。  お金を出してるから本当は行くべきなんですが、ほとんどの人達は真面目に学校へ行っても上手になれない、それは学校の授業を受けて、その後同国の友達と話している人が多いからです。そしてイギリス人社会に入ることがどんなに外国人にとって難しいかです。  その語学学校は日本人が多く質もよくありませんでした。なので“ロンドンで暮らす”っと言う事だけに価値を感じ毎日生活をしていました。  ロンドンの生活は決して楽ではありませんでした。人も環境も田舎ほどやさしくありません。特に人々は自分たちの事だけで精一杯と言う印象でした。  初めてお金が送金されない不安から学校で泣いたことがあります。決してホームシックで泣いていたわけではないのに、学校の職員からホームシックになるくらいなら来るな!って勘違いされ冷たい目で見られた事があります。  ロンドン生活も半年を迎え、ようやくホームオフィスでスチューデントビザを取得できる時が来ました。ホームオフィスも行ったからと言って簡単にビザを外国人にあげるというわけではありません。厳しい審査があります。  ビザの取得には学校のアテンダントが必要です。学校に行ってなかった私は学校へ行き「ホームオフィスでビザを変えたい。だから書類を下さい。」と言いに行きました。「あーいいよ」そしてそこの校長は私の出席率を90パーセントとし残りを風邪を引いたことにしたのです。    いんちき学校です。

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