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しのちゃん
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2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 09:22 | イギリス回想日記 | この記事のURL
つい言った言葉が
 初めてその教会に行った時、数人の若い宣教師が話をしていました。私は特別どこかの宗教に属すると言うのは全く考えていませんでした。ただ自分の中にいつも自分を見守ってくれている神様がいて、その神様といつも対話をしていたんです。一度宗教の勉強をしたことがあります。けれど自分の考えとは違っていたので、宗教に属する事は考えたことがありません。  そこの教会全国にあるのですが、宣教師は25歳までの若い男の人ばかりでした。以前信者と宣教師の間で問題が起こり(多分男女問題でしょう。)必ず話をするときは一対一で話してはいけない決まりが作られたそうです。  私もイギリス人の宣教師と話をするときは、別の宣教師が必ず傍にいました。  そのイギリス人に何も考えずに「将来はイギリス人と結婚したいです。」って言ったんです。  それから夜時々家に電話が掛かってくる様になりました。「今日はどこへ行きましたか?」「何をしましたか?」って感じで。そのイギリス人宣教師がその教会を去った後、日本人の宣教師にその事を話すと「知らなかったです。ずるいなーBさん」って言って他の宣教師の人達はその事を知らなかったそうです。  どんなに初めはなんとも思っていなかった人でも、徐々に心の中に変化が起こり気が付いたら“この人の事好きなのかも”って思っていました。  そうやって毎週水曜日教会へ通うことになって、それはそれなりに楽しかったのですが、英会話なんて全くしてなかったような気がします。

2008年01月27日 Posted by しのちゃん at 09:03 | イギリス回想日記 | この記事のURL
迷い
 日本に帰国してから一年が経ちました。私は派遣社員として、秘書の仕事をしていました。その頃からでしょうか、派遣社員という立場が軽視されてきたように思います。なぜなら私が初めて派遣社員として働いた時“働きに来ていただいている方”更に“実力を持っている即戦力“なんて周りから手厚くもてなされたものです。何に実力があったかわかりませんが、私の場合はチャレンジ力ですね。  20代半ばまで結婚願望が全く無かった私がこの頃から漠然と“結婚したい”と思うようになりました。  ある教会で“無料の英会話教えます。”と言う記事を新聞で見ました。仕事ばかりしていても面白くないので“行って見ようかな”って思いました。教える人が外国人の宣教師だったので試しに「イギリスの方はいますか?」って尋ねたんです。  いました。しかも本当に珍しいことだと言っていました。  そこの教会はアメリカが発祥の宗教で、イギリス人がいるなんてまずありえないそうです。本人に聞いてみたら「70人外国人が九州にいるんですが、イギリス人は私が一人です。」って言っていました。  “何かある”ただ何かあるのはその人との事ではなく、こうやってイギリス人と日本でまた会えたと言う事にです。  実はその頃私は次のイギリス行きを迷っていました。なぜならその当時秘書の仕事をしていたのですが、その仕事をする前に好意を持っていた日本人男性がいたのです。    その日本人男性、かなり変わっていたので(いい意味ではなく)今思っても一緒にならなくて良かったって思います。  その教会に行っていた時はもう既にその人とは関わっては無かったのですが、イギリス行きに何か自分を鼓舞する物がなく、漠然と“次はイギリスで仕事がしたいなー”って思っていただけでした。  そういう時にイギリス人にまたしても出会って、心の中で“何かある”って感じたんです。

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 23:55 | イギリス回想日記 | この記事のURL
お別れの日
 沢山の人と知り合い、沢山の人に助けられた7ヶ月の私の留学と2度目の一人旅も終わりの日です。  涙を流して最後の食事をしたホームステイ先のご夫妻と友達。このご夫妻、後に手紙を頂いたんですが、離婚してしまったみたいです。  そしてお別れ会を皆でした教会。  別れ際、ホームステイ先のご夫妻とイギリス人と中国人のご夫妻が見送りに来てくれました。バスの中から“また来ます”と何度も手を振った少し暖かさのある風の吹く4月のお別れでした。  

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 22:56 | イギリス回想日記 | この記事のURL
原始的なボーリング場
 イギリス人と中国人のご夫妻と数名の新しい友達でボーリング大会をすることになりました。場所はパブの地下。ボーリングをするというのでてっきりピンは自動的に並べられ、ボールは自動的に自分の下へ来るのかと思っていました。  行ってみるとなかなか古くて良い雰囲気の部屋にポツンとボーリングセットの様になってピンとボールがありました。友達の一人が早速始めたんですが、転がしてボールを別の人が取りに行き、ピンも立て直さなくてはなりません。“原始的”。  めんどくさい感じでしたが、流石古い物を大切にする国イギリスです。笑顔

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 22:48 | イギリス回想日記 | この記事のURL
あの時私は運が良すぎた。
 学校には日本人が沢山いて、周りの学生はほとんどホームステイ先で苦労していました。“ホームステイ先に娘がいて財布を盗んだのは間違いないけど、奥さんにこのことを話せない”とか“勉強する机もないし、食事もいつもレンジで暖めるだけ”とか。  私といえばおいしい食事とゴージャス過ぎるデザート、広い部屋に熱いお湯のシャワー。(イギリスはお湯が出ないとかぬるいとかよくあるので)ご夫婦も親切だったし何も言うことがありませんでした。  ある時、友達のA子が私の部屋を見に来たんです。「信じられない、こんな良い部屋!いいなーもうイギリスにいたくない、帰りたい」一寸テレビで子役から出ている内山似の彼女。その子も何度かホームステイ先を変わっていたらしいのです。  確かに他人の家に泊まるって問題があると思います。家族の様にって言ってもやっぱり壁がある。  ケンブリッジのホームステイ先は部屋こそそんなに良くはなかったけれど、そこの家族もともて親切にしてくれました。そしてチェルトナムでも何の言うことも無かったんです。  運がよかったんでしょうね。

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 22:34 | イギリス回想日記 | この記事のURL
私は見てしまった!
 私の部屋は本当に広くてテレビもあり、見晴らしも良く日当たりも良いし、とっても満足していました。そしてあの大きな窓にも・・・。  ある週末、何もすることが無かった私は、ペットの上から外を見ていたんです。窓からは近所の家が良く見えていました。近所と言っても物凄い近いわけではありません。歩いて3分程度はあると思います。でも家の中が良く見えたんです。目が良すぎて・・。  何気なく毎日見ていた真向かいの家、キッチンが見えるんですが、何してるのかも良く見えて。いつもの様にそこの真向かいの奥さんがキッチンで食事の支度。たびたびキッチンに登場するご主人。“この夫婦仲が良いのかなー”なんて漠然と思っていました。ある日その旦那さん奥さんに見送られて出張のようでした。しばらくその旦那さんの姿が見えなかったからです。奥さん一人で気楽だろうな、なんて思いながら、それ以上気にも留めずに私も毎日の生活を送っていました。  ある日何気なく窓からそのキッチンを見ると例の様に奥さんが食事の支度。その窓からスキンヘッドの男性が見えたのです。あれは明らかに旦那さんじゃない!私は薄いカーテンを閉めてその隙間からずっと二人の様子を見ていました。そのスキンヘッドの男性がいきなり奥さんの首にキスを始めたんです。これはふ、不倫!衝撃!!  もうそれ以上見れなくなって見るのを辞めました。ひどい奥さん、旦那さんを裏切ってる。  数日後旦那さんが戻ってきたのですが、何も知らない旦那さんかわいそう・・・。

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 22:05 | イギリス回想日記 | この記事のURL
イギリス青年との手紙
 何週間か経ち生活も落ち着いてきたので、ケンブリッジで出会ったフランス人の血を引くイギリス人青年Pに手紙を出すことにしました。  返事は直ぐに戻ってきました。「あなたがチェルトナムで新しい生活を始めたのは嬉しいです。  僕の実家はチェルトナムなんです。○○○通りの○○に僕の家があります。」  外は寒かったので、まだ一度も街を散策していませんでした。こんな自然が沢山あるのに・・。歩いて小高い丘を登っていくと彼が言っていた住所の辺りを発見したんです。なんとそこには大きなお城とまでは言わないものの家が連なっていました。その内のどれかだとは思います。家々にはそれぞれ馬が飼われていました。私の彼の第一印象は当たっていました。 礼儀正しくて、はっきりしない、人を(私を)イライラさせる態度、まさに私が基準とするお坊ちゃまの目安です。(必ずしもお金持ちと言う意味ではありません。)  そしてその後Pとは何度も手紙でやり取りをしていたのですが、ある時彼が手紙に「昨日Jと僕はバトミントンをして鎖骨を痛めたんだ」っと書いてありました。それから手紙にはJと言う女性の名前が頻繁に出てくるようになったのです。  その時、既に私たちは少し恋愛感情の中にありましたが、なぜ急にJの名前を書き始めたのかと言うと、こちらではバレンタインデーにいつもの自分の字とは違う自体で宛名を書いて差出人の名前を書かずに告白する習慣があります。特別私は告白するつもりで書いたのではないのですが、わざと2月14日が近いと言うこともあり、面白半分で筆記体で書く習慣のある私がブロック体で宛名を書いて名前を書かずに手紙を出したんです。その辺りからJについて書くようになりました。  ある時、私は「イギリス人の若者についてどう思う?」って書いたんです。純粋にそれだけの事でです。すると次の手紙にPは「あなたはイギリスの若者ではなくJをどう思っているかって聞きたいのですか?僕はJを愛しています。」そう書いてありました。  半ば恋愛感情を抱いていた私はショックで涙が出てきました。「どうか許してください。」そう書いていたPに対して、どんな事があってもこの人との手紙の交換を続けようって思ったんです。一種の復讐です。だからって彼の恋愛を邪魔するって事ではありませんでした。そしてその後私は「あなたうぬぼれが強いのね!」って書いてやりました。  でも「許してください・・」って言葉、本人が二股掛けてたって事ですよね。  実はPが頻繁にJについて書いてあった時ロンドンで出会ったNに一度これについてどう思うか(今思うとひどいですね)聞いた事があります。その時Nの声がどこか沈んで聞えたんですが、「その男が別の女の名前を書くって事はシノブに気を引こうとしてるか、それともJの事がほんとに好きだってことだよ」  私は内心PはJの事が好きなのだと確信は持っていました。「あーありがとう。今日は一人で留守番で一寸怖くて電話してみた。」そう私が言うと「あーそうなの」っとそっけない言葉。「じゃあまた・・。」そして電話をきりました。  数日後今度はNから電話がかかってきたんです。「どうしてもシノブに言わないといけないって思って電話した。」「なに?」「実はもう僕彼女がいるんだ」そういわれて、深い恋愛感情が無かった私でもショックを感じました。「あー良かったね」「うん、この前話方が暗かったけど、そのこと言おうか言うまいか考えてた。ごめん。」ごめんって私がみじめになる。まあぁいんです。本当の恋ってこんなものじゃない!なんて思ってたのはまだ若かったからでしょう。

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 21:42 | イギリス回想日記 | この記事のURL
チェルトナムでの生活
 チェルトナムは田舎で、田舎に住んでみたいと言う思いだけで特別選んだ深い理由はありません。でもやっぱりどんな田舎でも、もう既に日本人は必ずいます。よっぽどガイドブックに載っていなければ別でしょうが、ほとんどの場所で日本人を見かけるというのが現状でした。  私の住んだホームステイ先は少し小高い場所にあり、一軒家、環境も良く私の部屋は10畳以上はあったと思います。そして大きな窓。その窓が私にとって後に衝撃的な現場を見てしまう場所になるとはその時知る由もありませんでした。  そこのご主人は53歳で、当然奥さんもその位の歳だと思っていたのですが、なんと70歳だったのです。この二人イギリス人で再婚同士、奥さんは昔パリでケーキ屋さんをやっていたと言うだけお菓子作りが上手でしたが、日頃ケーキをあまり食べない私にとって食後の必ず付くゴージャスなデザートは苦痛でなりませんでした。一度断った事があるんですが、「これが私の生きがいなの!」そう言われると食べねばなるまい。困った  そして奥さんの連れ子はもう中年なんですが、娘さんが53歳でその旦那さんが30歳だったんです。  年下好きなんですねー。この親子。  週が明けていよいよ新しい学校へ。学校へ行ってみるとやっぱり日本人生徒が沢山いました。ケンブリッジより沢山いたと思います。皆考えることは同じ。田舎に来れば日本人が少ないとか、環境の良さで選ぶんです。  私のクラスは初めは4人程度だったんですが、徐々に増えてきて最終的に10人程になりました。集団嫌いの私はまたしてもその人数に嫌気を感じ始めていました。  チェルトナムの生活も一週間ほど経った頃、毎日日本人と話す自分が嫌になっていました。“ここでは日本人は避けるのは辞めよう”って決めてたんですが、やっぱり日本人の数が学校の半分くらいを占めていたので、“これは日本語漬けになる”って思ったんです。そして思い出した事は、以前ケンブリッジで友達になったイギリス人のケンブリッジ大学を卒業して既に結婚をしているKの事だったんです。「何かあったら連絡してね」その事を思い出して、手紙を書くことにしました。“私チェルトナムで外国人の友達がいません。現地の人をもし知ってたら紹介してくれませんか?”  数日後、見知らぬ人から私宛に電話が来たんです。「そちらへ水曜日の夜行きたいのですが、都合は良いでしょうか?」全く誰なのか検討がつきませんでした。「はい」その時は誰なのか尋ねずに電話を切ったのです。  水曜日にイギリス人男性と中国人女性が私の家に来ました。「今から皆でお茶をします。一緒に来て下さい。」その二人は夫婦だったんですが、なにやらケンブリッジの友達の紹介で私の事を知らせてくれていたみたいです。その二人とKとは直接接点はありませんでしたが、Kがチェルトナムの図書館で働くケンブリッジ大学卒業の友人に私の事を知らせ、そしてその友人がそのまた知人に知らせまわりまわってこの夫婦に来たようです。  それから毎週水曜日お茶会をかねた聖書の読み会に行きました。

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 21:34 | イギリス回想日記 | この記事のURL
次の留学先へ
 スコットランドを去って次はウェールズの首都カーディフに行きました。カーディフに着く頃、嵐の様な天候で、木は倒れていろんな物が町中に転がっていました。あまり外には出れなかったので、ほとんどホテルで過ごす事になりました。テレビを見るか寝るかのどちらかしかできなかったんですが、眠ろうとした時何か足元に人の気配を感じたんです。何かを感じて、もしかしたら家族に何かあったのではないかと感じました。  カーディフを去って次の日、留学先のチェルトナムに着きました。ホームステイ先に着いた時、ご夫妻が心配した様子で言いました。「あなたが来る前日日本から電話がありましたよ。」って言うんです。荷物を整理して日本に電話を掛けると「もう着いたかと思って電話した」と言うんです。良かった特別変わったことじゃなくて・・・。  カーディフのホテルにいた時何かを感じたのはこれだと思います。  こう言った事はケンブリッジでも何度か感じ、これ以降も不思議な体験は起こりました。  そしてここから3ヶ月間私はチェルトナムに滞在することになりました

2008年01月26日 Posted by しのちゃん at 21:21 | イギリス回想日記 | この記事のURL
麗しのイギリス旅行再び
 ロンドンに2泊した後イングランドの南海岸地方にあるカンタベリーに行きました。カンタベリー物語のカンタベリーです。と言っても私は読んだことがありません。そこでは2泊しました。  そしてノッティンガムへノッティンガムはロビン・フットゆかりの地です。ケビン・コスナーがロビン・フット役で映画に出ましたね。アンタッチャブルを見たときケビン・コスナーがあまりにもかっこよすぎて涙が出ましたが、ロビン・フット役ではそうでも無かったです。  ノッティンガムの次はニューイヤーズ・フェスティバルを見に行くためにスコットランドのエディンバラへ一気に上りました。スコットランドに行くと本当にタータンチェックのスカートをはいたスコティッシュマンが街を徘徊しています。男の人がスカートをはいているのも悪くないですね。知ってましたか?そのスカートの下何もはいてないんですよ。笑い  エディンバラでは名物のハギスを食べたり、エディンバラ城に行ったり、飲めもしないウィスキーの蒸留所に行ったりしました。匂いをかぐのも好きじゃないのに・・・・。  初めてスコットランドに到着したときは、なんだかイングランドとは雰囲気が違うって感じました。やっぱりイギリスを一くくりにしてはいけないんですよ。全く別の国って感じでした。私はそう感じました。

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