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しのちゃん
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2008年01月26日
チェルトナムでの生活
 チェルトナムは田舎で、田舎に住んでみたいと言う思いだけで特別選んだ深い理由はありません。でもやっぱりどんな田舎でも、もう既に日本人は必ずいます。よっぽどガイドブックに載っていなければ別でしょうが、ほとんどの場所で日本人を見かけるというのが現状でした。  私の住んだホームステイ先は少し小高い場所にあり、一軒家、環境も良く私の部屋は10畳以上はあったと思います。そして大きな窓。その窓が私にとって後に衝撃的な現場を見てしまう場所になるとはその時知る由もありませんでした。  そこのご主人は53歳で、当然奥さんもその位の歳だと思っていたのですが、なんと70歳だったのです。この二人イギリス人で再婚同士、奥さんは昔パリでケーキ屋さんをやっていたと言うだけお菓子作りが上手でしたが、日頃ケーキをあまり食べない私にとって食後の必ず付くゴージャスなデザートは苦痛でなりませんでした。一度断った事があるんですが、「これが私の生きがいなの!」そう言われると食べねばなるまい。困った  そして奥さんの連れ子はもう中年なんですが、娘さんが53歳でその旦那さんが30歳だったんです。  年下好きなんですねー。この親子。  週が明けていよいよ新しい学校へ。学校へ行ってみるとやっぱり日本人生徒が沢山いました。ケンブリッジより沢山いたと思います。皆考えることは同じ。田舎に来れば日本人が少ないとか、環境の良さで選ぶんです。  私のクラスは初めは4人程度だったんですが、徐々に増えてきて最終的に10人程になりました。集団嫌いの私はまたしてもその人数に嫌気を感じ始めていました。  チェルトナムの生活も一週間ほど経った頃、毎日日本人と話す自分が嫌になっていました。“ここでは日本人は避けるのは辞めよう”って決めてたんですが、やっぱり日本人の数が学校の半分くらいを占めていたので、“これは日本語漬けになる”って思ったんです。そして思い出した事は、以前ケンブリッジで友達になったイギリス人のケンブリッジ大学を卒業して既に結婚をしているKの事だったんです。「何かあったら連絡してね」その事を思い出して、手紙を書くことにしました。“私チェルトナムで外国人の友達がいません。現地の人をもし知ってたら紹介してくれませんか?”  数日後、見知らぬ人から私宛に電話が来たんです。「そちらへ水曜日の夜行きたいのですが、都合は良いでしょうか?」全く誰なのか検討がつきませんでした。「はい」その時は誰なのか尋ねずに電話を切ったのです。  水曜日にイギリス人男性と中国人女性が私の家に来ました。「今から皆でお茶をします。一緒に来て下さい。」その二人は夫婦だったんですが、なにやらケンブリッジの友達の紹介で私の事を知らせてくれていたみたいです。その二人とKとは直接接点はありませんでしたが、Kがチェルトナムの図書館で働くケンブリッジ大学卒業の友人に私の事を知らせ、そしてその友人がそのまた知人に知らせまわりまわってこの夫婦に来たようです。  それから毎週水曜日お茶会をかねた聖書の読み会に行きました。

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