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うみの子
【ブログ開設2010.7.4】⇒二児姉妹の母です^^。 コメントいただけると嬉しいです(*^_^*)。 【2011.1.15追記】⇒ ご訪問、コメントありがとうございます☆彡 大切に読ませて戴いています。 今後は、皆様のサイト訪問で お返事をさせていただきたいと 思います。 これからもよろしくお願いします。
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2010年08月31日
過酷な介護からの感謝
4年前に亡くなった祖母が
母と暮らしたいと言い出したのが15年前。


当時、祖母72歳。
母47歳。
私20歳。


祖母が私達と一緒に暮らすのに
諸々問題があったが
祖母の強い意志が叶った。


母は、女手ひとつで家を守り、子を育て、
一段落する矢先の祖母との同居。


夜の仕事で体も大分、こたえていたと思う。


でも責任感が強く、情の厚い母は祖母を受け入れた。


祖母は娘が三人いるけど、
母のコトが一番大好きだったんだろなぁというのが
日常の中から感じた。


孫の私達には見せない、甘えを母には出していた。


祖母は糖尿病や心臓病を患っていた。
母は、仕事をしながら介護の生活も始まった。


身の回りの世話に加えて、
低カロリーで栄養のある食事。
低血糖の数値を一日に何度か測り、
インシュリン注射も打っていた。


祖母は自分でやるのは怖いと言い、
インシュリン注射は私も手伝った。


母も体が丈夫ではないので
何度か救急車にお世話になるコトもあった。


祖母と同居して7年後に私は上京の為、家を出た。


その後は、電話や帰省時に祖母の様態を知る。


母は祖母が亡くなる時、
自分の体も限界に達しているのに
まだまだ親孝行していないと泣いていた。


でも、お医者さんは、母の
「あそこまでの管理や世話、介護があったから
おばぁちゃんは83歳まで長生き出来たんですよ。
本来なら、もっと短かった」と。


数日前のお盆の日、実家から
祖母の見送りで親族で集まっていると電話があった。


電話口から賑やかな様子を感じた。


今では母も落ち着いている。
過酷だったけど、
祖母を看れたコト、
一緒に暮らせたコトに感謝する
元気な母がいる。









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