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2017年10月30日
会津の旅「湯野上温泉」
温泉街では湯巡りを実施しており、湯巡り手形を発行し、この湯巡り手形はこけしの形をしており、1つの券で入浴可能な3湯を入湯した後、塔のへつり近くの作業場にて絵付け可能である。
川原には無料で入浴可能な露天風呂が存在したが、この露天風呂は2009年5月7日に公衆浴場法を理由に閉鎖されてしまった。ただし、今でもその付近の河原を掘ると湯が湧き出て野湯を楽しめる。
泉質は単純温泉 源泉温度60℃、5つの源泉が存在し、それぞれ猿湯、上ノ湯、姥湯、舘ノ湯、舘新湯という名前である。
近くには大内宿、塔のへつりがあり、これからの紅葉シーズンは多くの観光客が訪れます。
会津の旅「湯川村」
勝常寺(しょうじょうじ)は会津地方の河沼郡湯川村にある真言宗豊山派の寺院で、平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)に法相宗の学僧・徳一大師によって開かれました。当時は、大伽藍と東西の五重塔を持つ大寺院でしたが、火災で焼失、現在は、中門と金堂が存在するのみです。 |
会津の旅「七日町(ナヌカマチ)周辺」
沿道にはレオ氏郷南蛮館や洋館、白木屋資料館、阿弥陀寺御三階などが存在し、歴史的景観が楽しめます。また、2002年には只見線七日町駅の駅舎が改修され、アンテナショップなど役割も備えた「駅Cafe.」がオープンしているほか、会津若松市内で運転される観光向けのバス、「ハイカラさん」、「あかべぇ」も七日町通りを経由して観光客に喜ばれています。
渋川問屋は、江戸時代は乾物問屋として営業していました。現在は、旅館と会津の郷土料理などを提供しています。
阿弥陀寺は、別名を東軍墓地ともいい、会津戦争の戦死者を埋葬したことろです。境内には、新選組三番隊組長・斉藤一の墓もあります。
会津観光に人気の周遊バス「ハイカラさん」も七日町から乗車できます。
2017年10月29日
会津の旅「猪苗代〜裏磐梯」
猪苗代も蕎麦の産地で有名で、特に「ら・ね〜じゅ」の蕎麦は絶品です!!
土日祝日は、行列必至の繁盛店です。 店内に入ってからも、かなり待たされますが きっちした蕎麦が食べられます。 |
裏磐梯は、1888年(明治21年)7月15日の磐梯山噴火時に発生した小磐梯の山体崩壊により、裏磐梯側に12〜15億立方メートルともいわれる岩屑(がんせつ)なだれが起きて出来ました。その時、河川がせき止められ桧原湖はじめ五色沼など多くの湖沼群も誕生しました。
岩屑(がんせつ)雪崩れがおきたところを、そのままゲレンデにした裏磐梯スキー場です。
ゲレンデを登っていくと、その状況がよくわかります。また、裏磐梯湖沼群の水源「銅沼」も見ることができます。
遠藤現夢は、1888年(明治21年)の磐梯山噴火に伴う膨大な岩屑なだれに覆われて数十年間荒地のままだった裏磐梯を、もう一度野鳥のさえずる森に変えたいと願い、約2年をかけて気の遠くなるような1340haに及ぶ植林をなしとげ、裏磐梯を現在の緑豊かな磐梯高原として蘇らせました。会津戦争当時、現夢は4歳位であり、戦乱で会津の街が一面焦土と化した記憶が焼き付いていたため、自分が裏磐梯を緑に変えようとしたとも言われています。鶴ヶ城に1000本の桜植樹し、全国的桜の名所にしたのも遠藤現夢の功績です。
遠藤現夢の尽力のおかげで現在の裏磐梯の自然が 保たれました。遠藤現夢の碑は、毘沙門沼遊歩道の中にあります。 |