2017年11月18日
会津の旅「新宮長床」
元々新宮熊野神社は、平安時代後期の天喜3年(1055年)前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年)後三年の役の時に源義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したといいます。この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営しましたが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られています。
最盛期には300余の末社や寺院・霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいましたが、12世紀末に越後の城長茂の押領により一時衰退し、その後、源頼朝によって200町歩の領田を与えられて再び勢力を取り戻しました。奥州合戦後に会津を与えられた佐原義連の孫・時連は神社の北東に新宮城を築いて新宮氏を名乗り、これ以後約200年間会津盆地北西部(現在の喜多方市一帯)を支配することとなりました。新宮氏が蘆名氏に滅ぼされると、後ろ盾を失ったことから神社は衰退していき、16世紀後半になると戦乱に巻き込まれた影響もあって社殿は荒れ果てたものになっていたということです。
慶長年間に入り蒲生秀行が会津領主の時に50石を支給されましたが、慶長16年(1611年)の会津地震で本殿以外の建物は全て倒壊してしまい、その後、慶長19年(1614年)、蒲生忠郷によってかつてのものよりも一回り小さい拝殿(長床)が再建され、会津松平氏時代は祈願所とされ、度々藩主の代参が行われました。明治時代初めに廃仏毀釈のあおりを受けて多くの仏像や文化財が失われてしまいましたが、神社は存続し、現在は神社近辺の集落住民で結成された保存会によって維持管理されています。
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