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2016年01月01日
オリエンタルラジオ・中田敦彦の思い出の地 バリ島 (アナザースカイ)
「アナザースカイ」にオリエンタルラジオ・中田敦彦さんが登場しました。それについて書きます。
今回、中田が訪れたのは、インドネシアのバリ島。そこに行くのは3度目だという。
最初に来たのは、学生時代にバイト先の先輩との旅行だった。
2度目は、自身の結婚式+新婚旅行。
中田いわく、『自分にとってバリ島は、違う自分になると予感しているときに訪れる場所なのかも』とのこと。
人生の転機のときに訪れる場所のようである。
今回の放送では、中田の結婚式についての話がいろいろ語られた。
中田はなぜ、バリ島で結婚式をすることになったのか?
それは妻である福田萌(タレント)が、『海外で挙式をしたい』と言ったことがきっかけであるという。
中田は海外に行った経験はあまりないが、バリ島には行ったことがあり、話し合いの結果、バリ島で結婚式を挙げることになった。
結婚式の準備を進めていく中で、中田は結婚式の必要性に疑問を感じ始めた。
『夫婦となる2人に結婚の意志があって、両親がそれを認めるなら、わざわざ式を挙げなくてもいいのではないか?』
中田は、結婚式にお金をかけるのはムダだと考えていた。
したがって、彼らにとって結婚式は、「心底楽しみにしていたもの」ではなかった。
しかし中田は結婚式当日、父親からの手紙で涙を流すことになる。
そこから中田の考え方は変わった。
ムダな出費だと考えていた結婚式の費用も、ムダではなかったと思えるようになった。
結婚式を経験して、中田はいろいろなことを学んだ。
・損得に縛られるのはナンセンスである。
・自分1人で選択したことが自分にとって最も快適なものだ、という理論が覆された。
・最も居心地の良い環境は、自分1人ではつくり得ないのかもしれない。
・合理的、排他的な自分を家族が変えてくれた。
何か行動を起こす際に、計算が立たないと動けなかった中田。
大切なものは、たいてい計算の外にある。
そのことに気づき、成長した。
中田の妻・福田は、中田の仕事などに関して意見を言うことがあるという。
それに対して中田は最初、カチンとくることがあった。
しかし妻の普段の態度から、『妻は自分のことをリスペクトしてくれている』ということを感じるので、妻の意見をちゃんと聞くことができるようになったという。
妻が『もっとこうした方がいいよ』と言うのは、『やればできる人だ』と信じているから。
そういう信頼関係があるからこそ、意見を言えるのだろう。
中田さんはこう言いました。
『家族がお世話になっている世界に、何かできることはないか。そのためにパフォーマンスを発揮することが、この世界に貢献することなんだろうなと思う』
デビュー直後の大ブレイク。天狗。そして挫折。
いろんな経験をして、成長した中田さん。
「生きるというのは、変わるということ」
という言葉もあります。
人間って、おもしろいですね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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中田敦彦の思い出の地・バリ島
今回、中田が訪れたのは、インドネシアのバリ島。そこに行くのは3度目だという。
最初に来たのは、学生時代にバイト先の先輩との旅行だった。
2度目は、自身の結婚式+新婚旅行。
中田いわく、『自分にとってバリ島は、違う自分になると予感しているときに訪れる場所なのかも』とのこと。
人生の転機のときに訪れる場所のようである。
今回の放送では、中田の結婚式についての話がいろいろ語られた。
結婚式は必要なのか?
中田はなぜ、バリ島で結婚式をすることになったのか?
それは妻である福田萌(タレント)が、『海外で挙式をしたい』と言ったことがきっかけであるという。
中田は海外に行った経験はあまりないが、バリ島には行ったことがあり、話し合いの結果、バリ島で結婚式を挙げることになった。
結婚式の準備を進めていく中で、中田は結婚式の必要性に疑問を感じ始めた。
『夫婦となる2人に結婚の意志があって、両親がそれを認めるなら、わざわざ式を挙げなくてもいいのではないか?』
中田は、結婚式にお金をかけるのはムダだと考えていた。
したがって、彼らにとって結婚式は、「心底楽しみにしていたもの」ではなかった。
しかし中田は結婚式当日、父親からの手紙で涙を流すことになる。
そこから中田の考え方は変わった。
ムダな出費だと考えていた結婚式の費用も、ムダではなかったと思えるようになった。
ひとりでできることは限られている
結婚式を経験して、中田はいろいろなことを学んだ。
・損得に縛られるのはナンセンスである。
・自分1人で選択したことが自分にとって最も快適なものだ、という理論が覆された。
・最も居心地の良い環境は、自分1人ではつくり得ないのかもしれない。
・合理的、排他的な自分を家族が変えてくれた。
何か行動を起こす際に、計算が立たないと動けなかった中田。
大切なものは、たいてい計算の外にある。
そのことに気づき、成長した。
妻の想い
中田の妻・福田は、中田の仕事などに関して意見を言うことがあるという。
それに対して中田は最初、カチンとくることがあった。
しかし妻の普段の態度から、『妻は自分のことをリスペクトしてくれている』ということを感じるので、妻の意見をちゃんと聞くことができるようになったという。
妻が『もっとこうした方がいいよ』と言うのは、『やればできる人だ』と信じているから。
そういう信頼関係があるからこそ、意見を言えるのだろう。
まとめ
中田さんはこう言いました。
『家族がお世話になっている世界に、何かできることはないか。そのためにパフォーマンスを発揮することが、この世界に貢献することなんだろうなと思う』
デビュー直後の大ブレイク。天狗。そして挫折。
いろんな経験をして、成長した中田さん。
「生きるというのは、変わるということ」
という言葉もあります。
人間って、おもしろいですね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
このブログがあなたのお役に立てたら嬉しいです。
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2015年07月13日
アナザースカイ「オリエンタルラジオ藤森慎吾」
オリエンタルラジオの藤森慎吾さんが、中学時代の3年間を過ごした場所・香港。
その香港を藤森さんが17年ぶりに訪れた。
昔と変わった場所もあったようだが、思い出の場所が残っているところもあり、楽しそうだった。
中学3年間を過ごした香港日本人学校に、彼が中学3年生のときに書いた作文が残っていた。
タイトルは「らいねんの夢」。
その内容は、
『中学3年生の夏は受験勉強で大変だったが、来年の夏は高校生になって女の子と海で遊びたい』
というものであった。
後に「チャラ男」としてブレイクする男の、素質の片鱗が見えた。
藤森さんは、小学校時代は日本の長野県に住んでいたのだが、父の仕事の関係で、家族で香港に住むことになった。
最初は父だけが単身赴任で香港に住んでいて、数年で日本に帰国する予定だった。
しかし帰国の予定が延期になったため、家族を香港に呼ぶことにしたのだという。
だが理由はそれだけではない。
当時、藤森さんの姉が日本でいじめられており、母も疲れ切っていたため、環境を変えたかったという理由もあるようだ。
父のこの決断に親戚などは反対したが、結果的にこの決断は正解だった。
姉も母も元気になり、よく笑うようになった。
こういうことがあったからか、母は藤森さんに「お父さんはすごい人なのよ」とよく言っていたそうだ。
家族間で尊敬できる関係が築けているのは、とても素晴らしいことだと思う。
藤森さんの父は今、インドネシアのジャカルタに単身赴任している。
数年前、オリエンタルラジオ中田さんの結婚式がインドネシアのバリで行われたのだが、そこに藤森さんの父が参加したらしい。招待されていないのに。
そして、「相方の父です」と言って勝手にあいさつを始め、
「嫁さん、かわうぃ〜ね!」
と言って、一番笑いをとっていたらしい。
お調子者というか何というか。チャラ男の遺伝子は父からの贈り物なのかもしれない。
オリエンタルラジオはデビューして10年になる。
デビュー直後にブレイクして天狗になり、周りの人たちに失礼な態度をとっていた。
現在は当時のことを反省しており、迷惑をかけてしまった人たちに謝罪し、和解するという活動を繰り返しているという。
失った信頼は簡単には戻らないが、何もしなかったら悪くなる一方である。
大切なのは、誠実な対応を心がけることだと思う。
誰にでも失敗はある。反省しているのなら、それを誠実な態度で示すことだ。
オリエンタルラジオはブレイク後、かなり深いところまで落ちた。
しかしそこからまた這い上がってきた。
彼らは確実に成長している。
今後ますます活躍すると思う。楽しみだ。
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その香港を藤森さんが17年ぶりに訪れた。
昔と変わった場所もあったようだが、思い出の場所が残っているところもあり、楽しそうだった。
中学3年間を過ごした香港日本人学校に、彼が中学3年生のときに書いた作文が残っていた。
タイトルは「らいねんの夢」。
その内容は、
『中学3年生の夏は受験勉強で大変だったが、来年の夏は高校生になって女の子と海で遊びたい』
というものであった。
後に「チャラ男」としてブレイクする男の、素質の片鱗が見えた。
藤森さんは、小学校時代は日本の長野県に住んでいたのだが、父の仕事の関係で、家族で香港に住むことになった。
最初は父だけが単身赴任で香港に住んでいて、数年で日本に帰国する予定だった。
しかし帰国の予定が延期になったため、家族を香港に呼ぶことにしたのだという。
だが理由はそれだけではない。
当時、藤森さんの姉が日本でいじめられており、母も疲れ切っていたため、環境を変えたかったという理由もあるようだ。
父のこの決断に親戚などは反対したが、結果的にこの決断は正解だった。
姉も母も元気になり、よく笑うようになった。
こういうことがあったからか、母は藤森さんに「お父さんはすごい人なのよ」とよく言っていたそうだ。
家族間で尊敬できる関係が築けているのは、とても素晴らしいことだと思う。
藤森さんの父は今、インドネシアのジャカルタに単身赴任している。
数年前、オリエンタルラジオ中田さんの結婚式がインドネシアのバリで行われたのだが、そこに藤森さんの父が参加したらしい。招待されていないのに。
そして、「相方の父です」と言って勝手にあいさつを始め、
「嫁さん、かわうぃ〜ね!」
と言って、一番笑いをとっていたらしい。
お調子者というか何というか。チャラ男の遺伝子は父からの贈り物なのかもしれない。
オリエンタルラジオはデビューして10年になる。
デビュー直後にブレイクして天狗になり、周りの人たちに失礼な態度をとっていた。
現在は当時のことを反省しており、迷惑をかけてしまった人たちに謝罪し、和解するという活動を繰り返しているという。
失った信頼は簡単には戻らないが、何もしなかったら悪くなる一方である。
大切なのは、誠実な対応を心がけることだと思う。
誰にでも失敗はある。反省しているのなら、それを誠実な態度で示すことだ。
オリエンタルラジオはブレイク後、かなり深いところまで落ちた。
しかしそこからまた這い上がってきた。
彼らは確実に成長している。
今後ますます活躍すると思う。楽しみだ。
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