和歌山県日高郡印南町川又の川又観音は 、室町時代より修験場として栄え、厄除けの観音として崇められています。春は桜・
私の日記「初夏の風に誘われて」に、紀伊半島の山中をドライブし、北上して帰路に着いたことを記しましたが、川又観音にはその途中で立ち寄リました。国道425号線を走っていると、案内サインが出ていました。川又観音のことはそれまで知りませんでした。
社務所に人の気配がするのですが誰もいません。コーヒーや菓子類などが置かれ、「どうぞご自由にお食べください」と張り紙がしてあります。長靴や運動靴、ビニール袋、野菜なども無造作に置かれています。
深い木々の間の参道を歩き、滝の近くまで行きました。長い階段を上がって行くといよいよ権現さんです。階段を上り詰めた頃、二人の年配の男性に出会いました。挨拶を交わし、色々と世間話をさせていただきました。
「水を汲ませていただけませんか」と私は尋ねました。旅に出るときは何時も車にポリタンクを積んでいるからです。
お二人は、滝のそばの岩肌から出ている水を薦めてくれました。しかし、生憎、私はそのとき社務所近くに駐車した車にポリタンクを車に積んだままでした。帰りに社務所の近くから湧き出ている水を汲ませて頂く積もりでいました。
権現さんにお参りして下を見下ろすと、お二人は岩肌に寄り添うようにしてペットボトルに水を汲んでいました。
私は一足先に社務所へと向かい、車からポリタンクを降ろして水を汲んでいました。そこへお二人が帰ってきました。
「沢山汲んでいってや、車で来てはるから・・・」と言いながら、私に一本のペットボトルの水をくれました。それは、お二人が苦労して汲んだ岩肌から出る水でした。
「この水は特別美味いんですよ。病気も治る不思議な水です。昔から多くの方が飲んでいます。これも味わって下さいな」
「どうですか、一服しませんか。コーヒーとお菓子、どうぞ」
コーヒーと菓子を頂きながらの社務所でのお二人との会話を通して、川又観音のことを知ることができました。お二人は世話当番で、朝早くから来られているように私には思われました。
「竜神を通って高野龍神スカイライン、それから、高野山。帰りは橋本へ出ますか、気をつけてお帰りくださいよ」
暫しの会話の後、私は丁重な挨拶を残してその場を後にしました。お二人は何時までも見送ってくれていました。シャクナゲがきれいに咲いていました。
旅の一齣です。見知らぬ地での見知らぬ人々との会話です。その持て成しを私は大変嬉しく思うのです。
道路そのものの上では、常に宗教が生きていた。それが旅人にはなかなか都合の良い面もあった。例えば道端に生えている木の果物は、旅人へのおみやげと考えられたし、ヘルメスとアポロンの聖所の前におかた供物は、腹の減った旅人が食べてもよいことになっていた。旅人は、今日の我々にはとうてい考え及ばないくらいに、国全体の客であり、保護すべき人とされていたのである。間違った道を教えただけで、その人は呪われた者と考えられ、旅人を守ることは国民共通の神聖な義務であった。
これは、ヘルマン・シュライバー著「道の文化史」の中の一節 です。旅を終えた後は何時も思い出します。
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