2014年10月31日
しごとのはなし 太田光[爆笑問題]
最近呑み屋でお笑いの話をした。
その時、1人が「爆笑問題」で爆笑した事なんて一度もないしおもんない、と言って切り捨てられた時、内心『そんな嫌いじゃないんだよな』とか思いながら、聞き流した。
特に太田光は、確かに、空気を壊したり、悪性の滑り方をしたりと言わんとする事も理解はできるし、2chで叩かれてるのを見かけたりする。
ただ、NHKで教授と対談したり、政治討論番組なんかでは、【芸】として面白い事ではなく、【人間】として鋭い事を言ったりする。
そこにいるパネラーも、進行も、視聴者さえも思いつかないような隙間の隙間をつくような盲点を。
そういう意味で【人間】として面白いと個人的に思う。
そういう経緯があり、何気にこの本を手に取った。
読んでみると、その、空気を壊してしまったりする経緯も書いてあった。
「芸人の過剰なプロ意識が俺には似合わないし、好きじゃないのだと思う。特に、テレビのバラエティー番組での《プロだったら、このボケに対してこうツッこむべき》といったプロ意識が、俺には予定調和に感じられて壊したくなる」
確かに、テレビはどれだけ大衆に受けるかであるわけだから、紋切り型の内容の方が、視聴者は安心するのだろうが、そこの隙間に価値を見いだす少数派の方は、太田をおもしろいと感じてるのではないかと思う。
また、お金の価値観について、
「三ツ星レストランで何万円も払って食べるフルコースより、貧乏時代に、ちょっとだけ奮発して食べる800円のカツ丼のほうが絶対うまい。」
ここまでは、よく聞く話だが、
「俺は、思春期に、ピカソの『泣く女』を観て感動した。仮に今、『泣く女』を買い取れる収入があったとする。でも、その絵を家に飾ったとしても、思春期ほどの感動が得られるかといえば絶対に無理だと思う。」
なぜか、この一文に妙に納得してしまった。
美術や絵画に全くの門外漢であるのにも関わらず。
エンタメとアートの項は、すごく心に残った。
アートというのは、こうでなくてはいけない、といった格式みたいなものを太田は嫌っている。
「どこかの偉い先生が、造った何百万円もするような茶碗は普通には使えない。
それよりも、誰でも使える紙コップにアートを感じたりする。」
「ダ・ヴィンチやチャップリンだって、当時は大衆的だったわけで、だからこそ、時代や国境を越えて受け入れられた。」
太田は言う。
「論語いわく。40歳は不惑の年。けれど、俺は迷ってばかりいた。」
と、そしてそれは今も変わらないはずだ。
そして、迷いながらも、
「隙間を狙って笑わせるしか、今の俺にはできることなんてありはしないのだ」
と、綴っている。
記録よりも記憶に残ること。
記録は塗り替えられてしまうかもしれないが、記憶は覚えている限り消えない。
刃の裏にある繊細なタッチで綴られた、この本は少なくとも僕の記憶に残ると思う。
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