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2015年11月11日
「白水阿弥陀堂」夜を飾る!
2015年11月07日
世界大会!中川愛理沙さん「ミス・ナショナルコスチューム」に選ばれた!
福島市生まれのモデル中川愛理沙さん(19)!東京都内で開かれた。2015年のミス・インターナショナル世界大会が5日、日本代表として出場したモデル中川愛理沙さん(19)は、特別賞「ミス・ナショナルコスチューム」に選ばれた。この賞は、自国の民族衣装を最も魅力的に披露した出場者に贈られる特別賞 優勝はベネズエラ代表。
中川さんは福島市で幼少期を過ごし、その後千葉県に移住。元モデルの(母)みどりさんの影響で中学生の時にデビュー。現在は芸能活動と並行して、大学で服飾を学んでいる。今後の活躍に期待したい。
中川さんは福島市で幼少期を過ごし、その後千葉県に移住。元モデルの(母)みどりさんの影響で中学生の時にデビュー。現在は芸能活動と並行して、大学で服飾を学んでいる。今後の活躍に期待したい。
2015年11月05日
2015ミス・インターナショナル世界大会! 福島県発!
積極的な国際交流や社会貢献活動などを目的に5日、東京で開かれる美の祭典「2015ミス・インターナショナル世界大会」に、福島市生まれのモデル中川愛理沙さん(19)が出場する。
昨年11月の国内大会でグランプリに輝き、日本代表としての活動に、充実感を感じさせる。
幼少期は、福島で暮らしその後、千葉県に移住 モデルだった母・みどりさんの影響でモデルを志し中学生でモデルデビュー 現在、172センチの長身を生かしたモデル業と大学生活を両立させる今に至る
世界大会に向けてはウオーキングやメークのレッスンのほか、英会話やマナーとともに茶道や日本舞踊など日本の伝統文化も学んでいる。、世界のステージで輝く中川愛理沙さんにエールを送る。
昨年11月の国内大会でグランプリに輝き、日本代表としての活動に、充実感を感じさせる。
幼少期は、福島で暮らしその後、千葉県に移住 モデルだった母・みどりさんの影響でモデルを志し中学生でモデルデビュー 現在、172センチの長身を生かしたモデル業と大学生活を両立させる今に至る
世界大会に向けてはウオーキングやメークのレッスンのほか、英会話やマナーとともに茶道や日本舞踊など日本の伝統文化も学んでいる。、世界のステージで輝く中川愛理沙さんにエールを送る。
2015年11月03日
イノシシ用焼却炉!来年4月稼働を目指し着工!( 相馬)
福島第1原発事故に伴う避難区域を中心に急増するイノシシを捕獲処分するため、相馬方部衛生組合は2日、同市でイノシシ用の焼却炉の建設に着手した。来年4月の稼働を目指す。
建設場所は相馬市光陽にある焼却施設の敷地内で、市と町で捕獲されたイノシシを処分する。60キロ程度のイノシシを1日3頭処理でき、バグフィルターで放射性物質の飛散を防止し。排ガスが含む放射性物質濃度を定期的に測定、月に1度、ホームページなどで公表する。
2日には現地で焼却炉の安全祈願祭が行われ、工事の無事を祈った。
相馬市では捕獲したイノシシを民間のペット火葬場で焼却するなど対応してきたが、処理能力がイノシシの捕獲量に追い付かず、同組合は、イノシシの増加は原発事故との因果関係が明らかとして、焼却炉の運営費用を東電に賠償請求する方針。
建設場所は相馬市光陽にある焼却施設の敷地内で、市と町で捕獲されたイノシシを処分する。60キロ程度のイノシシを1日3頭処理でき、バグフィルターで放射性物質の飛散を防止し。排ガスが含む放射性物質濃度を定期的に測定、月に1度、ホームページなどで公表する。
2日には現地で焼却炉の安全祈願祭が行われ、工事の無事を祈った。
相馬市では捕獲したイノシシを民間のペット火葬場で焼却するなど対応してきたが、処理能力がイノシシの捕獲量に追い付かず、同組合は、イノシシの増加は原発事故との因果関係が明らかとして、焼却炉の運営費用を東電に賠償請求する方針。
2015年10月31日
海岸彩る ツワブキ波立海岸!
2015年10月30日
紅葉する奥会津の中「SL」快走!
2015年10月28日
世界初!大玉村、マチュピチュ村と「友好都市協定」結ぶ!
マチュピチュ遺跡はアンデス山麓に属し、とがった絶壁の山々がそびえるウルバンバ谷に沿った高い山の尾根(標高2430メートル)にある15世紀のインカ帝国の遺跡。山裾からはその存在を確認できないことから「空中都市」と呼ばれる。「空中都市」として知られる南米ペルー・マチュピチュ遺跡で26日(日本時間27日未明)、大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を結んだ。
協定は、マチュピチュ村の初代村長で故野内与吉氏が大玉村出身だった縁で実現。マチュピチュ村には、他国の世界遺産のある自治体から友好都市締結のオファーがあったが、与吉氏の功績をたたえて最初の協定の相手を大玉村に決めた。
式典には両村などから約100人が出席。マチュピチュ村のダビ・ガヨソ・ガルシア村長はインカ帝国時代の正装、大玉村の押山利一村長、遠藤義夫村議会議長らは日本の羽織袴(はかま)で参加した。
式では、インカの司祭による神への儀式が厳かに行われた後、押山、ガルシア両村長が協定書に署名し、握手を交わした。
協定は、マチュピチュ村の初代村長で故野内与吉氏が大玉村出身だった縁で実現。マチュピチュ村には、他国の世界遺産のある自治体から友好都市締結のオファーがあったが、与吉氏の功績をたたえて最初の協定の相手を大玉村に決めた。
式典には両村などから約100人が出席。マチュピチュ村のダビ・ガヨソ・ガルシア村長はインカ帝国時代の正装、大玉村の押山利一村長、遠藤義夫村議会議長らは日本の羽織袴(はかま)で参加した。
式では、インカの司祭による神への儀式が厳かに行われた後、押山、ガルシア両村長が協定書に署名し、握手を交わした。