山川 健次郎は日本初の物理学者です。
その家は会津藩の家老家で
戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属、
落ち延びた後に米国留学を果たし、
最終的には東大総長・京大総長を務めます。
実は私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので
個人的に親近感を持っていたのです。
小さなご縁を感じていました。
山川健次郎は国費留学生として
イェール大学で学位を修めます。
また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは奥様を通じて親戚関係となっています。
山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして日露戦争に関するものがあります。
当時、彼は東大で総長を務めていましたが、愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、一兵卒として従軍させろ、と担当を困らせたそうです。個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。
山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。特にコペンハーゲン学派が次々と新しい知見をもたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく若者達を育てていく時代だったのです。
山川健次郎自身の研究成果は余り伝えられていませんがそれよりも寧ろ、後輩達を育てる為の土壌を育んでいたと考えるべきでしょう。
ただ、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたがそれに対して山川健次郎は批判的で冷静な立場をとっていたと伝えられています。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/23_初回投稿
2021/01/11_改定投稿
【舞台別のご紹介】
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image