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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年02月27日
大谷刑部の病気
大谷吉継という武将は地味だけどなかなかの活躍をした武将でした。

生まれた時期がもう少し早ければ、かなりの名将として名を残したかもしれませんね。

この人は病気で、関ヶ原の頃はもう目も見えなかったそうですね。

惜しい人物です。

この人の病気には諸説ありますが、一般的にはライ病(ハンセン病)とされています。

しかしながら、ずいぶんと前に見たテレビでちょっとタイトルを忘れてしまった(歴史秘話ヒストリアだったと思うのですが…違ったらすみません)のですが、大谷吉継はライ病ではなかったというのを見た事があります。

それによると、大谷吉継の病状を記載した物をじっくりと医者に読んでもらうとライ病ではないらしいのです。

そこでその医者が下した結論は「進行性梅毒」でした。

この病気は感染後10年以内に発病するとの事で、関ヶ原の頃の大谷吉継が重度の難病にかかってましたのでそこから10年以内にあった事と言えば…。

そう、朝鮮の役です。

この戦に大谷吉継は出兵してますが、どうもここで感染したのでは?と結論付けてました。

戦というのは結構破廉恥な物で、女の人を帯同しませんので陣中の性のはけ口として小姓を連れていったり、攻め取った土地の女性をさらったりしていたらしいです。
(ちなみに、そういう事が目的で城を落そうとした軍もあるらしいですよ。恐ろしい話ですね。)

その結果、病気をもらう事もあったらしい。

もし大谷吉継が進行性梅毒だったとすれば…彼もそういった行為をしていたという事ですね。
(あまりイメージに合わないですが…。)

まあ、この戦国時代というのはあまりモラルを感じない所がありますしね。

例えば、家来は毎朝お城に登城したりする訳ですが、その折にすでに酒に酔っている人なんかも結構いたそうですしね。

現代人からしたらちょっとあり得ないと思える行為も、当時では普通だったんでしょうね。

大谷刑部はライ病だったのか、進行性梅毒だったのか、どっちなんでしょうね…。



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2010年02月25日
龍馬の特集本買いました
個人 という本で龍馬の特集をしてましたので買いました。
(初めて見る本なのでどういう本なのかは知りませんが…)

龍馬暗殺について記載している所があり、それに興味があって買ったのですが…。

その記事は実行犯は見廻り組、しかしながら龍馬の情報を流した人物がいたはずだという観点から、その黒幕的な人物について記載してました。

挙げられていたのは三浦休太郎、後藤象二郎、大久保利通、伊藤甲子太郎の4人でした。

動機の面から言うと…。

私の考えでは三浦休太郎はグレー、後藤象二郎は白、大久保利通はグレー、伊藤甲子太郎は白となります。

休太郎はいろは丸事件の仕返しを考えてもおかしくないし、大久保は倒幕についての意見が龍馬とは違いましたしね。

後藤は大政奉還の手柄を独り占めしたかったなんて動機理解できます?

だって、龍馬の案というのは後藤以外にも知っている人が複数いたはずでしょ?
その案や手柄を独り占めするんであれば龍馬が起案した事を知っている人を抱き込むか、暗殺しないといけませんよね。

現実味が無いような気がします。

甲子太郎は何としても倒幕派に近寄りたかったので龍馬暗殺の糸引きをして薩摩に気に入られたいという動機だったなんて言う人もいますが、この人、龍馬が斬られる少し前に龍馬に対して警戒が薄いって注意してますよ。

自分が暗殺に関わるつもりであれば、わざわざ龍馬に警戒するように話すなんて暗殺が不利になるような行動はしないと思います。

大体、本当に見廻り組なんでしょうか…。

私的には、以前2009年9月23日、9月24日の記事で記載しましたが(ファンブログをご覧の方はリンク集の中から私的歴史道seesaa版をクリックすれば見に行く事が出来ます。)見廻り組説は完全にでっち上げと考えています。

じゃあ、黒幕は誰なんだという話になりますが、限りなく黒に近いグレーと考えているのは西郷隆盛、グラバー、アーネストサトウと言った面々です。

特に、西郷隆盛は死んでますしね。

うまい具合に口封じをしたようなものでは?なんて考えています。
(大体、征韓論自体戦争につながる程の事かよ!なんて思ってますから、勿論西南戦争自体おかしな話と思ってます。)

強引にでも西郷隆盛を消したかったのでは?と考えてます。

その理由として、西郷隆盛が当時英雄になりすぎた事と、龍馬の暗殺絡みだと考えてます。

大体、西郷隆盛はかなり用心深い男でしたしね。

話がいっぱいずれてしまいましたが…。

せっかく買ったこの本ですが、龍馬暗殺の記事を最初に読んで、その記事に失望した為、他の記事は恐らく読まないと思います…。



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Posted by たか at 02:36 | 幕末 | この記事のURL
2010年02月22日
龍馬伝第8話を見て
今回も見ましたよ。

我ながら優秀です。

今回は吉田東洋(田中氏)がいい味出してましたね。

あれでこそ吉田東洋。

今まであの傲慢さが出てこなかったのでちょっと気になってました。

武市半平太と龍馬の溝がどんどん大きくなっていくのもなかなかの見どころですね。

ここで、あの時代の攘夷についてちょっと…。

日本人はというか武士はプライドの生き物ですので、異国から来た人に絶対負けない!という気持ちを持ってます。
(何の根拠もないですが…。)

そこで黒船が来て日本に開国を迫ったという事を伝え聞いた場合、ほぼ100%の人が「神国日本を守るべし!攘夷だ!」となってしまいます。

そこがこの武士という生き物の悲しさなんですが…。
(結構、井の中の蛙になってしまう教育体制だったんですね。)

だから、開国を決定した幕府に対しては「腰ぬけ!」、「何を考えてるんや!」ってなってしまいます。

ところが、本当に黒船を見た武士はどうなるかというと…。

先進国の技術を目の当たりにする訳です。

まず間違いなく最初に考える事は「どうすれば黒船を倒せるか。」だと思います。

その結果、倒すことは不可能。刀では太刀打ちできない。大筒でも無理(飛距離が無く届かない)。という結論になり、攘夷の思想にはならないというか、攘夷は無理と考えてくる人が多数を占める訳です。

となると、開国を選ばざるを得ない状況になります。

これが日本を暗殺者の集団にしてしまう原因なんですね。

攘夷を唱える人と開国を唱える人は相いれないですし、攘夷派は手当たり次第外人を斬り、開国派を斬りという事になってくるんですね。

攘夷を叫んで走ってきた人達は、結局諸外国の力を知って開国を容認するようになります。
(薩英戦争、馬関戦争ですね。)

その頃には攘夷派の面々は多くの暗殺によって時代が動き、幕府は決して倒せないものではないと気付く訳です。

これが本格的な倒幕思想になり、やがて戊辰戦争へと走っていく訳ですね。

正直、本当に日本が無駄な血を流した時期ではあるのですが、中世から近世に変わる為の試練だったんでしょうね。


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Posted by たか at 01:45 | 幕末 | この記事のURL
2010年02月16日
龍馬伝第7話を見て
7話目も、ちゃんと見ました。

結構優秀と、自分をほめています。

出てきましたね、河田小龍。

不思議ちゃんっぽい所がオツですね。

登場第一声が「ヌーヨーカー!」って言うのもなかなかの演出でした。

しかし武市半平太がどんどん凄味を増していきますね。

渋いです。

この龍馬を見ていて色々と思う所があるんですが…。

今の龍馬は攘夷ではないですよね。
(まあ、元々攘夷かって言われると微妙ですが…。)

今後、土佐勤皇党への参加や勝海舟との出会いは、どうやって描くんでしょうか…。

ちょっと興味があります。

しかし、本当にこのドラマはわき役陣がかなりしっかりしてますね。

福山さんは仕方ないですが…。
(別に演技が下手とかいうわけではなく、龍馬の描き方がさわやかすぎると言っているだけで…。)

もう、早くも「誰に斬られるの?」なんて考えています。

今までとは違う龍馬を描くという「龍馬伝!」ですから今井信郎、佐々木唯三郎といった人でない事を祈ります。


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Posted by たか at 02:05 | 幕末 | この記事のURL
2010年02月14日
歴史の決断
歴史には、さまざまな場面において決断を下します。

その決断は常に正しいとは言えないのがまた、歴史の決断の難しい所です。

何を言いたいかというと…。

一例ですが、紀元前520年の中国において、周王朝に後継者争いが勃発します。

正式な後継者の悼王(トウオウ)と王子朝(オウジチョウ)との戦いです。

当時の中国を主催している覇者は晋(シン)でした。

王朝としては周王朝なんですが、当時の周王朝には力が無く諸侯は晋を盟主として仰ぎ、周王朝を支えるという時代でした。

本来ならば、悼王が普通に王位を継ぐ立場にあったのですが、先代の景王(ケイオウ)が可愛がったのが妾出の王子朝だった所にこの悲劇が生まれました。

王子朝は英邁だった所にも悲劇があります。

王子朝の養育官を賓起(ヒンキ)と言いますがこの男が上手く景王の気を引いて太子を廃嫡し、王子朝を立てる事を考えて、当時の周王朝で実力を持ち、太子の廃嫡に反対していた単公(ゼンコウ)と劉公(リュウコウ)を景王に殺させようとするのですが、逆に景王が死んでしまいます。

この状況の為、王位を争う戦になるのですが、この戦いは王子朝が死ぬ時まで続くと考えれば約15年続きます。

悼王側には単公、劉公という当時の周王朝にて力を持っていた実力者が付き、王子朝には尹氏(インシ)、召氏(ショウシ)、南宮氏(ナングウシ)等、周王朝が開かれて以来の名門で、当時権威が低下していた士族達が付きました。

結局は王子朝を利用して自分達の権威を取り戻そうとした人達の欲望がこの乱を呼んだ訳ですね。

悼王側の使者陰不佞(インフネイ)が晋の大臣趙鞅(チョウオウ)に援軍を依頼し、晋が悼王側に付いた為、次官は長くかかりましたが悼王側の勝利となり、晴れて悼王が王位に就く事になります。

この乱においては、晋に対して当然王子朝側も使者を発しているはずですが、悼王側が先に晋についた訳ですね。

その結果晋は悼王側に付く事になるのですが…。

勿論、正式な太子を支援する事に大義名分は十分立ちますし、正しい選択なんですが、これがもし王子朝側が先に晋に援軍依頼をしていたら…。

晋は王子朝に付いた事になると思います。
(先王は王子朝に嫡子を変えようとしていた訳ですから…。)

悼王よりも王子朝の方が能力を持っていたようですから、その方が素晴らしい王朝になったかも知れません。

ここに歴史の決断の厳しさがあると思います。

このブログにおいて「お家騒動」(2010年2月9日)、「君主の資質」(2009年11月14日 ファンブログ版をご覧の方は左のリンクから私的歴史道seesaa版に飛んでいただければご覧いただく事が出来ます。)でも記載してきた通り、君主の能力は時に邪魔になる。どちらかというと君主には能力が無い方がいいのでは?という意見を述べています。

その意見には変わりがないですが…。

王子朝。
この人はいい補佐役になる事ができれば歴史に違った意味で名を残したと考えています。

自分の能力に自信があったのかも知れませんが、周りの人にそそのかされた感もあります。

そういう雑音を無視していれば…。

という気持ちになります。

歴史というのは本当に時として「それで良かったんだろうか?」という事がまま見受けられます。

それも歴史の決断なんでしょうね。


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Posted by たか at 01:31 | 春秋時代 | この記事のURL
2010年02月13日
中国史上最強の将軍
昨日のこのブログを見に来ていただいた方々のアクセスを見させていただくと、「中国史上最強の将軍」という事で検索されておられる方がいましたので、本日は中国史上最強の将軍について私の思う所を述べたいと思います。

ぱっと、中国史上最強の将軍と言われるとどういった方々を思い浮かべるでしょうか?

私の勝手な想像ですが、項籍(コウセキ 項羽/コウウ とも)、韓信(カンシン)、孫武(ソンブ)、呉起(ゴキ)、楽毅(ガッキ)、ちょっとマニアック所で白起(ハクキ)辺りでしょうか。

もしくは、三国志がやはり人気がありますので、そこに登場する武将でしょうか。

例えば、曹操(ソウソウ)、諸葛亮(ショカツリョウ)、関羽(カンウ)、張飛(チョウヒ)、趙雲(チョウウン)、馬超(バチョウ)、黄忠(コウチュウ)、孫堅(ソンケン)、孫策(ソンサク)、周瑜(シュウユ)、陸遜(リクソン)、呂布(リョフ)…。

私としては上記の将軍は全て優秀な将軍ですが、中国最強というまではいかないような気がします。

項籍はご存じの通り非情過ぎた為多くの部下が離反し、劉邦(リュウホウ)に肝心な所で負けていたり、韓信は国士無双と言われた通り、百戦百勝の名将ですが、結局政争に負けて殺されていたり、孫武は活躍が少なすぎるし、呉起、楽毅、白起は共に自国の内部をまとめ切れなかった為に殺されたり、左遷されたりしてます。

三国志の英雄達においては、曹操は確かに勝率8割を誇る名将ですが、負ける時が派手すぎる。

諸葛亮は三国志演義では名将ですが、正史三国志では戦は余り得意ではなさそう(三国志演義でも北伐は失敗してますしね)ですし、関羽、張飛は戦い方が粗暴すぎる。

趙雲はサイボーグのように戦をこなしますが、それは自分の担当する戦局においてで、全体を眺めた上での戦略、戦術の実行ができない(できたのかも知れませんがしていない)。

馬超、黄忠においては戦争においては一つの駒としての働きしかできず、孫堅、孫策は戦は強くても、軽率な行動が目立つ。(その為二人とも死んでますしね。)

周瑜は赤壁はかなりの活躍を示したがその後の江陵(コウリョウ)の戦い方に疑問があるし、陸遜は君主を制御できず、死んでます。

呂布に至っては知者に操られただけで結局自分の戦ができなかった。

等々、悪口ばかり書きましたが、決して嫌いな訳ではありません。

あくまで、史上最強を考えた場合に見えるマイナスポイントを記載したまでです。

そこで、私の思うこの人が中国史上最強の将軍では?と思う人物は士会(シカイ)です。

この男は晋(シン)の文公(重耳/チョウジ)の晩年の右(国内で最強を誇る武人が就くポスト)になり、その後順調に出世して最後は晋の宰相になります。

戦場における駆け引きはずば抜けていて、この人の部隊が負ける事はありませんでした。

その凄さはヒツ(漢字が表記されません)の戦いに見る事ができます。

当時の中国において、晋は城濮の戦い(ジョウボクノタタカイ)において南の大国、楚軍(ソグン)を破り覇権を手にします。

しかしながらその35年後、ヒツ(漢字が表記されません)の戦いにおいて城濮の戦いと同じ楚軍に大敗を喫し、覇権を楚に渡します。

このヒツの戦いは晋軍の中軍(当時の戦は上軍、中軍、下軍の3編成で攻め込むのが常で、中軍はその主力)は早々と崩れ、下軍は壊滅的なダメージを受けました。
(下軍の将、趙朔/チョウサク はこの時の傷が元で死にます。)

そんな中で上軍を指揮していた士会はその才能を遺憾なく発揮し、無傷で軍を引かせます。

これだけをみても優れた将軍なんですが、この戦以外にも参加した戦は常に勝利を治めるという優秀さ。

また、宰相になり、後世の人達に「晋における最高の宰相」という評価を受けます。
(ちなみに、宰相に就いていたのはたったの2年です。)

内を見事に治め、外に出ては完璧な戦をする。

これこそまさに最強の将軍と言えると考えてます。


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Posted by たか at 04:16 | 春秋時代 | この記事のURL
2010年02月12日
弥太郎母のへそくり壷発見
本当は違う記事を書こうと思っていたのですが、ちょっとニュースを目にしたので、その記事に変更します。

2010年2月11日 読売新聞
 龍馬伝にも登場、弥太郎・母「へそくりつぼ」発見

より。

三菱グループの創始者、岩崎弥太郎の母・美和が、一文銭をためていたとされる「へそくりつぼ」が、高知県安芸市の弥太郎の生家近くに住む会社員小谷哲也さん(48)方で見つかったそうです。

壷は地元の内野原焼で高さ約30センチ、直径約20センチで木箱には美和(弥太郎の母)が高知を離れる際に親しかった小谷さんの先祖に譲ったと記されているそうです。

大河ドラマの「龍馬伝」で美和役の倍賞美津子さんがへそくり壷を床下から出すシーンがあり、資料館からの依頼で壷の存在を伝え聞いていた小谷さんが1カ月程前、自宅を探して見つけたとの事です。

壷には寛永通宝銭177枚が入っていたそうです。

この壷は高知県安芸市の市立歴史民俗資料館で年末まで公開されるそうです。

また、同館は「コツコツ貯金していたのが、しっかり者の美和さんらしい」とコメントされています。

またまた、大河ドラマ効果ですね。

寺田屋事件の幕府側の報告書といい、龍馬が寺田屋で使ったとされる「スミス&ウェッソン2型」の拳銃が高知県の民家で見つかったりと…。

大河ドラマって凄いですね。

ちなみに私は今の所、高知県に行く予定が無いので、この壷を見に行く事はないと思われますが…。

龍馬伝は年末まで放送されますので、今後も幕末の資料や現物が出てくるかも知れません。

2009年12月15日の記事でも記載(ファンブログをご覧の方はリンクから「私的歴史道seesaa版」に飛んでいただければこの記事を読んでいただく事が出来ます。)しましたが、「日野宿本陣」に行った際、ここの主人であった佐藤彦五郎が残した遺品が子孫に伝わっていて、その多さに「全てを見きれていない」とおっしゃってました。

龍馬伝を契機に、そういった方々(恐らく全国でも遺品を全て見れていない人は多くいらっしゃると思います。)に遺品をチェックして頂き、眠っていた物を掘り起こしていただければなんて考えています。

こういった物が見つかりだすと、なんかわくわくします。

Posted by たか at 00:00 | 幕末 | この記事のURL
2010年02月09日
お家騒動
歴史を読むと日本でも中国でも必ず出てくるのが「お家騒動」です。

このお家騒動は殆ど跡取りを誰にするかとか、決まっているのに兄弟が名乗りを上げるといった形になります。

それだけ、跡取りを決めるという事は重要課題だった訳ですが…。

私に言わせれば(誰に言わせても)本当に無駄な争いと思います。

このお家騒動には色々とパターンがあります。

第一に、先代が跡取りを決めないうちに死んでしまう。

これは戦で急死とか言った形もあるのである意味責めれないですが、100%先代の責任です。

日本ですと上杉家なんかこの代表的パターンですし、三国志ならば袁紹(エンショウ)がこのパターンですね。

いつ死ぬか分からないのだからすぐに決めておけばいいのに…。

第二に、周りにそそのかされて立つ。

そそのかす人は母親であったり、家臣であったりします。

このパターンが一番多く、一番最悪ですね。

まずは母親のパターン。

日本で行くと伊達正宗なんかは嫡子なのに母親に殺されかかってますしね。

他にも、織田信長なんかもそうです。

その為に信長は領内を真っ二つに割った戦いをする事になりますね。

また、三国志では劉表(リュウヒョウ)がこのパターン。

劉表には劉g(リュウキ)、劉j(リュウソウ)という兄弟がいた訳ですが、劉gは劉表の前妻の子で、すでに母親は死んでいました。

後妻の座に座った蔡氏(サイシ)が我が子劉jをどうしても跡取りにしたいと考え、策を弄して劉gを遠ざけ、結果的に劉jを跡取りにしますが、その直後、曹操(ソウソウ)が攻めてきて、一戦も交えず全面降伏します。
(これじゃ何の為に跡取りになったんだか…。)

信長の場合も、劉表の場合も、母が我が子を跡取りにしようと(信長の場合は対立した信行と同じ母親ですが…)画策し、対立した両者の家臣も二つの派閥に割れる訳ですから、お家(領土も含む)を二つに割る事になり、決して国力のプラスにはならず100%マイナスになるのにそんな事をするんですね。

また、家臣が煽りたてて後継者争いを産んでしまう事もありますね。

曹操の跡継ぎ争いなんかは正にこのパターンと思います。

曹操が賢明だったので国を割るという事はなかったですが、結果として曹植(ソウショク)一派の楊修(ヨウシュウ)が死んだり、その他の家臣も曹植同様飼い殺しになってしまいました。

これは人材の無駄遣いといえますね。

母親や家臣達に煽られて後継者に立候補するやつもバカですが、煽る方はもっとバカですね。

煽るのは欲にかまけてしまうから煽るんですよね。

母親は息子が後継ぎになり、君主として立ったら自分は絶大な権力をもちますし、家臣達は出世して良い生活ができるなんて考えるんでしょうね。

でもこれが国を滅ぼす原因になるという事まで考えれたら、こんなことは起きないはずなんですが…。

一番の理想は長男が後を継ぎ、他の兄弟は長男を支えて国を切り盛りするのが理想なんですが…。

ここで、「長男が凡庸やったらどうすんねん!」なんてツッコミが聞こえそうですが、私は2009年11月14日の記事「君主の資質」でも記載しました(ファンブログ版をご覧の方はリンクよりseesaa版に飛んでいただき、ご覧ください)通り、君主の能力は、時に邪魔になると記載しました。

私の考えでは、君主というのは変に能力を持っているんであればむしろ無能な方がいいと考えてます。

家臣達に優秀な人がそろっていればいいんです。

そうする事によってお家騒動もなく、国力を削ることなく乱世に立ち向かえると考えております。

ただ、中国の皇帝の場合は複雑で、この意見に合わない事がままあります。

それは中国の皇帝の周りにいるダニ、宦官(カンガン)の存在です。

彼らさえ厚遇しなければ、やはり君主は無能でも良い訳です。


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Posted by たか at 02:13 | その他 | この記事のURL
2010年02月08日
龍馬伝第6話を見て
とうとう吉田松陰が出てきましたね。

あのぶっ飛びっぷりはなかなかナイスです生瀬さん。

私のイメージに近いですね。

いよいよ武市半平太の凄味が出てきましたね。
こちらもナイスです。大森さん。

それに引き換え龍馬はなんじゃ!!

きれいすぎます。

こんな真面目な男やったかな??

以前記載した通り、ロールプレイングゲームですね、このドラマは…。

今の龍馬はレベル5くらいでしょうか。
(まだ装備はこんぼう)

福山さんがかっこよすぎるのでこういう描き方にはなるんでしょうが…。

一応、HDDに録画して置いているんですが、もう1度見返したいと思った事が無い…。

でも何とか、6話まで、今の所全てみてますよ!

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Posted by たか at 02:06 | 幕末 | この記事のURL
2010年02月06日
天下無双の呂布奉先
呂布奉先(リョフホウセン)

ご存じ、三国志一の猛者。

常にこの人とならんで出てくる言葉は

「人中の呂布、馬中の赤兎」

人の中で1番は呂布、馬の中で1番は赤兎という意味です。

五原郡九原県(ゴゲングンキュウゲンケン 今のモンゴル)の産まれ。

一般的には智謀に欠け、物欲の強い性格だったと言われていますね。

この人、そうなのかな…。

まあ、智謀には欠けてますね。

それは認めます。

ただ、物欲が強いというよりか、能天気な少年(さわやかな意味で無く、いつまでも大人になりきれなかった大人ということ)といったイメージを私は受けています。

勿論、モラルは低いですね。
(丁原/テイゲン、董卓/トウタク と、二人の主君を裏切り、その際にどちらも殺してますしね。)

丁原、董卓を殺したのは、どちらも呂布より頭の良い人にそそのかされて殺しています。

私に言わせればこれは、呂布があほすぎるのとモラルが低い所を利用されて、頭の良い連中に踊らされてただけですね。

というのも、元々、丁原も董卓も殺すという事は、呂布の頭にはなかったと思うんですよ。

例えば呂布は董卓配下の頃、董卓の侍女(三国志演義では王允/オウイン の養女貂蝉/チョウセン)と密通(いわゆる不倫)していて、それが露見する事を恐れています。

あれだけ強い男がですよ。

もし本当の裏切り者なら恐れず、迷わず董卓を斬ってると思うんですよ。

それを恐れている呂布が、なんか可愛く思える訳です。

結局、王允にそそのかされて董卓を斬るはめになりますが…。

董卓の首を取った後、長安を董卓配下に急襲されて落ちのびていく際も「董卓を斬ったからどこでも英雄として迎えられる!」なんて甘い見通しを立ててるあたりも「子供やな〜。」なんて思います。
(なんかたまたま100点を取ってエヘン顔になっている子供みたいに思えます。)

独立するも結局敗れて、曹操(ソウソウ)の前に引き出された際に「これで天下は治まった。貴公が歩兵を率い、私が騎兵を率いたら天下無敵だ!」なんて言ってるあたりも「ほんま子供やな〜」なんて思ってしまいます。

挙句の果てには部下の張遼(チョウリョウ)に「見苦しい。死ぬ時は死ね!」なんて言われてるし…。

あの豪勇無双の姿とこのおちゃめな姿のギャップがたまらなく、にくめない人物です。

案外良いやつかも…。

なんて思ってしまう自分がいます。


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Posted by たか at 03:57 | 三国志 | この記事のURL
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