2011年03月30日
法然院 (京都)
『法然院』
※京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町
(銀閣寺のすく近くです)
拝観時間:午前6時から午後4時まで
ご協力お願い致します
法然上人の教え
われらが往生[極楽に生まれること]は、ゆめゆめ、わが身の
よしあしきにはより候まじ[自身の善悪には関係がない]。
ひとえに佛の御ちからばかりにて候べきなり。
罪の軽重をいわず[自身の罪の軽重に関係なく]、
ただ念佛だにも[念佛さえ]申せば往生するなり、別の様なし。
往生は一定と思えば一定なり、不定と思えば不定なり。
[極楽往生は、可能であると思えば可能であり、
不可能であると思えば不可能である。]
山門
白砂壇(びゃくさだん)
山門を入ると、両側に白い盛り砂があります。
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を
清めて浄域に入ることを意味しているそうです。
季節に合わせて
境内からの山門
静かで良い所です。
何かのポスターに採用されていた記憶があります。
※京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町
(銀閣寺のすく近くです)
拝観時間:午前6時から午後4時まで
ご協力お願い致します
法然上人の教え
われらが往生[極楽に生まれること]は、ゆめゆめ、わが身の
よしあしきにはより候まじ[自身の善悪には関係がない]。
ひとえに佛の御ちからばかりにて候べきなり。
罪の軽重をいわず[自身の罪の軽重に関係なく]、
ただ念佛だにも[念佛さえ]申せば往生するなり、別の様なし。
往生は一定と思えば一定なり、不定と思えば不定なり。
[極楽往生は、可能であると思えば可能であり、
不可能であると思えば不可能である。]
山門
白砂壇(びゃくさだん)
山門を入ると、両側に白い盛り砂があります。
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を
清めて浄域に入ることを意味しているそうです。
季節に合わせて
境内からの山門
静かで良い所です。
何かのポスターに採用されていた記憶があります。