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「転掌」=「六機手」?

「三戦」以外にもう一つ、那覇手の鍛錬形といえば「転掌(てんしょう)」があります。

「三戦」と比べると円を描くような、しなやかな軌道が特徴的です。

まずは全日本空手道剛柔会最高師範・山口剛史先生の演武をご覧下さい。



この形は、剛柔流開祖・宮城長順先生が創作されたものと言われています。

実は、昭和初期までは「六機手(ろっきしゅ)」と呼ばれていました。

えっ!?ろ・っ・き・し・ゅ?

とても形の名前とは思えませんね(笑)

そもそも、「六機手」とは、6種類の手技の総称でした。

右の写真をご覧下さい。

これは、宮城先生が東恩納完量先生から伝承された「武備誌(ぶびし)」という大変貴重な文献です。








この中に6種類の手技が「六機手」として、図入りで説明されています(右の図)

そしてこの「六機手」の用法を練習するための形として宮城先生が創作されたのが、形・「六機手」だそうです。

それが後に「転掌」と名称変更されたというのが、定説です。




。。。が、これには反論があります。(私じゃありませんよ・笑)

そもそも武備誌の「六機手」をもとに創作したのなら、もっと形の動きの中にこの手技が入っていてもいいはずです。

しかし実際には、6個の手技はあまり形の中には含まれていません。

そこで「転掌」のルーツは武備誌の「六機手」ではなく、中国拳法の「八分寸」という「套路(とうろ)」に由来するのではないかという武術家もおられます。

中国拳法では、「形(かた)」とはいわず、「套路(とうろ)」と言います。

では一度、右の写真をクリックして「八分寸」の演武をご覧下さい。

確かに、一部分、「転掌」の動きにそっくりな箇所がありますよね。

皆さんはどう思われますか?



さて、ここからは余談なのですが、今日は武備誌と宮城長順先生の話題が絡みましたので、現役部員の皆さんにはぜひ覚えておいていただきたい雑学があります。

糸東流と並んで、現在わが国の「四大流派」の一つとして名高い「剛柔流」というのがありますが、そもそも「剛柔流」という名称は何に由来しているのでしょうか?

実は「武備誌」の中に「拳之大要八句」というのがあるのですが、そこに記されている「法剛柔呑吐」という言葉から来ていると言われます。



これは「法は剛柔を呑吐する」の意味で、「一切の存在、事象は全て「剛」と「柔」からなり、剛は陽、柔は陰となって万物を構成し、闘争における剛は攻めとなり柔は守りとしてその安全を計る。剛柔の一体化は闘争を避ける無我の心境へと導かれるのである。」ということだそうです。

何やら難しい言い回しですが。。。(笑)

最後の「剛柔の一体化は闘争を避ける無我の心境」というのが、宮城先生の、この遺句に通じるのでしょう。

人に打たれず人打たず、

事なきを、もととするなり


これが剛柔流空手道の修行の心得となっているそうです。

でもこれって、何かに似ていませんか?

「君子の拳」、つまり首里手の大家・糸洲安恒先生の言葉です。

この思想を受け継いだ糸東流開祖・摩文仁賢和先生は、剛柔流開祖・宮城長順先生と大変親交が深かったそうです。

やはり達人同士、相通じるものがあったのでしょうか。


では最後に糸東流の「転掌」の動画をご覧いただいて、那覇手の話題は一区切りとします。



「三戦」と「転掌」を毎日の稽古の最後に、整理体操みたいな感じで採り入れている道場も多いようです。

現役部員の皆さんもやってみてはどうですか?

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