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2016年10月11日

まさか、置いたその日に・・・!!凄さを伝えたい。 「ごきぶりホイホイ(アース)」

ごきぶりホイホイはやっぱり凄かった!という体験談です。
ゴキブリなんて言葉だけでも聞きたくない!目にしたくない!という方はご遠慮いただいたほうがよろしいかと思います。

さて、「ゴキブリ」と聞くと、途端に表情が険しくなる人が多い今日この頃。
私の家族も例外ではありません。

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実は、今の家に引っ越ししてから5年程になりますが、実は家のなかでゴキブリを見たことが一度もありませんでした。
特別に片付いている家ではないため(むしろ散らかっていると言ったほうが適当かと・・・)、きっとそれは偶然の賜物だったんだろうかと今になって思うのですが、それがつい先日、ついに家の中で彼を発見してしまいました。

時刻にして深夜2時。
ふとリビングに表れた彼の姿は何か非現実的で、一瞬幻でも見たのかな?と思いましたが、落ち着いてよく見るとやっぱりゴキブリでした。
黒々としたそのボディはしかし、私がティッシュを取りに動いたその隙に姿をくらましていました。

翌日そのエピソードを家族に話したのが運の尽き、この役立たずと言わんばかりの非難に遭いました。
・なぜティッシュを取りに行ったのか理解できない。
・手元にあるチラシとか何か丸めて攻撃するべきだ。
・敵から目を離すな。


それから対策を考え、月次ではありますが「ごきぶりホイホイ」を購入することにしました。
2個パックで確か600円台。正直高いなコレと思いましたが、開けてみると1パックに5個セットで入っていました。パッケージをよく見ると確かに1パック5個入りと書いてありました。いやそんなにいらないんだけど・・・と困った顔をしてももう遅い。
とりあえず3個だけ置いてみることにしました。
目撃したリビング周りに1つ、
台所に1つ、
玄関まわりに1つ。

仕掛けたのは夜の10時頃でした。
翌日の朝、とりあえず様子を見てみたところ、中に一匹のゴキブリが。

早速かよ!!!!!


いやいや、早すぎるでしょ。
もう少し時間をかけても良かったんじゃあ・・・とも思いましたが、罠をしかけておいてそんなことを考えるのもゴキブリに失礼だなと思い直し、素直に「ごきぶりホイホイ」に対して敬意を持つことにしました。

所要時間、約8時間。

すごいよごきぶりホイホイ(アース)


という、日常の1コマでした。

(以下、余談)

ところでどうしてゴキブリってこうも嫌われるんでしょう?
見た目のことを言う人は多いですが、見た目でいえばコオロギだって同じようなものですよね。私はコオロギが苦手です。

というわけで「ゴキブリ 害」でググってみると、やはり人間にとっては「害虫」であることは間違いないようです。
ゴキブリ自体に罪は無いのですが、家の中にどこからともなく侵入し、排水口でもトイレの中でも自在に動き回る機動力溢れる彼らのボディは、そこに住んでいる人間にとって「不衛生」をもたらす存在になってしまうのです。

ネットで読む限り、甘く見ていると痛い目にあうこともあるみたいです。

どこかで「ゴキブリなんて蚊みたいに刺してくる訳でもないし、大目に見てもよいのでは」と考えていましたが、これは考えを改めなければなりません。家を構えて住む以上「不衛生」に対しては、戦わなければならないと思いました。
posted by 霧島もとみ at 2016年10月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年06月07日

日清食品さんの細やかな心づかいに感動した話「U.F.O.の小袋が、内蓋の上に・・・!?」

日清焼きそば「U.F.O.」といえば、日本人なら誰でも名前を聞いたことがある伝統の一品ということで異論はないと思います。

すみません。言い過ぎました。そう思っているのは私だけかもしれません・・・。でも、まあ、日本のカップ麺を代表する一品であることは間違いないでしょう。

さて、今日はそんなU.F.O.にまつわる日清食品さんの細やかな心づかいに感動した!という話です。

久し振りにU.F.O.を買ったときに気付いた違和感


U.F.O.って、1年のうちに何回か衝動的に食べたくなりませんか?
そして集中的に何個か食べると、あの濃いソース味に「お腹いっぱい」になり、しばらくはもういいや・・・という感じでちょっと遠ざかってしまうんです。
しかしまた何ヶ月か(短い時は何週間か)経つと、脳裏にあのソース味が蘇ってきて、何だか匂いが漂っているような気がして、また買ってしまう、そんな商品がU.F.O.です。

そうそう、誰か他の人が近くで食べたりすると一発KOですね。
あのソースの匂いの射程距離と破壊力は凄まじいの一言です。

そんな訳で久し振りにU.F.O.を衝動買いし、さあ食べるぞ!ということでパッケージをいそいそと開けました。

その時に「ん?」と何か違和感を感じたんですよ。
何か違う・・・。

「あ!!」

そう、違和感の正体は、内蓋の上に貼り付けられていた「ふりかけ」の小袋でした。
以前はこんなところに、こんなものは存在していなかった。

ufo1.jpeg
※赤い袋が「ふりかけ」の小袋です。

そういえば、ちょっとした不満があった・・・。


これまでのU.F.O.は、内蓋を開けると、中に2つの小袋が入っていました。
一つはソース
一つがふりかけでした。

U.F.O.を食するとき、内蓋を開け、お湯を注ぐ前にこの2つの小袋を取り出すことから始めなければなりませんでした。
この時に「ふりかけ」の袋が曲者だったんです。

何故かというと、単純な話ですが、サイズが小さかったから。

ソースの袋は真っ赤な上に、サイズが大きいため抜群の存在感を放ち、取り出すことになんら問題はありませんでした。
その重量感ゆえに、少し手前に傾けると「ドスン」という感触とともに滑り落ちてきて、簡単に手で取り出すことが可能でした。

一方、「ふりかけ」。
サイズが小さくて軽い。開封時のポジションが悪ければ、揺するくらいでは簡単に出てきません。場合によっては麺の横に入り込んだり、記憶によれば最悪の場合には麺の底に潜りこんだりすることさえもあったように思います。

とにかく取り出すのが大変、という印象でした。

さらに言えば、その小ささゆえに存在を忘れてしまい、取り出さないままお湯を注いでしまうという大失態を演じてしまったことさえありました。

何とかならないのかなーと、ちょっとした不満を感じていたんです。
でもそんな事はいつしか忘れていました。
U.F.O.ってやっぱり美味しいよね、ということで、時間とともに気にならなくなっていたんです。

ひっそりと消費者の声に応えていく姿勢に感動した!


でも日清食品さんは、「ふりかけを内蓋の上に貼り付けてしまう」というコペルニクス展開的な発想で、この問題を私が知らない間に解決してしまっていました。
これなら絶対に取り出しに苦労することは無いし、取り忘れて袋が入ったままでお湯を注ぐことも物理的に不可能です。

小さな改善かもしれません。
でも私は、この消費者のちょっとした不満や悩みを敏感に感じ取って、そしてひっそりとその声に応えていくという姿勢に感動を覚えました。

「気付いてもらえなくてもそれでいい。
消費者の方が、少しでも楽に、美味しく、U.F.O.を味わっていただければ…」
そんな開発者の声が聞こえたような気が、はたまた、消費者に寄り添うという食品メーカーの魂を感じた気がしました。

「凄いよ日清食品さん・・・!!」

この記事を書いている間に、また脳裏にあのソースの味が蘇ってきました。
きっとスーパーでまた買ってしまうと思いますが、今度は、開発者チームの方に(顔を見たことはありませんが)「ありがとうございました」と感謝の気持ちを捧げながら、買い物カゴの中に入れるようにしたいと思います。

あとは、まあ、あの抜群に多いカロリーを何とかしてもらえたら・・・とは思います。
あの濃密な味だからしょうがないとは考えていますが、もしかしたら!?

posted by 霧島もとみ at 2016年06月07日 | Comment(1) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年05月01日

スノーボード選手の大麻使用問題を受けて、あと一つだけ言っておきたいこと

スノーボード・スロープスタイルの2選手が海外キャンプ先での大麻使用により処分を受けたというニュースについて、前の記事「スノーボード選手の大麻使用問題について 何が問題なの?ということを自分で理解するためにまとめてみた」で海外での大麻使用の違法性について整理しました。

大麻使用のスノボ2選手、無期限登録停止など4処分 スロープスタイル部門(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00000070-dal-spo


この事件に関連して、あと一つだけ書いておきたいことがあります。
それは「スポーツ選手が今後このような事件を起こすことを減らしていくためには」ということです。

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スポーツ選手の未来のために考えておきたいこと


ここ最近のスポーツ選手の不祥事のニュースを見ていますと(もちろん前提としてスポーツ選手の全体のほんの一部でしか無いということは踏まえておきたいですが)、これらの選手に共通しているのは当たり前ですが「スポーツ選手としての自覚が欠けている」という事です。

この点に異論を挟む余地はないでしょう。
「私はスポーツ選手としての自覚に満ち溢れています」という人が、闇カジノに行ったり、大麻を使用したり、野球賭博に興じたりするといったことはまずないでしょう。

そこにあったものは、「勝負の世界に生きる者としてギャンブルにも興味があった」というようなスポーツそのものに対する間違った認識でした。

ではスポーツ選手としての自覚とは何なのか?ということが問題です。
しかし現状では、明確な定義が無いのが現状だと思います。
だとしたら今こそ必要とされているのは、スポーツに取り組む人が何を目指すべきか、どうあるべきかということを明確化し、スポーツ界に生きる人へは勿論のこと、それ以外の人に対して、強く発信していくという事です。

元ガンバ大阪代表取締役社長の金森喜久男さん「スポーツ事業マネジメントの基礎知識」の中でこう書いています。

プロスポーツの今後は、アスリートが厳しい練習を経てトップチームの選手になっていることを多くのサポーターが知ることであり、加えて選手がフェアな精神を持ち、教育においてもしっかり学び、リスペクトされる存在になることです。


私はここに、スポーツに携わるアスリートや関係者が目指すべき方向性があると感じました。

この「フェアな精神を持ち、教育においてもしっかり学び、リスペクトされる存在になること」がスポーツ選手として持つべき自覚であり、目指す姿ではないかと。
そのために必要なことの一つに、コンプライアンス(法令遵守)の徹底があります。一般的な法律のほか、スポーツ協会が定めるアンチ・ドーピング等のルールを守ることが必要です。

これらの事をスポーツ選手の自覚や自主的努力のみに任せているのでは不足です。特に未成年で世界的に活躍するスポーツ選手が多く出ている現状では、保護者をはじめ、スポーツ団体関係者が担う役割はとても大きなものになっているといえるでしょう。
JOCをはじめ様々なスポーツ団体においては
「スポーツが人より出来れば、勉強ができなくてもいい」
「スポーツが出来るんだから他はテキトーでいい」
という時代では無い
ということをしっかりと認識していただき、スポーツ選手がより活躍できる状態を作るため、しっかりとしたトップアスリートの教育システムを作って欲しいです。

優れた才能を持ち、惜しみない努力をつぎ込んできた選手たちが、歩むべき道を選ぶ力を持てるようなサポートを。
体制づくりを。

真摯に願います。

posted by 霧島もとみ at 2016年05月01日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月30日

スノーボード選手の大麻使用問題について 何が問題なの?ということを自分で理解するためにまとめてみた

スノーボード・スロープスタイルの2選手が海外キャンプ先での大麻使用により処分を受けたというニュースが世間を賑わせています。

大麻使用のスノボ2選手、無期限登録停止など4処分 スロープスタイル部門(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00000070-dal-spo


処分を受けた選手は既にネットで「この選手ではないか」と過去のブログ記事等から推測されており、それが事実だとしたら個人的に応援していた選手でもあり、スノーボードファンとして本当に残念です。

続きを読む...
posted by 霧島もとみ at 2016年04月30日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月07日

「かわいいイラスト素材集 いらすとや」の無料素材がとっても可愛くて驚いた件について

”素材サイト”はインターネット上に数多くありますが、今日はその中で出会った「かわいいイラスト素材集 いらすとや」さんのサイトに感動した!という話です。

出会い


ひょんなことから宣伝用のチラシを作ることになりました。
ワードやパワーポイントでチラシを作るというのはそんなに難しい話ではなく、これまでも見よう見まねで、図やイラスト、文字を組み合わせて作ったことは何度かありました。

でも、ワードなどに最初から入っている図やイラストだけでは、無機質な感じになってしまいがちです。
私が今回作ろうとしたチラシも、例に漏れず、無機質でつまらなさそうな感じの雰囲気をプンプン醸し出しちゃっていました。

このチラシをどうにかして可愛いものにアレンジする方法はないだろうか?

そうだ!可愛いイラストを載せればいいんだ!


そう思い付き、グーグルで「無料 イラスト」で検索して出会ったのがこの「いらすとや」でした。

無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや
素敵でかわいいイラストがたくさん!の素材サイトさんです。



ここが素敵


まずイラストそのものが可愛い!

例えば今の季節ならこんなイラストがありました。

【夫婦でお花見をしているイラスト】
ohanami_fufu.png

人物のほんわかした感じや、可愛らしくデフォルメされた絵柄、パステルカラーな色遣いでとても可愛らしいイラストです。

次に、こんなイラストも。

【ホワイト企業のイラスト】
company_white_kigyou.png

なんだか爽やかな感じですね。
ホワイトですよ!とキラキラしてる様がよく描かれています。

これらは勿論ほんの一例です。
「いらすとや」さんでは、「季節の祝日・行事のイラスト」や「イベントのイラスト」など、生活やビジネスの中の様々なシーンにスポットをあてたイラストを作り、ジャンルごとにまとめて紹介されています。

それらのイラストが、商用・非商用を問わず全て無料で使用できます。

私のように「何かかわいいイラストを入れたチラシを作りたいが、しかしお金はかけられない」という人間には、これは神様のようなサイトではないか!?とすっかり感動してしまいました。


感嘆した。これが本物のサイト!


チラシのつくり手として感じる「いらすとや」の素晴らしさは既に述べた通りです。
しかし私は同時に(こんな駆け出しのサイトですが)ホームページの製作者でもあります。この視点から「このサイトの素晴らしさは何だろう?」と思考を巡らせてみたところ、その魅力は次の点に集約されるのではないかという考えに至りました。
箇条書きで書くと…

・質・量ともに優れたコンテンツを提供
・探しやすい構成でサイトを作る
・これらを全て無料で提供


サイトを構成するコンテンツ、ここでは「可愛いイラスト」ですが、まずはこの質と量とが優れています。凄い。
次に、ただコンテンツを用意するだけでなく、イラストを探しているであろうサイトを訪れた人が、探していたシチュエーションのイラストを出来るだけ簡単に探せるための工夫がされています。
ジャンルごとのページづくりや、検索機能をページに持たせていることなどがあたります。検索機能に至っては、サイトの中での「検索のコツ」までも詳細に解説していて、本当に脱帽です。

そしてこれらのことを全て無料で提供するという手法により、イラストを求める人が「使いやすいサイト」を成立させているんですね。
収益としては、広告料収入でしょうか。これだけのサイトなら、「訪問数→サイトの広告表示数→クリック等による広告料が発生」というスキームが十分な規模で成り立つのではないかと、想像できます。

いやあ、凄いなあ・・・とただ今は驚くしかありません。

遠い遠い目標ですが、こんな風に誰かの役に立てるようなサイトを作ることを目指したいです。

とまあ、こんな風に「サイトの凄さ」を何となく感じるようになったのも、「ブログを継続して書き、サイトを作る」という意識と行動とを持ったからなんですね、きっと。

実際にやってみなければ、やらなければ分からないことというのはやはり大部分にあるということですね。

漫画「バクマン」の台詞「おまえ一度でも31ページ マンガ書いたことあるのか」のくだりを少し思い出しました。よし!自分も、サイトを頑張って作ろう!

posted by 霧島もとみ at 2016年04月07日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年04月04日

桜の魔力に負けてしまったという他愛もない話

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少し前に「しくじり先生」で河口恭吾さんが「安易に桜ソングに手を出しちゃった先生」として出演した時に、「日本人の桜好きは異常」という持論を展開してのを聞いた「なるほどなあ」と思ったことがありました。

春といえば桜。
このイメージは誰が何と言おうと、大多数の日本人の中に深く深く刷り込まれていることに間違いありません。

一方、自分自身を振り返ると、特別桜が好きという感情はありません。

別に花見もそんなに好きではない。
何か桜に関連した楽しい思い出や悲しい思い出がある訳でもない。

単純に咲いている花を見て「綺麗だな」と思う、そんな程度です。

ですが今日、久し振りのジョギングでとある公園を通った時に見てしまいました。
満開にほど近い状態で咲き誇る桜並木を。

「綺麗だなー」と走りながら思いました。
そう、桜は綺麗なんです。その綺麗さに一瞬心を奪われそうになる中、このままではすっかり桜シンパになってしまいそうだ!と慌てて自分の中の「アンチ桜」の部分の感情を呼び起こしました。

・春といえば桜かよ。もう聞き飽きたよ。
・節操なく、どこにでも大量の桜を植えるんじゃないよ。管理大変だし、似たり寄ったりだよ。
・自然を大切にしようとか言いながら、在来種の貴重な天然樹木をドカドカ伐採して桜を植樹してんじゃないよ。

そうして「綺麗な桜に浮かれそうになる自分自身」を必死に抑制しようとしたんですが・・・
(なぜなら季節のイベントごとに浮かれることを好きではない人間だという偏屈な自負があるからです)

そんな人間が最もやってはいけない、スマホで写真を撮ってFacebookにUPするという愚行に至ってしまいました。

いや、何だか、「自分もこんな桜を見ましたよ」という他愛もない日常をUPしてみたくなりまして。。。

桜の魔力は恐ろしいものだなあ、と痛感した春の出来事でした。
posted by 霧島もとみ at 2016年04月04日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年03月23日

1つのテーマごとに1つのブログ?それって面倒くさくない?と考えたかつての自分にこの記事を捧げます

このブログは、今のところ、自分が読んで「面白い!」と感じた本や漫画の感想を紹介したり、テレビを見ていて考えたことを綴ったり、ブログそのものについて考えたことを書いているブログです。

まずはとにかく何でも書いてみよう!
「習うより慣れろ」だ!

という感じで「とにかく書くこと」だけを考えているブログです。
ですが今日、

このままではイマイチなんじゃないか?

と、ふと考えさせられました。

このブログを振り返ってみる


今の書き方は、

1.書くことを思いつく・考える
2.PCに向かって書く。
3.出来上がった記事を装飾したあと、今ブログの中にあるカテゴリーの中で「どれに当てはまるかな?」と考えて選ぶ。

という感じです。
・・・まあ、別に悪くない気もします。
普通というか、当たり前のことのようにも感じられます。

そもそもブログというのは、本来Web(ウェブ)上に何かの記録(ログ)を残していくもの、という意味合いのものですから、日記のように思いついたことをひたすら残していけば良い訳です。

でもこれ、あくまでも自分目線での話じゃないか?というのが今日の疑問の本質です。

ブログは書き手の目線?読み手の目線?


自分が「書く」という事に対しては、今、書いているこの記事を書ききればそれで作業は終わります。ある程度考えの整理もできて、それを第三者に伝える文章に変え、これをブログにUPすることで第三者に対して発信できる場所を作り出せます。
これはコレで意味があることだと思います。

でも発信した情報は「誰かに読んでもらいたい」という性格を備えたもののはずです。そうでなければ自分のPCの中で密かに日記なりEvernoteなりで書き溜めていけばいい。であれば、「記事を読む人」の存在を何も考えないというのは、両輪のうち片輪を欠いたままの状態と同じではないか?と自分自身で疑問に思ったんですね。

記事を読む人の存在を考えたとき、意識しなければならないのは「読み手の目線」です。
この目線から自分のブログを見ると一体どのように見えるだろう?そう考えを巡らせてみたとき・・・その様相は一変しました。

見にくい。

何が見にくいのか?といいますと、「自分が読みたい記事がどこにあるのか全然分からない」ということです。

読み手目線で考えて「読みやすい」「面白い」ブログとは?


仮に自分がたまたまこのブログを訪れたとします。
それはおそらく、グーグルなどで検索して、たまたま検索結果に表示されたページを順番に見ていき、たまたま訪問したということでしょうか。
そのとき、読み手である自分が何を読みたいかというと、「自分が検索したキーワードに関連する記事」です。

確かに、検索に表示された記事自体は面白いかもしれません。
グーグルなどの検索エンジンがアルゴリズムで判断した結果ですからまず関連はあるはずですし、一応、自分としてもそれなりに内容や表現を考えて書いた記事でもありますから、記事単体は「面白いね」と考えてもらえるかもしれません。

では仮にたまたま訪れたそのページを「面白い」と感じてくれた人が次に何を考えるか?
それはやはり、

1.面白い記事だから、
2.このサイト中の、
3.このキーワードに関連した別の記事を
4.簡単に探して読んでみたい。

ということでは無いでしょうか?
例えその記事が面白かったとしても、読み手との関係性はあくまで「特定のキーワードに関連した内容」という事でしかないんです。
まだまだ「書き手と読み手の関係」では無い訳ですね。だとするとやはり読みたいと思ってもらえるのは、あくまでも「特定のキーワードに関連した内容」でなければならない訳です。

「書き手と読み手の関係」で興味を持ってもらえるのは、つまり「書き手そのもの」に興味を持ってもらえる場合です。
例えば書き手が有名人なら、最初からこの構図が成り立ちます。
書かれた記事は時系列でどんどん読んでもらえる可能性が高いと想像します。

しかし有名人でなければ、よほど多くの記事を「面白い」と思ってもらってからではなければ、この構図は成り立ちません。

であれば、やはり「特定のキーワード」の記事を探しやすいサイトを構築しなければならないんじゃないか。
こういう結論に至りました。

今のところ、このブログは「書き手目線」のものでしかありません。
そのことを今日はっきりと自覚しましたので、サイトの構築デザインとでもいうのでしょうか、組み立てを考えてみたいと思います。

”1つのテーマごとに1つのブログ”

これが常道です!と書かれたブログを以前に読んだ時に、正直「面倒くさいのになんで?」と感じたことを思い出しました。
やっぱりちゃんと理由があるってことですね。こんな事でも、やはり体験してみないと自分の経験としては腑に落ちない訳で、やはりどんな形でもブログを書いていて良かったなと思いました。
タグ:ブログ
posted by 霧島もとみ at 2016年03月23日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年03月20日

ブログを継続して書いてみて初めて気付いた、書き続けるために重要だと気付いた3つのこと。

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”継続は力なり”という名言があります。

どんなことでも続けることで力になる。
逆の見方で言えば、どんなに素晴らしいことでも継続できないものは何の意味もなさない、という大変厳しい言葉ですが、私は「続けることが力になる」という意味だと信じたいと考えています。

信じたいと「考えている」・・・?

それは違う!と今、突然に自分にツッコミを入れました。

ちょっと脱線しますが、信じることは考えることではない。
「信じるということは技術なんです」と、サッカー日本代表の本田圭佑選手がNHKのプロフェッショナルという番組で話していました。
つまり、一もニもなく信じるということ。時には不安に揺れ動く弱い心に「信じる」という一本の芯を通し、それを貫くという意思の技術なんだということ。
そして「信じる」という行為が自分に力を与えてくれると本田選手は話していました。

この記憶が今突然よみがえり、自分を突き動かすのを感じました。
ということでもう一度宣言します。

続けることが力になるのだと。

では何を続けているのかというと、このブログです。前置きが大変長くなりましたが、今日はふと感じた、記事を書き続けていくなかで、

・やたらと記事がすんなり書ける日
・どれだけ捻り出そうとしても何も浮かび上がらない日


という波があるという感想です。
生物である以上波があることは当然だと思いますが、この波の理由についてひらめき的なものがあったので、書いておくことにします。

まず、それぞれの状態の時の自分を思い出してみます。

書ける時の状態


・短時間で一気に書ける。
・内容を見返してみてもそれなりに書けている。
・面白いと感じることが多い。
・パソコンに向かう前に「今日はこれを書こう」とイメージが湧いている気がする。


書けない時の状態


・とにかく時間がかかる。
・指が全然進まない。
・書いては消し、書いては消しの繰り返しになることが多い。
・読んでみても何だかイマイチ。
・「今日はとりあえず書いておかないと駄目だ」という半ば義務的な感情で記事を書き始めている。

大体こんな感じですね。はっきりと状態に違いがあることが分かります。
書いているのは同じ人間なのにどうしてこの差が出るんでしょうか?
これを考察してみたいと思います。

両極端な2つの状態、違ってしまう理由は何だろう?と考えてみる


自分で書いていて、それぞれの状態の最終項目が気になりました。

書ける時・・・”パソコンに向かう前に「今日はこれを書こう」とイメージが湧いている気がする。”
書けない時・・・”「今日はとりあえず書いておかないと駄目だ」という半ば義務的な感情で記事を書き始めている。”

つまりパソコンに向かって記事を書き始める前の時点で、自分の中で記事を書く準備が整っているかどうか、つまるところこれが原因だということが考えられます。
記事のイメージが具体化している時は前者となり、何のイメージも持っていない時は後者となる、とても分かりやすい話ですね。ということは、ブログを継続して書くためには、記事のイメージを常に具体化しておくことが必要だということです。

言うのは簡単ですが、これは実際にはとても難しいことです。
簡単に出来るのなら、私のブログは最低1日1回の記事が書き込まれ、かつ、そのどれもクオリティが高いものになるということになるのですから。

正直、毎日これをするなんてことは当然ながら出来ていません。
ではどうしたら、「記事のイメージを具体化した」という状態を自分の中に作ることができるのでしょうか?

考えると、次のような事が挙げられました。
・材料となる情報をしっかりとインプット
・刺激を見逃さないため、何事にも興味を持って物事を見る
・それによりインスピレーションを得る
・インスピーレーションと、材料になる情報とを結びつけたうえで、アレンジして表現する技術を身につける→整理力・表現力

ということは、つまり、これらの事を「普段から意識して持っておくこと」が、実はブログを継続していくうえのコツなんだな、という考えに至りました。

いざ記事を書こうとパソコンに向かってから、あれこれ考えるのでは遅い!とうことで、こんな場合は面白い記事にはならないってことです。


仮説的な今日の結論


【問い】
・ブログを書き続けていくためには?
・書く行為のムラを解消するためにはどうすればいい?

【答え】
・とにかく書き続けること。
・面白い記事を書くためには、PCの前でじゃなく、普段の生活のなかで「面白いこと」を探す意識を持ち、無意識化で編集作業を行うこと。
・面白いことにセンサーを働かせるためのインプットを欠かさないこと。

ということで、引き続き頑張っていこうと考えを新たにしました!
タグ:ブログ
posted by 霧島もとみ at 2016年03月20日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年03月10日

社会学者・古市憲寿さんの「(オリンピックに)出た方がやっぱりいいですか?」発言に思う

3月6日(日)の「ワイドナショー(フジテレビ系)」で前園真聖さんが女子サッカー代表・なでしこジャパンのことについて触れたときのこと。
内容は、オリンピック最終予選で2敗を喫してリオ五輪への出場が絶望的になったというものでした。
前園さんは非常に残念な様子を見せて、「今大会に限っては少し、なでしこらしい部分がなかった」「僕の中ではショック」と話したのですが、それに対して社会学者の古市憲寿さんが「出た方がやっぱりいいですか?」と無表情でコメントしました。

前園さんは唖然。
「お前は何を言っているんだ」とばかりの表情です。
スタジオにも何とも言えない違和感が一瞬漂い、テレビを見ていた自分も「また古市さんが人の気持を考えずに言ってるよ・・・」という感情を覚えました。

しかし、はっと我に帰りました。
なぜこの場面に違和感を感じたのだろうと。
それは当たり前のようであり、しかしそれを「当たり前」として見過ごしてしまうのは何か危険な気がする、そんな予感がしたのです。

そこで、この違和感の正体について、古市さんの「(オリンピックに)出た方がやっぱりいいですか?」発言について考えてみたいと思います。

前園さんが唖然とした理由


前園さんは元サッカー日本代表選手です。
今はタレントとして定着してきた感がありますが、Jリーガーとしての現役時代はまさに日本を代表する選手の一人であり、僕のように詳しくサッカーを知らない人でも名前と顔が一致する、知名度のある選手です。

もちろん、現役を退いた今もサッカーに対する情熱があります。
そんな前園さんにとって現役の選手の活躍を応援するのは当然であり、当たり前であり、オリンピックという大舞台での活躍を期待することもごくごく普通のことです。

それに「なでしこジャパン」についても、前々回のワールドカップ優勝以降知名度はぐんと上昇し、メディアの注目度も上がり、国際試合についてはテレビ中継もされるようになってきました。
ニュースでも応援するファンの姿がよく映ります。

だから前園さんは「なでしこジャパンは大勢の日本のファンが応援するようになった。”みんな”オリンピックに出ることを願っていた」ということを無意識に感じていたんでしょう。
だからオリンピックに出られなかったことを「残念だ」といえば、それはその場にいる皆、またテレビの向こうの視聴者もきっと同じ気持で、共感を得ることができるんじゃないかという思いがあったはずです。

こうなると人間の心理としては、既に「そうですよね」という反応に対しての準備をしてしまいます。例えば、重たいものを運ぶ前には、体が無意識に力を入れてその重さに備えるように。

しかしそこに、いきなり真反対の言葉・感情をぶつけられてしまいました。

「(オリンピックに)出た方がやっぱりいいですか?」

そりゃあ唖然としてしまいますよね。

整理すると、
・サッカー女子を応援する気持ちは多くの人が持ってくれている。
・だからオリンピックに出られなかったことを残念だと思う気持ちはみんなに共有される。
・それと真反対のことを言われることを想定していなかった。

ということが、前園さんが唖然とした理由、ということです。

では次に、その言葉を投げかけた古市さんの視点から考えてみたいと思います。

古市さんの視点


古市さんの視点としては、まず、サッカーそのものに興味がありません。
サッカーに興味があり、応援する人の気持ちが理解できません。
だからサッカー女子代表がオリンピックに出場する・しないについても全く興味が無く、そのことがファンにとってどのような意味を持つかも分からないのです。

それ自体は別に良いことでも悪いことでもありません。
中立というか、客観的なだけ。
古市さん得意の「無属性な視点」であり、社会を冷徹に見ている社会学者としての視点なんですよね。

古市さんとしては、別に前園さんや多くのサッカーファンを馬鹿にしているわけではなく、純粋に「自分には分からないから教えてほしい」という意見を提示したに過ぎません。

これが古市さんの視点です。

それ自体は、冷静に考えると、良くも悪くもないことのように思えます。
ではなぜこの発言に自分は違和感を感じたのか?

違和感の正体


正直に告白します。
私も古市さんのコメントに対して嫌な気持ちを覚えました。
「何冷めたことを言っているんだコイツ!」という反感を持ちました。

しかし冷静に考えると、その発言の内容自体は、良くも悪くもないんですよね。

誰でも同じだと思います。
私も興味があまりない分野については、同じような思いを持つでしょう。
例えば私はプロ野球についてほとんど興味がありませんから、どのチームが優勝しようがしまいが何の問題もありませんし、そもそもたった12球団で毎年優勝を競うことの意味も良く分からない・・・といったことをボソッと言ってしまうかもしれません。

それなのに違和感を感じてしまい、反感までも感じてしまった。

その理由は?と考えると、
「世の中には自分と違い意見を持った人がいるという当たり前のことを忘れていた」
ということに尽きるのかなと。
または忘れるようにメディアに印象操作されていたのかもしれませんが。

基本的には、ごくごく当たり前のことです。
「世の中の人の考えは一人一人違う」
これに反対する人はまずいないでしょう。
けれども何か特定のトピックに関しては、何か大多数の人が同じ意見を持つような、それを当たり前と考えてしまう、そんな錯覚が作用するのかもしれません。
今回はそのトピックが「サッカー女子日本代表」だったという事でしょう。

この錯覚に陥っていたこと、それを自分自身では気付いておらず、古市さんの発言によって思い出さされたことが、違和感として感じたものの正体だったのです。

まとめ


・人は、気がつかないうちに、何か特定の意見・思想に対して「みんながそう思うことが普通だ」と考えてしまいがち。
・その錯覚に陥ると、異なる意見・思想に対して思わぬ反感が自分の中に生まれてしまう危険性がある。

ということを、考えました。

ていうか、元々はサッカー日本女子代表のニュースなのに、全然関係ないことを考えている自分がシュールすぎてちょっと怖いです。
posted by 霧島もとみ at 2016年03月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年03月09日

ブロガーとしての自分を想像した時に考えた3つのこと

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ブログについてのネット記事や、既にブロガーとして活躍している人たちのブログを読んでいると、現実から逃避して夢想に耽ることがあります。

「今の仕事を離れて、ブロガーとして独立したらどんなになるだろう」

という夢想です。

それは例えば、こんな思考になって現れてきたりします。
  • 今の組織を離れて、もっとシンプルに自分自身のやりたいことを、自分自身の責任で追求していく。それを仕事にすることって、何だか生きがいがありそう。
  • 自分の好きなことを好きなときにやれるというのは、何だか楽しそう。
  • ネットを通じてたくさんの人に影響を与える事ができるって良さそう。

そんな一方で、自分のブログを見てしまうと急に現実に引き戻されます。
  • こんな内容、アクセス数でブログで飯が食えるわけがない。仮に将来的にたくさんのPVが稼げるようになるとして、一体それまでに何年かかるのか?
  • 今の収入と比べて、果たして独立するだけのメリットがあるのか?
  • ていうかそもそも何をネタにブログを続けていく?誰かに発信できるコンテンツがある?

そして再び日常に帰っていくという訳ですが、これらの思考実験は一見無駄なようにも見えて、しかしながら「ブログ」というのものをどんな形にせよ具体的な思考の元に考えてみるということで、何らかのヒントをもたらす作業のようにも思えます。

そこでこれらの思い付き・・・想像上の「ブロガーとして独立した自分」像に対して、幾つかの観点からこの機会に考えを整理してみようと思います。

ブロガーとして独立するということはどういうこと?


ブロガーとして独立するということは、
・ブログを継続して発信すること。
・自分のブログまたはブログを通じたネット活動により収入を得ること。
 (広告、アフィリエイト、あるいは有料メルマガの発刊など。)
・その収入を、現在から将来にわたり、自分が十分に生活できるだけのレベルで継続して得ること。
 (生活レベルの設定にもよりますが、瞬間風速的な収入では駄目で、何十年とかいう長いスパンで継続して収入を得ることが必要となります。生きて行くために。)
・その収入を得るためには、多くの人間に見られるブログにならなければならないこと。
・そのためには、人に何か価値を与えるものを継続して提供できなければならないこと。

なるほど(と、自分で書いたことに自分で納得する)。そうですよね。やはりブロガーとして独立する=生活するということは、収入が必要です。人間ですから食わなくては死んでしまいますし、生活を維持するためには光熱水費などもろもろの諸経費がかかるわけです。
それをブログで稼ぐ。
言葉にするのは簡単ですが、そのためにどうしなければならないかというと、多くの人に読んでもらえる「価値のあるもの」を提供しなければならないということです。

サイボウズの青野社長の講演で「人のために動くということが、働くということ」という話を聞きましたが、ブロガーとしてするべき事も、実は同じだということです。

他人に対して何を提供できる?


例えば、
・何か一つのことに精通した技術、テクニック
・特定の項目に対する深い知識
・業界情報
・独自ノウハウ
・なかなか出来ないような特別な経験談
というようなものがあれば、これをネタにして上手にまとめれば、価値のある内容になるでしょう。
または、
・特別な人間(タレント的な)の日常の光景
的なものも人気が出そうです。

しかし、自分を振り返ってみると、残念なことにどれにも当てはまるものがありません。
正確に言えば、あるにはあるのですが、どちらかというと器用貧乏・広く浅くという性格で、幅広く知っていても、それぞれの分野にはそれぞれもっと精通した誰かが余裕でいる訳なんですよね。
個人的な体験としてもそこまで面白いと言えるものはありませんし。
ましてやタレント的な知名度は勿論皆無です。

困った。
何を発信しよう。


というわけでさっそく躓きました。
どうやらブロガーとしてやっていくためには、「特別なコンテンツ」が必要になってくるようです。

特別なコンテンツとは?


「特別なコンテンツ」って何なんでしょう?
少し落ち着いて周りを見てみると、インターネット上に溢れている記事や日記、ブログは山程ありますが、その中で先に挙げたような「特別なコンテンツ」を提供しているものがどれだけあるのかな、と疑問を感じます。

勿論専門的な知識・経験を踏まえたコンテンツや、凄いノウハウ、写真、映像を提供するサイトもごまんとあります。

でも、掲載しているそれらのコンテンツが、高い専門性を元に書かれているものばかりではなく、むしろ素人がちょっと調べてみました・考えてみました的なコンテンツであることも普通に多いんですよね。

・それっぽく
・しかし意味のあることを
・読みやすく纏め、提供する

読んでいて自分が「面白い」と思うものの中にはこういうブログが結構あります。そのブログに対して「この記事はしっかりウラを取っているのか」「エビデンスはあるのか」などと学術的な視点から批判することは、まずありません。
だとすると、インターネット上の記事、その中でも特に「ブログ」については、「専門的な知識や経験に裏付けられた情報」が実は求められている訳ではないということになります。
そこから考えますと、導き出されるのは、ブログにおける「特別なコンテンツ」とは、いわゆる「専門家的なコンテンツ」ではない。
むしろ、日常にちょっと+αをしたような、「素人の観点からいろいろな話を書いたコンテンツ」ではないか、という推論です。

だとするとこのコンテンツを提供するために必要なことは、掘り下げまくった専門性のある知識ではない。

必要なものは「ちょっと面白い独自の視点」であり、面白く記事を読ませることができる「表現力」「編集力」ということになります。
さらに言えば、それをWebというフィールドで表現できるちょっとしたIT力ですね。

これなら、自分にも出来るかもしれない。
いや、誰にだってやれば出来ると思います。後はやるかやらないか、の世界なんですね。
ということで、やはり「実行力」が必要になるってことです。

結論


ブロガーとしての自分を想像するという思考実験によって得られたのは次のことでした。

・ブロガーとして必要なことは、他人に価値のあるものを提供しつづけていくこと。
・提供するコンテツは何も「特別なもの」である必要はなく、独自の視点を持って作られた日常に+αのコンテンツ。
・能力としては、表現力・編集力・実行力。


ブロガーになれるかどうかは全く夢想上の話なのでとりあえず置いておいて、でもせっかくブログを書いていくのですから、この3点を意識してやっていこうと思います。

長い記事にお付き合いありがとうございました。
posted by 霧島もとみ at 2016年03月09日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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