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2017年07月28日

あっという間にさらに半年がたち、あれから1年・・・。

最後のブログから、さらに半年たってしまいました。

父が胃ろうの手術をしてから、ちょうど1年。

胃ろうをすれば、栄養も摂れ、体力もつき、リハビリもできる。

そんな風に家族も本人も思っていました。

毎日、確実に1200カロリー分の「ラコール」を入れ。

それに加えて、水分を800ml。

胃ろうの前には、考えられないほどの栄養と水分が摂取できます。

薬を飲むのも、父は一苦労でした。

薬を飲みこむことも、水でするっと流し込むこともとっても難しかった。

今は、薬をぬるま湯で溶かしてから、胃ろうの入り口から注入します。

それを、普段は母が全部やっています。

胃ろうは、点滴のように高いとこにつるして、

45分くらいかけて、入れていきます。

でも、もう誤嚥はないはずなのに、胃ろうをしてから、

毎月のように熱を出します。

そのたびにかかりつけ医の先生が往診に来てくれます。

熱がある間は、リハビリができず、寝たきりになるので、

脚力が弱ってしまいます。

熱が下がって、リハビリを再開して、ちょっと良くなったかな、と思うと、また発熱。

そんなことの繰り返しの1年でした。


かかりつけ医の先生の紹介で、訪問の歯科医の先生、歯科衛生士さんが来て下さるようになりました。

口腔ケアで発熱の回数を減らせるかもしれないと。

また、リハビリにも通っていたのですが、先生が訪問してくれるようになりました。


かかりつけ医の先生は、障がい者の申請をしたほうがいいと、面倒な書類も用意してくださいました。

そのおかげで、障がい者手当がいただけるようになり、

医療費が無料になり、確定申告でも控除が増え、NHKの受信料は半額になりました。

その分、リハビリを増やすこともできました。


ただ、パーキンソン病の持病がある父の運動機能は、やはり少しずつ衰えていきます。

1年前は、自分の足経って歩けましたが、

今は、歩行器がないと足元がおぼつかないです。


胃ろうの手術から1年たって、やっと落ち着いてきた、と思った矢先。

父が椅子に座り損ねて、しりもちをついてしまいました。

その拍子に、尿道カテーテルがどうもずれてしまったみたいで、

おしっこが出なくなり、4日ほど入院してしまいました。

入院すると、高齢者は意識障害を起こします。

「せん妄」というのだそうです。

暑い夏、病院は空調も効いて快適なのに、

「帰りたい、帰りたい」の繰り返し。


幸い、カテーテルを入れ直し、4日で退院できました。


私は、毎月、1週間ほど実家に泊り、

介護疲れの母を、少しでも休ませてあげようとしています。

それでも、母も高齢で、何かあったときに、必ず誰かが駆けつけられるとは限りません。

ケアマネージャーさんの勧めで、ショートステイの施設に体験で泊ってみることを計画中。

もちろん父は行きたくはないに決まっています。

施設のスタッフさんも、「自分から行きたいなんて人は、1人もいません。でも、何回か来ているうちに、

気に入ってくれますよ。」と言ってくれます。

1回でも泊って、施設やスタッフさんに慣れておくと、

いざというときに、面倒を見てもらいやすい。

そういうところがないと、母が具合が悪くなった時、

父は、食事も、水分も、薬もとれなくなってしまいます。

たった1日。まずは、その体験のお泊り。

入院のときのことを思い返すと、とっても心配。

でも、いつかはそういうこともあるかも。

先のことはほんとにわからない。

ただただ、父も母も、私たち家族も、その日その日をなんとかやり過ごしていくしかない。

今は、介護保険制度のおかげで、

ケアマネージャーさんを中心に、父や母の様子をいろいろなスタッフさんが把握してくれている。

孤立した高齢者世帯ではないのが、せめてもの救い。

田舎ならではの、人情味のある人たちのおかげで、父と母はなんとかやっています。

今度は、父が無事、ショートステイに行けたら、ご報告できるかもしれません。








2017年02月11日

胃ろうにした父。あれから半年。

8月に胃ろうの手術をした父。

あれから半年。

まだ、半年?

もう、半年?

いろいろありすぎて、わたしには早く感じた半年でした。

父は、胃ろうの手術をしたとき、

数日は、点滴栄養でした。

点滴で、大量の水分が入るようになってわかったことですが。

尿がとても出にくくなっていたのです。

胃ろうにする前は、食べる量も、飲む量も少なかったため、

おしっこが、少ししか出なくても大丈夫だったのです。

でも、点滴で大量の水分が体に入って、

おしっこをしたくなり、トイレに行くのですが、

少ししか出ません。

ベッドに戻って、また、すぐにトイレに行く。

手術をした夜、結局、わたしは一睡もできず。

もちろん父もですが。

(*_*)

そこで、点滴している間だけ、と、尿道カテーテルを入れることにしました。

しかし、それがなかなか入らない。

前立腺がとても肥大していて、尿道をふさいでいました。

何とか、入れてもらいましたが、

点滴がとれて、胃ろうから食事を入れるようになっても、

そのまま、尿道カテーテルは入れたまま、ということになってしましました。


胃ろうにする前、父は、たびたび熱を出していました。

それは、誤嚥性肺炎の熱だと思っていましたが、

もしかしたら、膀胱におしっこが溜まって、ちゃんと出なかったから、

膀胱炎のような状態で、熱が出ていたのかも、ということになりました。


尿道カテーテルは、毎月1回交換しないと、細菌がついたりすると、

尿路感染を起こしてしまうのです。


父は、退院してから、3週間後に、40度近い熱を出しました。

即入院し、尿路感染とわかり、5日入院しました。


この入院も大変で、本当に高齢者の入院の大変さを再認識しました。


幸い、それ以降は、尿路感染はなく、毎月、カテーテル交換に行ってます。

普通の人なら、看護師さんでも、カテーテル交換ができるそうですが、

父の場合は、尿道が狭く、X線で透視しながらでないとできないらしく、

入院した総合病院の泌尿器科で交換してもらっています。

その都度、感染はないか、などの検査もしてもらえるので、

いいかもしれません。


胃ろうにして、最初の入院の2週間と、退院してからの1ヶ月くらいは、本当にでしたが、

半年たった今は、

毎月のカテーテル交換のほかは、病院に緊急搬送されることもなく、

落ち着いた生活になっています。


半年の間に、在宅での看護や介護、リハビリなどのサービスを受けるようにもなりました。

その話は、また、次回にします。

(*^▽^*)

2016年08月26日

父の胃ろうの手術が無事、終わりました。

久しぶりに、ブログを更新しています。

7月末に、父の胃ろうの手術が終わりました。

内視鏡による手術で、なんと20〜30分で終了。

感染症のトラブルもなく、一週間後に抜糸もできました。


手術の前日からは、絶食で、点滴栄養です。

手術後、数日後から、胃ろうに栄養を入れる練習が始まりました。


まずは1回100mlを一日3回。

翌日は1回200ml。

その翌日には300ml。

と量も増えました。

最大は1回400ml。


完全にバランスの取れた栄養です。


胃ろうの前は、むせが多くて、なかなか十分な栄養や水分が取れなくて、

かなり衰弱していました。

しっかりしていた足取りも、だんだんと危なっかしくなっていました。


胃ろうを入れるようになってから、体重もふえ、目にも力があります。

表情も豊かになって、話す言葉も、力強く聞き取りやすくなりました。


ただ、入院期間が2週間で、その間、あまり運動ができず、

足取りが、少し危なっかしくなりました。


退院してからは、胃ろう前に行っていたリハビリにも行くようになり、

機能回復の訓練もしています。


この暑い中、水分も十分も取れず、

栄養も十分に取れなかったら、

もしかして、父の命はなかったかもしれません。


とにかく、経過は順調です。


ただ、高齢のため、入院中の2週間、いろいろなことがありました。

介護の母も、もちろん高齢のため、途中で参ってしましました。

わたしも、2週間のうち、5日ほど、病院に泊りました。


父の退院の前日に、わたしは今度は帰省する娘のために、

自宅に戻りました。


娘は、来年成人式。

成人式の前撮りをするために、髪飾りを買いに行ったり、

休む間もなく、動いていました。


娘が、1週間ほどの帰省を済ませ、東京に戻り、

わたしも仕事を再開したところで、

先日、激しいめまいに襲われ、

まったく動けないまま、クーラーもつけていない部屋で、

「このまま死んでしまうのかな」

と思いつつ、倒れていました。


父の入院前はほぼ、毎週実家に帰り、

入院中は、無我夢中で、

娘の帰省中も頑張って、

ついに、自分の体が、悲鳴を上げたのかな。


やっと、今日、パソコンを開くことができました。


父の入院中の話はまた次回。

父がパーキンソンであり、いずれは食べ物を食べにくくなるってわかっていたから、

もっと早く、とりあえず胃ろうだけでも作っておけばよかったと、思います。

高齢者が入院するのは、本当に大変です。



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タグ:胃ろう

2016年07月26日

嚥下障害のある父は、胃ろうの手術をすることにしました

もっと早く、いろいろ勉強して、

父の嚥下リハビリや、胃ろうのこと、

ちゃんと考えればよかった。

でも、今だからよかったのかもしれない。


少しずつ、食事にむせるようになって。

だんだん、食べられるものが、減ってきて。


でも、ほんの1ヶ月前までは、

時間はかかっても、結構な量、食べれられていました。


でも、この1ヶ月は、めっきり食が細くなり、

むせることも多くなりました。


まだ、歩ける、トイレにも行ける、

しゃべれる、自分で考えることができる時に、


まず、栄養を摂取できる手段を手に入れておくって、

大切。


口から食べるしか、栄養が摂取できないと、

食べられなくなると、急に衰弱してしまう。


水分も摂取できなくなれば、

命にかかわる。


無理に食べようとして、

誤嚥性肺炎になってしまうのも怖い。


だから、父と家族で話し合って、

胃ろうの手術をすることに決めました。


今でよかった、というのは、

父が、自分で、口で食べることに、限界を感じ始めたから。

そうでなければ、

家族が無理強いさせることになってしまうから。


胃ろうの手術は、今は、

内視鏡手術で、30分くらいだそうです。

手術後の入院は、2週間弱。


明日、手術。


わたしは、明日から、実家に詰めて、

母と、妹と、わたしの3人で、

父の入院生活を支えます。


今日、入院して、

昼からは、点滴だけで、食事をとっていない父は、

点滴のせいか、とても顔色がよく、

元気だったそうです。


やっぱり、口からの栄養だけでは、

足りなかったのね。


手術が成功して、

胃ろうで栄養を摂取して、

それから、体も、嚥下も、リハビリができ、

少しずつ、元気になってくれれば。


それが、家族の願いです。



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2016年07月13日

パーキンソで誤嚥のある父の、嚥下造影検査と嚥下リハビリに立ち会いました。

パーキンソン症候群の父。

以前から、食事のときに、むせるていました。

近頃は、その程度が悪くなっている気がします。


誤嚥の治療を受けたかったのですが、

どうしたらいいのかわかりませんでした。


主治医の先生から、誤嚥の検査が受けられると聞いてはいましたが、

それもどうしたらいいかわかりません。


どうしたらいいのか、

どんな検査や治療が、どこで受けられるのか、

まったくわからず、

手をこまねいていたのですが、

やっと、主治医の先生が、検査を勧めてくれて、

近くの市民病院でできるということがやっとわかりました。


嚥下の様子を見る検査は嚥下造影検査と言います。

口から食べたものが、

どのようにのどを通って行くのか、がわかる検査です。


3種類の形状のものを口に入れてみて、

レントゲンで動画を撮影します。


結果は、予想以上に深刻なものでした。

お医者さんは、

「命にかかわる肺炎をいつ起こしてもおかしくない状態。」

との判断をされました。

(´・ω・`)


口から食べて、誤嚥で肺炎になり、命を落としてしまうのを回避するため、

胃ろう、という方法があります。

もう一つ、声門閉鎖術というものがあります。

すぐにその方法という話にはなりませんでした。


嚥下リハビリ、というリハビリがあって、

それも市民病院で受けられると初めて知りました。


飲み込みの訓練をすることで、

口から食べることをあきらめない方法もあるんです。


それで、早速、嚥下リハビリの予約をして、

嚥下造影検査の翌日、行ってみました。


いろいろな方法で、飲み込みの訓練をしましょうね、

と、次回からのスケジュールも決めました。


でも、その日の午後、

父は発熱し、

血液検査で、炎症数値が高く、

肺炎の初期と診断されました。


今まで、炎症数値が上がり、

抗生物質で下げる、ということが何度かありました。


軽い肺炎を起こしては、

抗生物質で抑えていたのです。


今回も、数値が下がるまでは、

リハビリにも行けません。


もう少し早く、


誤嚥の程度がわかり、

嚥下リハビリが受けられることを教えてもらえれば。

と、思っています。


肺炎の治療が終わっても、

すぐにリハビリを受けたとしても、

効果はすぐには現れません。


パーキンソンや、高齢で、食べ物や飲み物で、

むせてしまうようになったら、

なるべく早く、嚥下(えんげ)造影検査、を受けることをお勧めします。


父は、市民病院の耳鼻咽喉科で受けることができました。

嚥下リハビリは、リハビリテーション科で、

言語療法士の方が、指導してくれます。


うちの父の場合は、

もう、嚥下リハビリは難しいかもしれません。

このままでは、食べられなくなって体力も落ちてしまうので、


まだ歩けるうちに、胃ろうでもなんでもして、

体力をつければ、

今より元気になれます。


胃ろうは、とても遠い話だと思っていましたが、

急に現実味を帯びてきました。


もう一つの、声門閉鎖術というのは、

のどの途中に、呼吸をする穴をあけて、

口からは呼吸をしないようにする手術です。


そうすれば、気管に食べ物や飲み物を誤嚥することなく、

食べたり、飲んだりできます。

ただ、この手術をすると、話すことができなくなります。


父が、この手術に耐えられるか、ということもあります。


永六輔さんが83歳で亡くなりました。

父と同じパーキンソンで、父と同い年です。

死因は肺炎でした。

(´・ω・`)


でも、わたしは、まだ、あきらめたくありません。

本を買って勉強しています。

もっと早く動くべきでした。



嚥下障害のことがよくわかる本 食べる力を取り戻す (健康ライブラリーイラスト版)




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2016年06月29日

30年ぶりに同級生に会いました

30年ぶりに、大学の同級生に会いました。

ご主人の転勤で、全国・海外を転々としたのち、

やっと、自分とご主人の故郷に帰って来たと、

数年前、年賀状でわかり、

今年になって、やっと連絡を取りました。


30年ぶりとは思えないほど、話が弾み、

一気に時間をさかのぼった気分になりました。

(*^▽^*)

一方。

わたしも彼女も、父親が介護状態。

彼女のお父さんは、脳梗塞から一気に要介護5に。

わたしの父は、パーキンソン病のため、

要支援から始まり、じわじわと、今は要介護2。

彼女はお母さんを3年前に亡くして、

お父さんは独り暮らしだったので、

しょっちゅう様子を見に実家に行っていたそう。

ある日、お父さんが、足に突然力が入らなくなることがある、というので、

病院に行くよう勧めたそうです。

翌日、お父さんは病院に行き、

その翌日に、脳の画像を撮る予約をして帰って来たそうです。

「明日、脳の検査をするんだ。」と話をした、その夜、

脳梗塞を起こしてしまったそう。


それからは、入院、転院、リハビリと大変なことが続き、

今年4月、介護制度の変更で、

施設入所が要介護3以上でないといけなくなったらしく、

そのおかげで、特養に奇跡的に入所できたそうです。


わたしの父は、要介護2で、母が介護していますが、

母の負担を減らすために、

わたしも、実家通いです。


要介護2では施設には入れないし、

それでも、母の負担は、どんどん大きくなっていくし、

介護サービスを使えば使うほど、一部負担金がかさむし。


この国は、これから一体どうなっていくのだろうか、と

そんなことを話して、

彼女は、お父さんの夕食の食事介助に行く時間になり、別れました。


30年ぶりに会い、

二人で美術館に行き、

ランチをし、

たくさん話をしました。


また、会って、お互いに 頑張ろう!ってなるといいな。



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2016年06月10日

温泉たまごなら食べられる父

パーキンソン病を患う父。

食事にも、いろいろ気を使います。

先日も、実家に帰ったとき、

おかゆの、のどごしがよくなると、温泉たまごをかけて食べていました。


でも、温泉たまごを、賞味期間が短く、

買い置きができないのが悩みだと母が漏らしていました。


そうか・・・大変だな・・・。

と、そのとき。

思い出しました。

遠い昔。何かの景品で、温泉たまごを作る、容器みたいなものをもらったことを。


子どもが小さいときは、何度か作っていましたが、

使わなくなって、その存在をすっかり忘れていました。


どこに入れたかな。

もしかして捨てたかな?

探して見つけました。

温玉ごっこ

そうそう、温玉ごっこって言うんだった。

中に卵を入れて、熱湯を注ぐだけ。

今度、実家に持って帰ろう。


母の負担が、これで少なくなればいいな。






うちのは、↑ これ。 2個用。


2016年05月28日

毎週週末 介護帰省

先週・先々週と、週末に実家に帰り、

今週は休んで、また来週の週末も実家に帰ります。


実家の父は、要介護2で、

自宅で、母が独りで介護しています。


そんな母も、今年、誕生日が来ると、80歳。

いろんなことが、負担になっています。


季節ごとに、必要な家の手入れ、

庭の草取り、

夏の日よけの取り付け、

暖房器具の掃除や片付け、

エアコンの掃除、

ちょっとした家の痛みの修繕・・・・。

器用だった父が、なんでも自分でやって来たことが、

母一人の肩にかかってきます。


毎日の父の介護に加えて。


だから、季節の変わり目には、

行ってあげなくては、と思います。


父の介護も2人でやれば、母の負担は半分になる。

わたしが、家のことをやれば、

母は介護だけしていてもいい。


父に当たりたくなっっても、

わたしに愚痴を言えばいい。


先日、テレビで、

ある看護師さんを取り上げているNHKのプロフェッショナルという番組を見ました。


口から食べるということが、命をつなぐ、

という信念のもと、

脳梗塞で入院した患者に、

入院数日後から、食事介助を始め、


自分で食べられるまでに回復させて退院させてしまう。


長年の看護師生活で、

どうすれば、食べられるのか、


あらゆる可能性を検証し、

できないと言わないをモットーに、

突き進んできた人。


主治医が、口からの食事はあきらめて、

胃ろうにしよう、と言っても、

2週間ください、と食い下がり、

見事、2週間後には、誤嚥もなく食べられるようにしてしまう人。


患者は他人なのに、

その人は、医者から、もう胃ろうにしましょう、

と言われてしまったのに、


仕事とは言え、

誠心誠意、その患者のために、

食べさせることに、尽力している。


そんな姿を見て、

わたしは、自分の親のことなんだから、


やれることを、ちゃんとやろうよ、

って、思いました。


今週は、インターネットショッピングで、

日よけのためのサンシェードと、

部屋のなかの、竹製のカーテンを注文して、実家に送りました。


来週、週末に行って、

それらを取り付けたいと思っています。

少しでも、


暑い夏を、気持ちよく過ごしてくれればいいかな。

(*^▽^*)




2016年03月11日

ポータブルトイレ

以前は、何か起きた時にだけ駆けつけていた実家。


最近は、1ヶ月に1週間ほどの滞在が恒例になってきました。


今月も、昨日まで、1週間を切りますが、滞在してきました。


今回は、毎日、母の代わりに、母のベットで父と同室で寝ました。


父は夜1~2回トイレに起きています。


一人でトイレに行けるのですが、


転んだりしたらいけないということで、


夜だけポータブルトイレにしたと聞いていました。



わたしが帰る前、2~3日は、父のおなかの具合が悪く、


母は何度も夜中に起きることになり、


かなり寝不足な状態でした。


わたしが行って、父の状態は良くなるわけではないのですが、


母が、一晩中、朝までゆっくり寝られる、


ということだけでも、母にはいいみたい。


父を一人にできないので、


わたしが留守番をしている間に、


整体に行ったり、美容院に行ったり、


そんなことも、気分転換になります。


部屋の片隅のポータブルトイレは、


トイレトイレしてなくて、


普通のプラスチックの椅子みたいでした。


 こんな感じです------>右斜め下



汚物受けに水を入れて消臭剤を入れておくと、


匂いもしない。

こんなのがあります手(パー)


高齢者用の様々なグッズは、


こんなに進化しているのだな。


父はパーキンソン。


夜だけポータブルトイレ。


そのうち、いつもポータブルトイレ。


そのあとは、紙おむつ。


病気の進行とともに、


だんだんできることが少なくなってきます。


それにつれて母の仕事は増えていくでしょう。


どこかで、わたしも覚悟を決めて、


田舎に移住することも考えなくてはいけないなあ、


と思っています。

2016年02月15日

仕事の繁忙期と中距離介護と娘のDV彼氏と・・。

また、父が熱を出した。

こちらからマメに連絡しないと、

母は自分からそういうことを言ってこない。

熱が出て、かかりつけ医に行くと、

血液検査をしてくれる。

炎症の数値が高いと、

誤嚥肺炎を心配して、

レントゲンを撮ってくれる。

レントゲンにはっきり写るほどではない。

でも、炎症があるから、

点滴を入れる。

炎症の数値が下がるまで、

毎日。

母は、病院に付き添って、

帰ってから、家事を片付ける。


わたしが行って、

母が父を病院に連れて行っているうちに、

家事を片付ける。


5泊6日してきた。


ファンヒーターの掃除をしたり、

洗剤を詰め替えたり、

こまごまとしたことも、してくる。


こんなことで、母の助けになっているのか。


こんな綱渡りの介護が、

いつまで続けられるのか。


日本中で、こんなことが起きているんだろうな。


父も、母も、独りにはできない。


実家に移住する、

そんな決断が必要な日がいつか来る。


今、わたしの仕事は繁忙期。

たくさんやればやるほど、

お金になる、内職。


今回は、実家に持って帰ってやってきた。


この仕事なら、実家に移住してもできるな。



独り暮らししていた娘が、実家に帰ってきた。

ヒモのようになってきた彼氏と別れようとしたら、

別れ話になると、手をあげるようになった。


だから、母としては、守らないといけない。


もう一度話して来る。

そういって出かけて行った娘。

「別れたよ」と帰って来た。


終わりならいい。

何かの始まりにならないよう。

緊張の日々が始まる。


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