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2010年12月31日

今年は来年のために

(今日のつぶやき)

 先回の歌「枯れ枝は天に根は地下に」に
「生きるものはその定めとして高みを望み向上心を満たし
知を掘り事象の奥深さを感じる」という解釈で
いかがでしょかというコメントをいただき
歌は読み手によって作り手の内容以上の価値を
生み出されるものだなあと思いました。笑顔

 このように、今年はブログを作り、
短歌といえるものかどうか解らないながら
思いつくままに作ったものが
心ある方の目にとまり何かを
感じていただいた事は
感謝にたえません。笑顔

 今年も家庭にあってはかみさんと
支えあった一年でありました。
今日も今まで「なんだかんだ」と
言い合いながら年賀状の追い込みの
最中でした。怒り
 
 来る年も家庭にあってはかみさんと
ブログにあっては読み手の方と楽しく過ごせる
一年となりますように。笑い

(今日の短歌は今年一年の変わらない朝の情景です)

妻写るバックミラーに手を振るる勤めにいかん車中より今日も






2010年12月29日

枯れ枝は天に根は地下に

(今日の感慨)

 冬の深まりと共に木々は枝をあらわに
するものも増えてまいりました。
それらの木々も来たる春に向け命を
蓄えている事でしょう。
 冬に象徴される時期は人生にも
ありますよね。
 いつまで元気で生きれるのだろうかと
思うような時期です。

 自然界がそうであるように、人体も死の瞬間まで生命を
維持しようとするのだろうと思う。
 そうまでして生きようとする体と自分自身の生への執念
のバランスをどのように取るか・・・・大切。
 
 それから、木はそれを木として認識してくれる人がいて
存在の目的が発生する一面を持っているように・・・。
 それと同様に、いやそれ以上に人は認めてくれる
人のために存在しさらにその人のために生きて行こうとする
生き物ではないか?と思う。
 私たち自身が望む望まないにかかわらずである。
 
(今日の短歌)

なにゆえに枯れ枝は天に根は地下にひたすら伸びんか公園の木々の

2010年12月27日

生かされるままに生きる結論

(今日の心の吹き出物)
 
 ある方のブログを拝見して、思い出したことがあります。
若かりし頃、燃え尽き症候群という言葉があるんでしょうか?
何もやる気がしない状態がしばらく続いた時期がありました。
 自分を責めて責めて、自暴自棄になって
生きる気力さえ無くした時、
自分自身をこの世から抹殺できたらと
さえ思う事もありました。
死を考えても自らそれを下さなかったのは
幸いな事でありました。
 自分の体でありながら、
いまふうに言うならリセットできない苦しさ、
自分の命でありながら自分で止めれないもどかしさ。

 そしてたどり着いた結論、
それは、命の尊厳、宇宙の有様(永遠に続くであろう地球の公転自転など)などは人知では遥かに及ばない次元のものである事。
私の命は人知も及ばない営みの中でただ生かされている命であること。
 それからの人生は何のために生きるかではなく、何のために生かされているのかを模索するものであったような。
それを命尽きるまで探しつづけるであろう。
それも幸なり。

(今日の57577)

青春の真っ只中で辿りつく生かされるままに生きるの結論




  
  

2010年12月25日

寒風吹き荒(すさ)ぶ

(今日の出来事)

 静岡は風花が舞う程度で雪とはほとんど縁の薄い
地域の多い所だと思うのですが、
今日の寒さは私を震いあがらせるには
充分でした。
 外回りの仕事とはいえ、
車と客宅の間を行き来する時のみ
寒風にあおられるだけ
なのですが今日は外に出るのが
勇気がいりました。
 お客さんが時々電気ストーブなど
出して下さる時には涙がちょちょぎれるくらい、
感謝したもんです。
 この空の下、一日中、
寒風にさらされながらの
お仕事の方も多いと思います。
くれぐれも風邪等ひかぬように
お体、大切に。

(今日の短歌)
吹き抜けて体温奪う寒風の凍てつく刃(やいば)が貫くように

2010年12月24日

酒は飲んでも飲まれるな

(今日の・・・)

 年末が近づいてきました。酒を飲む機会が
増えてまいりましたねぇ。
 酒が過ぎて自分を解放し過ぎないように、
酒は飲んでも飲まれるなというところでしょう。
 本能とか欲というものは本来、
自分とその周りが幸せになるためのものでしょうに、
ややもすると不幸の原因ともなりえる。困ったものです。
 越えてはいけない自制心という
一線を守り通して、大事なものを守って一生を
全うしたいものです。

(今日の短歌)

人はみな越えてはならぬ一線と大事を守る一線を持つ 

2010年12月22日

今日の心の吹き出物

(今日の心の吹き出物)

 生まれたときから死に向かう人生ならば、
そこに意義と価値と目的を見い出すとすれば
愛、使命感・・・・そして達成感・・・。
 使命とは???解らないまま一生を送るのか
或いはもうそれに出会っているのか、それとも既に
達成しているのか?
 な〜んて、取り留めのない事を考えた一日でした。

(今日の57577)

天命で生かさる時まで長らえん使命の何かも解らぬままに

2010年12月20日

記憶は宇宙の果てに刻まれて

(今日のヒラメキ)

 最近でもないが俳優の顔を見て名前が思い出せないとか、あります。
ただの物忘れと思いたい。
 それは、置いといて人間が生きていれば知ってか知らずか
人に迷惑をかけたり、傷つけたりする事多々ありますが、
自分は忘れていても被害者は覚えていて
永遠に憎まれ続けていたりして・・・・。
 忘れようと心がけている事忘れたい事等、
全てが宇宙の彼方に記録されていたら、
どうしようかと考えた事はありませんか?
 それこそ、世にも奇妙な物語です。

(今日の短歌)

消えし記憶宇宙の果てに刻まれて我が行くのを待っているかも

2010年12月18日

自然の摂理というは幸なり

(今日のつぶやき)

 今日は国道52号線(静岡の清水より山梨、長野方面に抜ける国道)を北上しお客さんの所に寄って、少し足を伸ばして宍原いう所からの富士山の撮影となりました。またまたまたです。
 不動の富士山を見ながら人の悲しみ苦しみ喜び、生き死にに至るまで自然の営みの中で掻き消されるというか、その営みの中に組み込まれるものなのかもしれないと思った次第です。
 老いるという事も、子供の成長の裏返しと思うとしっかりと受け止められそうに感じます。



(今日の短歌)

老いるほど反比するよに子は育つ自然の摂理というは幸なり

 
 

2010年12月17日

己を磨く

(今日の心境)

 営業職に就かなければ、ただのお人よしの短気な頑固者で一生を送っていただろう。営業という仕事に就いて相手の事を少しづつ考えれるようになったと思います。笑顔

(今日の短歌)

生計を仕事にたくし日々励む上がりはなくも己を磨く

2010年12月16日

寒雲つらぬく冬の陽

(今日の出来事)
 
 静岡の清水では「秋葉山」というお祭りがある頃には、町行く人がコートの襟を立てて歩いているという話しをよくする。今日はその祭りの二日目、さすがに寒さひとしおの一日でしたが、例年の寒さはこの程度ではないような。
 おてんとさんも寒空におされて、おぼろのままでした。

(今日の短歌)

空おおう寒雲つらぬく冬の陽の輝くともなし天の底の底



富士市(以前の富士川町)からの富士山
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定年退職後の日々
定年まであと何年と数える歳になりにけり。定年後も元気で働きたい親父です(現在は過ぎ去りし願望に似たり)・・時々(我流)短歌も
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