アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2010年12月15日

詠みし短歌になんか幸せ

(今日のつぶやき)

 ブログを初めて3ヶ月になるんでしょうか、訪問していただいたりコメントもいただけるようになりました。感謝です。
 短歌をつくる時は短歌の先生の言われるように「風景にしても心の中の事もありのままをありのままによむ」ようにしています。
 よもうとすると観察も必要だし、心を整理して何をどのように思っているのかという自己分析も必要になります。
 仕上がった時は生みの苦しみから解放されたような幸福感があります。
 
(今日の短歌)

自分なり心に合わさる仕上がりの詠みし短歌になんか幸せ

 作品を見て何かを感じていただき、その方の中にまた新たな何かが生まれて来ることあれば、感動の一語です。

2010年12月12日

母の目じりに一粒光る

(母への追憶)

 母がまだ元気だった頃、妻の後押しもあり広島の実家にまだ小学校低学年の子供達を連れ、毎年の盆には帰省していた。母に孫の顔を見てもらえて少しは息子らしいことをできたと思っている。
(今日の短歌)
迎えくれ盆の帰省に孫を見し母の目じりに一粒光る

 母を一人家に残しての別れの時は辛い、心が痛む。母も別れの辛さからか「会えば別れがもっと辛い」と言っていたことを思い出す。
(今日の短歌)
『辛いから帰ってくるな』と母言いし盆の帰省を思い起こしぬ

静岡と広島、あまりに遠い。母が健康だった時、もっともっと楽しい思いをさせてやりたかった。

(今日の短歌)

『明日からまた一人ね』と母ぽつり我に好物持たせてくれつつ 

2010年12月10日

駿河湾のシラス漁

(今日の出来事)
 
 今日も営業任地に行く道すがら、シラス漁に勤しむ二艘引きの漁船をデジカメに収めました。今日は船の数は少ないようです。(シラス漁には一艘引きと二艘引きとあるようです)

(今日の短歌)

駿河の海二艘(そう)ならびてしらす漁網の重さの船に伝わる

2010年12月09日

頑張れないけど休むほどでもない

(今日の出来事)

 今日は朝からいつもの慢性疲労と違う心地よい脱力感がある。たぶん、風邪のウイルスと体が戦っている状態のような・・・そういえば最近、隣の席の同僚が調子わるそうだった。
 頑張れないけど、休むほどでもない。仕事に向かういつもの緊張感とプレッシャーが感じられない。心地よいのである。
 話しは変わって、仕事がら健康についての話しを聞く機会に恵まれる。ある講師の方が「ウサギと亀」の話しをしておられた。ウサギは途中で休んで競争には負けてしまったが結果的にはそれで良かったんだそうである。
 ウサギを頑張りすぎる人たちにたとえて、休養の大切さを説かれたのであろう。私はタイプとしてはウサギのタイプだと思っていたが、どうもそれは思い違いではないかと思うようになった。
 気持ちはウサギ、実体は亀さんなのである。亀なら亀として立派な亀になりたい。自分が自分らしくあるように、人間が人間らしくあるように。最初から立派な人はいない・・・誰しも立派になろうとしているのだから。

(今日の短歌)

人類の一人ひとりに相応しき金メダルあるを信じ日々生きん 

2010年12月08日

父の面影

(今日の出来事)

 今日も任地に向かう道すがら物思いにふけっておりました。ある方のブログの記事から流れてくる「夕焼け雲」という曲の「誓いのあとのせつなさが杏の幹に残る町」という一節にヒントを得て以前作った歌を改作してみました。
 
(今日の短歌)

幼きの背丈を柱に印せし父の面影切なく残る

追伸 雪の富士に見とれて車を走らせていると自然に任地のはずれの撮影スポットに来ちゃいました。
(雪富士に見とれる心にはやされて車は向かう撮影スポット)

2010年12月07日

曖昧な時にゆだねて

(今日の心境、悩める親父より)
 もう長く息子と面と向かって話せないでいる。お互いが自分勝手の都合の良い壁をつくっているのだろう。
 専門学校を卒業して就職もアルバイトさえ見つからないでいる息子に心配と若干の苛立ちを心の底にしまい込み過ごす日々である。
 息子の真意の見えないままの曖昧な時の流れに身をゆだねるのもベストでは無いにしても、それもまた良いのではないかと思うようになった、というかそういうふうに思うよう心がけているといったところか。
 曖昧なときの流れの中でお互いが成長をすることにより、良き進展があることをただひたすら信じる日々なのです。

(今日の短歌)

これも良いかすみのかかりし駿河の海空との境の定かならざる

2010年12月04日

父母の生き様

(今日の出来事)
 今日、ファイルを整理していたら、新聞の切れ端が出てきた。これは確か短歌の先生(本人は先生と呼ばれるのが嫌いで我が家では短歌のおばさんということで通っている)が私の悩みを知って、切り取ってくれていた物。子供の相談室というコーナーで高2の男子を持つ親御さんが話さなくなった息子のことを心配しての投稿にルポライターの人がコメントを載せていた。
 この記事の一文「いったん父母を捨て、よりカッコイイ大人を探すのが青春です。そして誰もがお父さんお母さんと同じ人間だと気づいて大人になる」を何度も読み直しているうち、したためることになった歌を今日は読んでいただければと思います。

(親子への応援歌)

カッコイイ生き方さがしてたどり着きぬ育ててくれし父母の生き様

2010年12月03日

老いては子に従え

(今日のたわ言)
 
 「老いては子に従え」とは死語になりつつあるのか?親子は助け合って当たり前なのになぜ・・・・。子に頼ろうとしない親、親をかえりみない子供、双方がいろんな問題を抱えた結果であろうが。
 我が家の場合は子を助けても、子は助けてくれそうに無いので何とか死ぬまで元気で働けるよう最低限、夫婦で健康に気をつけて生きたいものだ。
 ただ、妻は「老いては子に従え」という言葉は親子が助け合うという意味ではないのではと言っているのだが、断固、私としては親子が助け合うという意味に受け取りたい。

(今日も57577でつぶやく)

老いてなお働かずには生きられぬこの世を受け入れ健康気づかう

2010年12月02日

やさしき零(こぼ)れ日に

(今日の風景)

 毎日のように営業任地に向かう道すがら、
駿河の海は違った表情をみせてくれる。
 今日はくらい雲より零れ出たような光の
カーテンに魅せられてしまった。

(今日の短歌)

駿河の海くらき雲より零れ日の光のカーテン風になびくごと

 
プロフィール
定年退職後の日々さんの画像
定年退職後の日々
定年まであと何年と数える歳になりにけり。定年後も元気で働きたい親父です(現在は過ぎ去りし願望に似たり)・・時々(我流)短歌も
プロフィール
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
<< 2010年12月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。