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1954年9月14日、ソ連において原爆を投下直後、爆心地とその周辺において4万もの兵士が軍事行動を行うという演習が行われた。

演習で使われた原爆は広島に使われたものとほぼ同規模であり、この狂気に満ちた演習がなぜ行われたのかを実際に演習に参加した兵士達にインタビューしながら迫っていくドキュメンタリー。

第二次第大戦後アメリカは核開発を進めていた。

対立していたソ連も開発を進め、大戦終結4年後の1949年に原爆を使った実験を成功させる。

これに恐怖したアメリカ(と西側諸国)はソ連に対し本格的な軍事行動を計画し、核実験と演習を繰り返す。

遂にソ連の全土に対し各国が各方面から一斉核攻撃を行うという「ドロップショット計画」に至るまでになる。

ドロップショット計画が1957年初頭に実行される可能性を知ったソ連は震え上がり、核開発を更に急ぎつつ、核戦争における本格的な作戦を立て始めた

そして原爆投下直後の爆心地で5時間兵士が生き残り戦闘ができるかを試す演習「スネジョーク」が行われたのである。

兵士達は25年間この件について沈黙する事を軍と契約し、かたくなにそれを守った。

数十年経ち、今やほとんどの兵士が死んでしまって尚、生き残っている兵士達は皆一様にこの演習は必要だったと語る。

世界が核戦争に突入するのを防いだと言うのだ。

彼らにしてみれば、この演習が成功した事がアメリカを牽制し、ドロップショット計画を止めたという事なのだ。

演習は克明に記録されており、作品中で原爆投下シーンもしっかり見られる。

CGのように現実離れした爆発の光景。

大気が揺れ、一気に巨大なきのこ雲が作られていく。

4万人もの自国兵士を実際に被ばくさせて演習するという常軌を逸した行動はソ連だけでなく、アメリカも行っている。

冷戦下ではアメリカとソ連が直接戦争は行っていないが、ある意味このような形で被害を与え合っていた事になる。

敵が敵を作り肥大化していく。
そしてそのツケはあまり力を持たない者に負わされていく。

大衆として学ぶべきは、敵は他国の民ではなく、むしろ自国に在るという事なのかもしれない。

また、これらの実験は大量の放射性物質を世界中に撒き散らしたという意味で世界中を巻き込んだ事も忘れてはならない。


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