杞憂の連打

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いわゆる会社訪問に行ったが、面接をしてくれた人が、人事担当責任者であった。約３０分程度の、面談をして、会社を後にした。後日、その責任者より電話があり、本社より人事責任者が来るので、面接試験の日時を案内された。
その日には、４人の幹部との面接で、それぞれが矢継ぎ早に質問をしたが、冷静に応じた。その後、１週間後に、筆記試験を行うとの事で、再び、日時を指定された。そして、その筆記試験に臨んだが、決して、出来は良くなかった。
後日、間借り先の大家さん宅へ、電報が届いていると言われた。また父が、とんでもない事をしでかしたのかと、不吉な予感がしたが、開封すると、内定の通知であった。
私は、右手のこぶしを、突き上げて『やった!!』と、叫んでいた。
後は、卒業するまでに、残っている単位を、取得するのみである。友人達は、一同に、余りにも早い、就職先内定に、皆、驚いていた。

やがて、大学の卒業も視野に入れて、就職活動を開始しなければならない。アルバイト先の、税理士からは、卒業後には、正職員として、働いて欲しいと言われたが、卒業後は、出身地へ帰るつもりでいたため、丁重に断った。就職先にあたって、具体的に、大手企業で、給料も高く、出身地で、経理の仕事と、決めていたが、実現性は、これからである。
新卒採用情報誌を見ても、現実的に、全ての希望を満たす就職先は、かなりハードルが高い。
例えば、経理ではなく、営業職であれば、選択肢は、かなり広がる。しかし、大学で学んだことや、アルバイト先で得た、知識を無駄にしたくは、なかった。
人との出逢いも、運命的なものがあるが、就職先を選択し、そこへ勤務する事も、プラスの運命にしていきたい。これが、最良の選択であったと、思う様にしたい。そういう、気持ちがモチベーションアップになった。

副所長の税理士は、息子さんが私と同じ年齢との事で、恐らく、年齢は４０代後半であろう。自ら、ほうきを手にして、事務所の周りを清掃していた。そんな事まで、させるまいと、私は、副所長からほうきを、もらい私が清掃をする様になった。
しかし、朝、ぎりぎりの出所となる事もあり、清掃出来ない日もある。そんな時は、副所長の機嫌が一日中悪く、気まずい思いをして、仕事をしてしまう。
そういう事もあるが、私の真面目な勤務状況を、評価してもらい、夏と冬には、特別に賞与も支給してくれた。
大変に、感謝して、少しだけ、衣類を購入して、残りは実家に仕送りをした。
それを受け取っても、実家の母親からは、感謝の意も無く、さも、当然であるという様子である。
家庭不和や、貧困が、人の心までも、歪ませているのだろうか。
環境に支配されない、自己を築くしかないと、決意した。

公認会計士事務所は、余り、顔を出さない、公認会計士、税理士、会計士の娘婿、会計士補で２０代の男性４人と、女性が６人の大きな事務所であった。
私は、５０代の優しいご婦人より、懇切丁寧に仕事を、教わった。この公認会計士事務所に、嘱託している法人は、比較的大きな現地法人であったり、年配のご夫婦が営む、小さな商店もある。
その、小さな商店は、日々の、仕入れ、売上、経費の伝票の起票から、P/L、B/Sまで全て手作業で行う。
この時の、経験が、後々の大きな自分の知的財産となり、自分の人生の助けとなる事など、知る由も無かった。
目下の課題に、精一杯取り組む事は、必ず、良い結果となって現れるのだと、確信した。

精神的に、少し成長出来たのかもしれないが、現実の生活は、相変わらず、厳しかった。アルバイトも途切れて、当座の生活資金はあるものの、底をつくのは、推察出来た。在学期間中、長く出来るアルバイトを見つけなければ、安定した生活を送れない。暫くは、父の事は忘れて、アルバイト探しに動き回る最中、公認会計士事務所での、アルバイトが決まった。私の専攻は、商学科のため、勉強しながら、収入を得られる、願ったり、叶ったりのアルバイトである。副所長の税理士と面談をして、すぐ働ける事になった。時には、天も味方してくれるのである。

その後、父は、地方の刑務所に移させられ、約３か月の刑期を終えて、出所した事を、母から聞いた。自分では、受け止められない、様々な困難や、自分自身の宿命を恨みもしたが、例え、どんな事があっても、乗り越えられるという、心の強い自分にならなければ、へこたったり、嘆いたりしてしまう。
さすがに、父の件は、先輩にも、親友にも話せず、何事も無かった様に、平静を貫いた。こんな事で、一喜一憂してはいられない。幕末の藩士の様に、大きな目的に向かって、自己鍛錬を怠らず、この世に生まれて来た目的を、必ず、自覚して、果たせる様に、強く決意した。
この先、長い人生の基礎の土台作りの時期に、むしろ、艱難辛苦こそが、追い風となる。

父との、面会後は重苦しい雰囲気となり、実家に帰るまでの道中、母とは、終始無言であった。父が。刑務所に入った事は、前科者となり、この先、私の就職に不利になるのではとか、この事は、私たち家族以外に知っている人は、居ないはずだろう、知られるはずが無いとか、私の、見栄や、世間体ばかりが気になり、自分の器が小さく思えた。
父は、父なりに、罪を償い、その為に、嫌な思い、大変な思い、身柄を拘束されて、自己嫌悪に陥っているのだと思うと、いつまでもクヨクヨして居られない。
この逆境を跳ね除けて、自分は、自分なりに、自分の道を、正々堂々と、歩むしかない。

約束の日曜日となり、昼食を食べる気力も無く、母と二人で、途中までバスを乗り、終点からは、タクシーを利用した。高い塀に囲まれ、刑務所の中は、狭く、長い廊下を、歩かされた。この様な場所は、テレビとか映画でしか見た事は無く、終始看守の人が、付き添っていた。私は、その間、独房なのか、何人かの囚人と同じなのか、刑期はどれくらいなのかとか、不安は募るばかりである。
母が、所持品を検査され、やっと面談室に通され、しばらく待っていた。やはり、看守に付き添われ、私たちの前に現れた父は、頭は坊主にされ、囚人服を着せられていた。その、父の姿を目の当たりにした私は、ただ、ただ、呆然自失となり、悲しみの滂沱の涙が流れていた。父の顔を、直視出来なかった。
時間にして、２〜３分だけだと思うが、とても短い、夢ではない、現実を見た。
果たして、この先、この悲しみを乗り越え、はねのけて、生きて行けるのだろうかと、私の、不安は、更に募り、もう二度とは来ることはないだろうと思い、先ほどの逆回しで、看守の人に付き添われて、刑務所を、後にした。

いつまでも。悲しみに浸っている暇は、無い。アルバイトも休みで、間借りしているアパートで、音楽を聴いていた時、大家さんから、電話が入っていると、呼び出された。電話の相手は、実家の母であった。母は、『お父さんが、刑務所に入ったの』と、言う。私は、青天の霹靂より、もっと酷い、衝撃を受けた。死んだというのならば、まだしも、刑務所に入ったとは、一体、何をしたのだろうかと、早く聞きたかった。母は、『実は、交通違反が重なり、自動車の運転免許が取り消しとなっているのに、車を運転して、人身事故を起こしたの』と、言う。
私の心は、動揺し、詳細を聞いたのだが、余り覚えていない。
どうして、いつも家は、こうなんだろう。どうして、自分だけが、不幸なのだろうと、自己嫌悪と、またもや、絶望感が現れる。どうやら、交通刑務所というのがあり、一般の犯罪者とは、違う場所に収監させられているとの事。
次の日曜日に、実家へ帰省し、母親と面会に行く事を、約束して、電話の受話器を、置いた。
大家さんには、何事も無かった様に、電話取り次ぎの、お礼を言えるだけで、精一杯であった。

親友の死から、しばらくは、平常心では居られなかった。やり残した事は、たくさん、あったであろう。後悔もあるのかもしれない。周りの人が、大変残念で、悲しんでいる思いは、伝わっているのだろうか。
彼は、２０年間という余りにも短い、一生であるという運命を、予見していたのだろうか。彼は、何をしに、何を残すために、何のために、生まれて来たのだろうか。
彼への、思いは、尽きない。
その反面、人を憎み、人を妬み、人を謗るという、人間の『悪の心』に染まる事無く、清廉潔白な人生だったのであるから、ある意味、凄い事だと思った。彼の、『早すぎる、死』を、無駄にする事無く、自分らしく、心の強い、純粋な心を持った人生を、歩もうと決意した。