2017年09月19日
人にやさしくしなくっちゃ。親や上司がだれかを叱る権利って一体だれが与えたわけ?
こんにちは。
スーパーで買い物をしていると、年の頃4、5歳の少年がキウイフルーツとアボカドをもって走り回っていた。
「青汁でど〜ん!」
「スパルタでど〜ん!おかあさーん!」
と、意味不明なことを叫んでいた。
若いおかあさんはやれやれという顔つきで、「やめなさいよぉ〜恥ずかしいでしょう?」となだめる。
勢いはおさまるどころか加速して
「あおじるぅでっ ど〜ん!!!」
黙っていたお父さんがついに口を開いた。というか割とすっと手が出た。
短髪で日に焼けた、なかなかのガタイのお父さんだ。まだ20代だろうか、作業ズボンにスポーツ系のタイトなウェアで腕っぷしもそこそこに、きっと工事関係のお仕事をしているなんだろう。
青汁少年の背中の方から手を伸ばし、少しよれたグレーのロンTの首を後ろから引きずり上げて
「いい加減にしろコラァ!!!」
...「うぇ〜ん」
うーむ。
子どもがギャーギャーうるさい場合に、「親は何をしつけてやがんだい!」と思う気持ちもあるけれど、
こんな風にガツンと親が子を叱っている様子を見るのは気持ちのいいもんじゃない。
「きっと、親ってのは、勘違いするんだろうな」って子を持たない私は推測しちゃうんです。
子は親の持ち物ではないし、
そもそも意思を持って独立した人間同士なわけだから、
子を傷つける権利なんて、親に与えられているのかなって思うんです。
さっきのお父さんは、子どもにとってためになる「良いしつけ」を行おうとしていない。
間違いなく、うるさいから黙れてんめぇ〜と力で封じ込めただけのこと。
ここに何の教訓があるかって話。
これを「憂さ晴らし」といいます。
この原理は、会社の上下関係でも同様で、
会議中に部下に偉そうにごちゃごちゃ言ってるやつはみんな
「憂さ晴らし」か「やつあたり」か「弱いものいじめ」をしているだけなんですね。
相手を導こうとしている人間は、相手のことを責めたり、傷つけるような話は絶対にしないもの。
この上司は、更に上級の上司からごちゃごちゃ言われるのが辛いから、
部下を早く動かしてリスクヘッジをしたいだけです。
例えば、
「いい加減にしろ!なんでこの案件を進めていないんだ!、、、忙しい君の状況も分かるが、これをきちんとさばけるようになって一人前だろう!この頑張りはお前のためなんだからな!しっかりやってくれ!」
という言葉は
直訳すると
「いい加減しろよこのクソガキ!会議で怒られるのおれ嫌やで!、、ちょっと勢い余って言いすぎたやつやん。みんな見てるやん。てゆか昨日も本社会議でごっちゃ言われるは、家帰ったら嫁にうだうだ言われるは、娘は口聞いてくれないわでイライラするわぁ〜。でもこんなストレートに部下にやつあたりすると会社の中の立場的に俺感じ悪いやつになるやん。ここはひとつ部下を思いやる熱い上司をスマートに演じきって一発かましたろやないけぇ〜どやさ私のイケてる理想の上司像〜あっまだみんな見てるやん羨望の眼差し集中やんやん。」
「お前のため」と本人に面と向かって言ってしまう人間に、「思いやり」があるひとはいません。
そもそも思いやりとは、相手の気持ちや状況をおもんばかる配慮のことなんです。
この特殊な配慮は、表面化した時点で本来の意味を成さなくなりますから。
「お前のため」と言うひとは、「100%自分の満足のため」に生きています。
親と子の立場、上司と部下の立場は、支配者と奴隷では決してありません。
誰の許可を得て、そんなえらそうな態度を取っているの?っていいたくなります。
利害関係の発生する人に対して配慮を意識した行動をすることはたやすいことです。
生き方を研ぎ澄ましてゆくためには、
自分よりも社会的な力の小さい相手や、部下や子、すれ違うだけの街の人など
利害関係が発生しにくい相手に対して、
やさしい言葉や態度で接してあげられるかが大切なんだと思うんです。
利害はひとまず置いておいて、
生まれた瞬間に祝福を受けて、愛されてきたであろうひとりひとりを大切にするよう意識すればいいと思うんです。
いい人になろうなんて思うのは大変。
だけど、少なくとも嫌なやつにはなるまいって思えば、
良い人生を歩めるんじゃないかって思うんです。
人にはやさしくしましょう。必ず自分にもやさしくなれますから。
「青汁で、ど〜ん」で首根っこつかんで怒鳴るようでは、親も未熟であるし、
こころに余裕がないのでしょうな。
「こいつ面白い単語のチョイスしてくるな」って、なればくすりと笑って和む結果になったかもしれないから。
スーパーで買い物をしていると、年の頃4、5歳の少年がキウイフルーツとアボカドをもって走り回っていた。
「青汁でど〜ん!」
「スパルタでど〜ん!おかあさーん!」
と、意味不明なことを叫んでいた。
若いおかあさんはやれやれという顔つきで、「やめなさいよぉ〜恥ずかしいでしょう?」となだめる。
勢いはおさまるどころか加速して
「あおじるぅでっ ど〜ん!!!」
黙っていたお父さんがついに口を開いた。というか割とすっと手が出た。
短髪で日に焼けた、なかなかのガタイのお父さんだ。まだ20代だろうか、作業ズボンにスポーツ系のタイトなウェアで腕っぷしもそこそこに、きっと工事関係のお仕事をしているなんだろう。
青汁少年の背中の方から手を伸ばし、少しよれたグレーのロンTの首を後ろから引きずり上げて
「いい加減にしろコラァ!!!」
...「うぇ〜ん」
うーむ。
子どもがギャーギャーうるさい場合に、「親は何をしつけてやがんだい!」と思う気持ちもあるけれど、
こんな風にガツンと親が子を叱っている様子を見るのは気持ちのいいもんじゃない。
「きっと、親ってのは、勘違いするんだろうな」って子を持たない私は推測しちゃうんです。
子は親の持ち物ではないし、
そもそも意思を持って独立した人間同士なわけだから、
子を傷つける権利なんて、親に与えられているのかなって思うんです。
さっきのお父さんは、子どもにとってためになる「良いしつけ」を行おうとしていない。
間違いなく、うるさいから黙れてんめぇ〜と力で封じ込めただけのこと。
ここに何の教訓があるかって話。
これを「憂さ晴らし」といいます。
この原理は、会社の上下関係でも同様で、
会議中に部下に偉そうにごちゃごちゃ言ってるやつはみんな
「憂さ晴らし」か「やつあたり」か「弱いものいじめ」をしているだけなんですね。
相手を導こうとしている人間は、相手のことを責めたり、傷つけるような話は絶対にしないもの。
この上司は、更に上級の上司からごちゃごちゃ言われるのが辛いから、
部下を早く動かしてリスクヘッジをしたいだけです。
例えば、
「いい加減にしろ!なんでこの案件を進めていないんだ!、、、忙しい君の状況も分かるが、これをきちんとさばけるようになって一人前だろう!この頑張りはお前のためなんだからな!しっかりやってくれ!」
という言葉は
直訳すると
「いい加減しろよこのクソガキ!会議で怒られるのおれ嫌やで!、、ちょっと勢い余って言いすぎたやつやん。みんな見てるやん。てゆか昨日も本社会議でごっちゃ言われるは、家帰ったら嫁にうだうだ言われるは、娘は口聞いてくれないわでイライラするわぁ〜。でもこんなストレートに部下にやつあたりすると会社の中の立場的に俺感じ悪いやつになるやん。ここはひとつ部下を思いやる熱い上司をスマートに演じきって一発かましたろやないけぇ〜どやさ私のイケてる理想の上司像〜あっまだみんな見てるやん羨望の眼差し集中やんやん。」
「お前のため」と本人に面と向かって言ってしまう人間に、「思いやり」があるひとはいません。
そもそも思いやりとは、相手の気持ちや状況をおもんばかる配慮のことなんです。
この特殊な配慮は、表面化した時点で本来の意味を成さなくなりますから。
「お前のため」と言うひとは、「100%自分の満足のため」に生きています。
親と子の立場、上司と部下の立場は、支配者と奴隷では決してありません。
誰の許可を得て、そんなえらそうな態度を取っているの?っていいたくなります。
利害関係の発生する人に対して配慮を意識した行動をすることはたやすいことです。
生き方を研ぎ澄ましてゆくためには、
自分よりも社会的な力の小さい相手や、部下や子、すれ違うだけの街の人など
利害関係が発生しにくい相手に対して、
やさしい言葉や態度で接してあげられるかが大切なんだと思うんです。
利害はひとまず置いておいて、
生まれた瞬間に祝福を受けて、愛されてきたであろうひとりひとりを大切にするよう意識すればいいと思うんです。
いい人になろうなんて思うのは大変。
だけど、少なくとも嫌なやつにはなるまいって思えば、
良い人生を歩めるんじゃないかって思うんです。
人にはやさしくしましょう。必ず自分にもやさしくなれますから。
「青汁で、ど〜ん」で首根っこつかんで怒鳴るようでは、親も未熟であるし、
こころに余裕がないのでしょうな。
「こいつ面白い単語のチョイスしてくるな」って、なればくすりと笑って和む結果になったかもしれないから。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6719128
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック