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2017年09月18日

科学的であることと、非科学的であることの境目ってどこにあるの?

世の中の仕組みを解明することが学問なんです。

正確に言えば、解明しなくったってよくて、読み解こうとする行動が学問なんです。

たとえばこんな感じで

世界の対象に名前をつけて世の中を認識し、秩序立てる学問が国語。
木にぶら下がってる赤いやつ〜あれ今日からりんごな!りんご!
てゆかりんごといちごの色って一緒だろ〜あれあかいな、今日から赤いな!

物に仮の名前をつけてその物が実際にここになくても虚して想像することで理屈こねこねする学問が算数。
りんごは1個でみかん5個と交換な。金も100歳〜銀も100歳〜

世界で起きる事象を分析して、法則性を読み取って標準化するのが物理学。
りんごを地面に落とした時の運動の様子って、あれ?数学のパターンと組み合わせて記号的に表現できるんじゃねえかな。それできるなら、これもいけるっしょ、、ふむふむ。

コミュニティの中で生きざるを得ない我々にとって物質的価値の決定原理や消費・生産行動をこねこねする学問が経済学。
うちはりんごは1個でみかん6個交換ね〜。なになに、お隣村はりんご不作かい?りんご1個でみかん10個になるのかい〜そりゃお隣村で店出そうかね〜

目に映るありのままを経験的に・時に意思をこめて表現するのが美(術)学で、
耳で聞こえる音を再現したり組み合わせたりするのが音楽で、、、

世の中を学問するアプローチって、ざっとあげるだけでもこんなにあるのです。

要するに、
学問とは勉強だけじゃない。
日常レベルに置き換えたなら、
人の気持ちを思いやることだって、相手の表情を読み取り、感情の背景を仮定し、過去の経験から次にすべき行動を統計的に決定する作業。
人の感情の変遷という社会の仕組みを立派に学問する作業です。


本題に戻すと、大小はあれ、
世の中の仕組みをどの角度から読み取ろうとするかという、手法の違いだけであって、
その基本中の基本こそが

《科学》なんです。

世の中を知るための手段として、最も重要視されているものが科学です。

そして科学的であることの度合いがすなわち説得力の強さとなって万人に共有されてきたわけです。
先進国はほとんどみんなそうですね。
だからこそ、合理的で目覚しい経済発展を遂げることができているわけなんです。

考えてみれば、時の首相が
「嫌な予感がするので、衆議院解散します。」とか
「天の知らせがあったので、我が国も核兵器を保有します。」なんてことになれば
世の中の秩序は崩壊してしまう。

そうして5代将軍 徳川綱吉による生類憐みの令に似たような事態になるやもしれません。
どうやら当時右腕的な立場にいた坊さん(隆光)が
「跡取りが欲しいならいきものを大切にせねばなりません。犬ポチは特に大切にせねばなりませんぞな。」
と入れ知恵したのがきっかけで、科学的根拠もないのにやっちまったというわけです。


それでは、どこからが科学的で、どこからが非科学的なのでしょうか。


今の感じでいくと、物理学や数学はもちろん科学的ですが、では医学はどうでしょう?
ほとんどの人は口を揃えて科学的だと言うでしょう。

、、、果たしてそうでしょうか??
考えれば、考えるほど少し前までくっきりとして見えた境目が徐々に曖昧になってゆくという不思議な世界をご案内します。


続きは次回
「世界の3大医学!西洋医学・東洋医学・アーユルヴェーダ(インド医学)の不思議」
posted by yuta88 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方
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