2016年07月05日
よしの69−4カトリック通信講座7「生きること・死ぬこと」
よしの69−4カトリック通信講座7「生きること・死ぬこと」
7老いること
現状変革へのヒント
―
http://www.ginza-church.com/bell/ito3_2.html
マタイによる福音書 20章1-16節
―
このたとえ話を社会観の問題として とらえるために、イエスが生きた1世紀のパレスチナ・ユダヤ人社会の背景についてみます。
―
当時、パレスチナ地方はローマ帝国とヘロデ家の統治下にあった。
―
重税による債務や建築事業の展開とそれによる農村の疲弊、大規模土地所有による自立農民の消失などにより、生活するための最低限の収入も確保できない状態の人びとが多くいた。
―
イエスはこのような貧しい状態におちいったガリラヤの民衆に語りかけた。
―
一日中働いた労働者に対しても仕事が終わる直前から働き始めた労働者に対しても同額の賃金を払う「主人」の行為を「神の国」では正しいとされる
―
というたとえ話は 当時の社会構造に対する痛烈な批判がふくまれていると考えられる。
―
労働時間問題
夜明けから日が沈むまでの外仕事はつかれすぎないか?
−
9時から5時までとか、もう少し短くて、体調を壊さないくらいなら、不満はでないのではないか、と思いました。
13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
―
友よ、と語りかけるなら、友の体調管理にも気を配ってほしいと思いました。
―
最後の
16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
―
と このお話は最初から最後まで鍵かっこ でくくられています。
このようにしか ならない ということでしょうか?
―
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A6
ブドウ(葡萄、英名 "Grape"、学名 Vitis spp.)は、ブドウ科 (Vitaceae) のつる性落葉低木である。また、その果実のこと。
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参考↓
http://www.ginza-church.com/bell/ito3_2.html
マタイによる福音書 20章1-16節
1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
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なぜだか
『100万回生きたねこ』を読みたくなり読みました。
7老いること
現状変革へのヒント
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http://www.ginza-church.com/bell/ito3_2.html
マタイによる福音書 20章1-16節
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このたとえ話を社会観の問題として とらえるために、イエスが生きた1世紀のパレスチナ・ユダヤ人社会の背景についてみます。
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当時、パレスチナ地方はローマ帝国とヘロデ家の統治下にあった。
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重税による債務や建築事業の展開とそれによる農村の疲弊、大規模土地所有による自立農民の消失などにより、生活するための最低限の収入も確保できない状態の人びとが多くいた。
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イエスはこのような貧しい状態におちいったガリラヤの民衆に語りかけた。
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一日中働いた労働者に対しても仕事が終わる直前から働き始めた労働者に対しても同額の賃金を払う「主人」の行為を「神の国」では正しいとされる
―
というたとえ話は 当時の社会構造に対する痛烈な批判がふくまれていると考えられる。
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労働時間問題
夜明けから日が沈むまでの外仕事はつかれすぎないか?
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9時から5時までとか、もう少し短くて、体調を壊さないくらいなら、不満はでないのではないか、と思いました。
13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
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友よ、と語りかけるなら、友の体調管理にも気を配ってほしいと思いました。
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最後の
16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
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と このお話は最初から最後まで鍵かっこ でくくられています。
このようにしか ならない ということでしょうか?
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A6
ブドウ(葡萄、英名 "Grape"、学名 Vitis spp.)は、ブドウ科 (Vitaceae) のつる性落葉低木である。また、その果実のこと。
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参考↓
http://www.ginza-church.com/bell/ito3_2.html
マタイによる福音書 20章1-16節
1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
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なぜだか
『100万回生きたねこ』を読みたくなり読みました。
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