2017年02月11日
よしの960飯塚の明光寺いってきました。
よしの960飯塚の明光寺いってきました。
きょうは ちょっと つかれたので さいばんしょは いかずに いいづかの じょうどしんしゅうの おてらに いってきました。
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JRの飯塚駅には カッパちゃんがいます。
―
↓浄土真宗 明光寺です。
―
↓ホームレスしえんの おにぎりの会に きてあった おぼうさまです。
ラッパーみたいでしょ。すみません シャッターチャンスが ずれて めが ほそくなっちゃいました。
―
↓みぎ が ろうそくで ひだりが おはなです。
これって いつからなのかなあ ずーっと むかしからで これからも かわらないのかなあと おもいました。
―
↓ハンセンびょうの おはなしなど あったようです。
―
ハンセン病って かずは へってるけど まだ かんせんするひと いるんですね。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85
ハンセン病 ウィキペディア
―
↓ごえん という さっしが おいてありまして なかなか よかったです。
http://komyouji.com/book/goen.html
わたしたちが であうのは ぐうぜんではなく あみださまの おみちびき
みんな つながっている のだそうです。
http://komyouji.com/book/goen6-10.html
6 によると
「共命の鳥」
どうたいは ひとつなのに あたまは ふたつ
いっぽうか゛ おいしい きのみをたべ もういっぽうが のこりもの
それを ふまんにおもっていて どくの はいったきのみを おいしいきのみがある と いうと いつも おいしい きのみを たべているほうが よこどりして たべて くるしみはじめたが もういっぽうも どうたいは いっしょなので くるしみはじめたのだそうです。
―
私たちは、この鳥を「愚かだ」といえるでしょうか。私と他人とのつながりを忘れ、「自分が」、「自分が」と我を張っています。私と他者とのつながりを忘れて、自分ばかりを主張するから、互いにぶつかり合うことになります。それを、仏教の言葉で「我他彼此(がたぴし)」というのです。
自分のことだけ主張すれば「ガタピシ」と不快な音を立てます。かといって、自己中心的なあり方から離れることが簡単にできるわけではありません。自己主張してガタピシと音を立てるのが私たちのありのままの姿であり、互いに主張し、話し合い、論争し、そうやってつくられていくのが私たちの社会です。
しかし、「ご縁」という見方があれば、共命の鳥のように、いのちを共にしているものであると知らされて、ただぶつかり合うだけの愚かさを知り、互いの意見を尊重し、許し合い支え合う「共に」の社会を作っていく思いが生まれてくるのではないでしょうか。
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いいづかえきの カッパちゃんです。
きょうは ちょっと つかれたので さいばんしょは いかずに いいづかの じょうどしんしゅうの おてらに いってきました。
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JRの飯塚駅には カッパちゃんがいます。
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↓浄土真宗 明光寺です。
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↓ホームレスしえんの おにぎりの会に きてあった おぼうさまです。
ラッパーみたいでしょ。すみません シャッターチャンスが ずれて めが ほそくなっちゃいました。
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↓みぎ が ろうそくで ひだりが おはなです。
これって いつからなのかなあ ずーっと むかしからで これからも かわらないのかなあと おもいました。
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↓ハンセンびょうの おはなしなど あったようです。
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ハンセン病って かずは へってるけど まだ かんせんするひと いるんですね。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85
ハンセン病 ウィキペディア
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↓ごえん という さっしが おいてありまして なかなか よかったです。
http://komyouji.com/book/goen.html
わたしたちが であうのは ぐうぜんではなく あみださまの おみちびき
みんな つながっている のだそうです。
http://komyouji.com/book/goen6-10.html
6 によると
「共命の鳥」
どうたいは ひとつなのに あたまは ふたつ
いっぽうか゛ おいしい きのみをたべ もういっぽうが のこりもの
それを ふまんにおもっていて どくの はいったきのみを おいしいきのみがある と いうと いつも おいしい きのみを たべているほうが よこどりして たべて くるしみはじめたが もういっぽうも どうたいは いっしょなので くるしみはじめたのだそうです。
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私たちは、この鳥を「愚かだ」といえるでしょうか。私と他人とのつながりを忘れ、「自分が」、「自分が」と我を張っています。私と他者とのつながりを忘れて、自分ばかりを主張するから、互いにぶつかり合うことになります。それを、仏教の言葉で「我他彼此(がたぴし)」というのです。
自分のことだけ主張すれば「ガタピシ」と不快な音を立てます。かといって、自己中心的なあり方から離れることが簡単にできるわけではありません。自己主張してガタピシと音を立てるのが私たちのありのままの姿であり、互いに主張し、話し合い、論争し、そうやってつくられていくのが私たちの社会です。
しかし、「ご縁」という見方があれば、共命の鳥のように、いのちを共にしているものであると知らされて、ただぶつかり合うだけの愚かさを知り、互いの意見を尊重し、許し合い支え合う「共に」の社会を作っていく思いが生まれてくるのではないでしょうか。
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いいづかえきの カッパちゃんです。
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