時は金なり という言葉がある。
たしかに、時間は金のように大切なのですが、金、それ自体には価値はほとんどありません。価値を権威付けているのは、国家、日銀であり、その後ろ盾がなければ皆の金に対する信用がなくなり、紙切れに過ぎないものに変わるでしょう。だから、堀江貴文さんの言葉を借りると、金は、信用の具現化したものと言える。
話を戻すが、私にとっては、Time is Money(時は金なり)という言葉よりも、Time is Life(時は命なり)という言葉の方がしっくりくる。人は誰しもいつかは死ぬ運命であり、限られた時間(命)はとても大事で大切にしなければならないから。そして、その限られた大切な時間の使い方で、その後の人生(Life)が決まってくるのである。ファミコン世代であれば想像しやすいと思うが残されたライフが時間とともに段々減っていくイメージである。
時間のことをそのように考えていくと、感応式ではない古いタイプの信号機は、車が来ていなくても時間が来るまで赤のままであり、無駄に人の命を削る大変罪深い装置である。1人の人の生まれてから死ぬまでの無意味に赤信号を待つ時間を合計するとどれほどになるのだろう。きっと24時間以上なはなるのではないか。それが1人ではなく生きているほぼ全ての人達の貴重なライフを奪っている。その時間の経済的損失を試算したら大変な金額になるのではないか。
もし、感応式ではない信号機を裁判にかけることができたなら私が裁判官なら死刑にする(笑)そのぐらい感応式ではない単なるタイマー式の信号機の罪は重いと私は思う。むしろ、タイマー式の信号機を現状のまま放置している政治家、公安委員会などの関係者にも責任がある。
少しずつでもいいいので全ての信号機を感応式に変えるべきである。
それによって貴重な時間が増え、ストレスも減り、経済効果も出てくるのだから。