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2018年05月02日

戦時中の朝鮮人の強制連行と強制労働はデマなのか?

 
 韓国の騒ぎは何だったの?

 今夜のニュースで、韓国で戦時中に日本へ強制連行され強制労働させられた人達を象徴する銅像の立ち退きを巡って、韓国警察と銅像建立を掲げる韓国民衆との間の小競り合いを報じて居た。日本の大使館や公館の近くの公道に像の建設は禁じられ警察が移動し撤去しようとする行為への抗議だった様だ。
 慰安婦問題と共に今尚残された日韓の歴史認識の相違であり、ナカナカ解決の糸口も無い。日本政府は、強制連行・強制労働の存在を否定し、給与未払いの問題では日韓条約に依って支払い済みだと主張。韓国では、個別の補償は民事訴訟で決着を着け様として居る立場の様だ。

 サテ、この「朝鮮人の強制連行による強制労働」の問題は、どの様なものだったのか? 先ずは、「肯定する」立場の人の話を参照しよう・・・


 参照 明らかにされた朝鮮人強制連行の真実、息を飲むその過酷な実態

 2010.07.06 岩垂 弘 (ジャーナリスト)

〔書評〕林えいだい著『《写真記録》筑豊・軍艦島――朝鮮人強制連行、その後』(弦書房、¥2000+税)


 今年は、日本による韓国併合から100年。朝鮮半島に対する日本の植民地支配は1910年から1945年迄の35年に及んだが、その間の植民地支配の一端を明らかにした写真記録が刊行された。
ノンフィクション作家、林えいだいさん(76歳)の『《写真記録》筑豊・軍艦島――朝鮮人強制連行、その後』である。日本人が知ら無い、或いは知ろうともしない朝鮮人強制連行の真実が、半世紀にわたる林さんの追跡取材で明らかにされている。 

 本書に依ると、1937年以降、日本は深刻な労働力不足に陥った。この年、日本は日中戦争に突入し、軍需産業部門が拡大する一方で、工場で働いて居た労働者が戦争で戦地に送られたからだ。取り分け、九州の産炭地・筑豊では炭鉱労働者が次々と軍隊に召集され、石炭企業は労働力不足に直面した。
 この結果、石炭生産量が極端に落ち込み、政府としても朝鮮半島からの労働者の移入を考えざるをえ無く為った。この為、政府は1939年、内務・厚生両次官通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」に依って各企業に朝鮮人労働者募集を認可、募集方式による労働者移入が始まった。
 太平洋戦争に為ると、労働力不足は益々深刻に為った。この為、政府は「朝鮮人労務者活用に関する方策」を決定し、それ迄の募集方式を改め、国家権力が直接朝鮮人労働者を“募集”する官斡旋方式にした。更に、戦況が末期的な段階に為った1944年には、労働力の充足がより切実な緊急課題と為り、遂に国民徴用令に依って朝鮮人を日本に連行した。

 本書の中で林さんは書く。「最大の問題点は、建て前としては募集方式であっても、現実には強制であったと云う事である」林さんは朝鮮から連行されて来た人達から集めた証言を紹介して居るが、それに依ると、日本に送る朝鮮人労働者に付いては朝鮮総督府から道庁に割り当てがあり、面(村に相当)の募集担当者と日本人巡査が供出リストを作った。

 「例え募集方式であろうと、面事務所と面駐在所の巡査の二人がリストアップした事は、そこに権力が介入した事に為る。既に募集では無く、飽く迄強制と為る。該当者の中には、日本行きを逃れる為に山奥に潜んだ。夜に為ると降りて来て畑仕事をし、夜が明ける頃には再び山へと帰る者が居たが、しかし、何時までも逃れる事は出来ず、駐在所の巡査に捕まり強制連行された」

 林さんがソウルで知り合った朝鮮人は、太平洋戦争中、郡守として労働者の徴用に当たった。その人が林さんに話した処に依ると、徴用は朝鮮総督府から道庁に割り当てがあり、それを郡守に命令した。それを郡守は管轄の面に割り当てるが、山岳地帯が多い為に集めるには限度があり、その郡守は徴発隊を組織すると、全員に竹槍を持たせて出動した。行き成り民家を襲い、働けそうな男達を全員トラックに積んで帰り、炭鉱から来た労務係に引き渡した、と云う。
 朝鮮人の殆どは、炭鉱で働く事を知らされずに日本に連行された。そして、入山した翌日に坑内見学をして、2、3日休ませると直ぐ入坑させて採炭と云う無謀な事が行われた。

 地下の深い所で石炭を採掘する作業は常に危険に晒されて居る。天井からの落盤、側壁の崩壊、ガス爆発、炭塵爆発、断層からの出水、炭車の暴走など、突然の事故に依って大勢の生命が失われた。「坑内で最も危険な場所で、しかも生産量の上がら無い切羽を、朝鮮人坑夫に採炭させた。当然の様に朝鮮人の死亡事故も多く為る」と本書は書く。しかも、朝鮮人炭鉱労働者の賃金は日本人の約半分だった。本書は、更に続ける。

 「坑内での過酷な労働。体力回復の為の休養と必要な食糧が十分与えられず不満が鬱(うっ)積した。二年満期で帰国させると約束しても、その保障は一切無い。絶望的な状況の中で朝鮮人坑夫達が考える事は、炭坑から逃走する事であった」

 林さんに依れば、1939年から40年に掛けての時期、福岡県内には250以上の炭鉱があって、その中心であった筑豊地方では15万人の朝鮮人が強制連行されて居た事を田川警察署の特高主任と飯塚警察署の特高主任が証言して居る。

 「移入者数に対する逃走者の割合は福岡県全体では、51.7パーセントに達して居る。強制連行した朝鮮人の内、半数以上が逃走した現実は、それ自体が強制であった事の証明である。死亡者数は711人、不良坑夫の強制送還者数も1824人と非常に多い事に注目したい。単なる募集であれば、半数以上が逃走する事は考えられ無い。更に労働条件と待遇が最悪であった事の証しである」と林さん。

 此処では、最も過酷な炭鉱労働が行われて居た例として、軍艦島の当時の状況が紹介されて居る。軍艦島は長崎港外15キロにあった海底炭鉱・端島(はしま)炭鉱だった。採炭の為に造られた南北480メートル、東西160メートル、海抜45メートルの人工島だ。島を高さ10メートルの防波堤が囲み、東シナ海の荒波が叩き着ける。島の形が軍艦に似て居る処から、「軍艦島」と呼ばれた。切羽は深い所で坑口から1キロ以上もあった。
 本書に依れば、採炭最盛期の1945年には約5300人に上る炭鉱労働者が居て、島から溢れそうだった。内朝鮮人は強制連行者を入れて約500〜600人。他に自由渡航で遣って来た所帯持ちが約80人働いて居た。中国人も捕虜ら204人が働かされて居たと云う。
 そして「日本人坑夫の多くは、深部の急斜面の採炭現場は如何しても生産量が落ち、落盤の危険があるので敬遠した。結局、危険な場所には、朝鮮人と中国人が投入されたと云う」。
 過酷な労働に耐えかねて、島からの逃走を試み、溺死した朝鮮人も居た。警察は監視を兼ねて野母半島(長崎半島)に警官を配置。警官は島抜けした者を見つけると逮捕した。林さんに依れば「死を覚悟して続々と逃走しようとする坑夫達を見た野母半島の人達は『端島は監獄島』と呼ぶ様に為った」
 
 端島炭鉱は1974年に閉山。今、廃墟に為った軍艦島を世界遺産にしようと云う運動が長崎市で起こって居る。朝鮮半島から日本に連れて来られた人達は、炭鉱ばかりで無く、鉱山、ダム建設工事、軍事施設等で働かされた。その数は全体で何人位だったろうか。林さんは本書の末尾で、日本政府の資料を紹介して居る。それによると・・・

バツ1 公安調査庁               724,787人
バツ1 厚生省勤労局              661,684人
バツ1 第86回帝国議会説明資料(朝鮮総督府)   724,875人
バツ1 厚生省労務局      667,684人
バツ1 朝鮮経済統計要覧資料   1,119,032人
バツ1
 
  政府資料に依ってもかなりの開きがある。何とも杜撰な統計だが、何れにしても110万から66万に上る朝鮮人が強制的に連行されて来た事が分かる。その多さに改めて驚く。その上、何とも遣り切れ無い思いに駆られるのは、この人達の帰国時の状況だ。 日本敗戦により、日本政府は強制連行した朝鮮人の徴用解除を決定した。が、日本政府による配船の不足、毎日全国から集まる朝鮮人の受け入れ態勢の不備から、博多港の埠頭は大混乱に陥った。
 朝鮮人達は持てるだけの荷物を持って船待ちをした。待ち切れ無い人達は、闇船をチャーターして帰国しようとした。定員以上乗った闇船の中には、台風や嵐に遭って沈没した船もあった。船待ちの間に所持金を使い果たし、帰国を諦めた人も居た。

 本書の中で強制連行の経験を証言する朝鮮人は、何れも本名で登場する。しかも、写真着きである。その写真は何れも林さん自身が撮影したものだ。詰り、本書は、林さんが連行されて来た人達から直に話を聞いてその実態を明らかにした記録で、伝聞に基づく記録では無い。従って、その証言は生々しく、説得力を持つ。
 林さんは筑豊生まれだが、父の寅治さんは神主だった。炭鉱から脱走した朝鮮人を多数匿った事から、1943年に逮捕され、特高警察による拷問を受け、その傷が元で釈放1カ月後に死亡した。48歳だった。 林さんの半世紀に及ぶ朝鮮人強制連行取材の原点には、こうした父の死がある。

 本書を読み終わった時、この5月にジャーナリスト訪問団の一員として北朝鮮を訪れた折にこの国の外務省幹部が私達に語った言葉を思い出した。それは「今年は、我が国が日本に占領され、植民地にされてから100年に為るが、未だにこの罪業が清算されて居ない」と云うものだった。朝鮮人強制連行問題は今尚解決されて居ない。そう思わずには居られ無い。

 弦書房:福岡市中央区大名2−2−43 ELK大名ビル301 電話092-726-9885

 以上 参照 おわり


 勝手に引用しました、ありがとう御座います。次回は、これに反証する人達のご意見を紹介します・・・

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