2018年05月02日
恥ずかしく無い国に・・・
徴用工像問題 その2
朝鮮人の強制連行・強制労働の問題を否定するレポートを随分と調べ上げました。が、どの反論する文章にも具体的資料が無く、間接的な言い回しや、そうあるべきだとする希望的推測のみで、参考と為るべく有力な指摘も数少無いのに驚いて居ます。
問題の根本は、戦争を遂行する労働力を確保する為に国内に総動員を掛け、次に当時植民地であった朝鮮・台湾へと広げざるを得無かった政府が関わったにも関わらず、そこへ強制性が加わった事で一遍に消極的な資料しか出せ無く為ったしまった・・・国家としての品性を問われるからでしょう。
と云う事で、全く奥歯にものが挟まった感じのレポートしか存在しませんでした。現在までの政府見解をトレースしその裏付けを強化出来る様なものは一切ありませんでした。そこで、今回否定する方の参考を取り辞め、又や肯定する方のレポートを一緒に見て行き結論を出したいと(遅過ぎるとは思いますが)。次へと進むには避けて通れ無い問題だと思います。
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『データで見る植民地朝鮮史』
朝鮮人労務者強制連行
〜生き証人が至る所に健在だった時分は決して語られ無かった「強制連行は無かった」説。数字と一次資料でハッキリさせて置きましょう〜
まとめ
@ 1939〜45年に掛けて、国家総動員法に基づく国民動員計画により、約72万人の朝鮮人労務者が日本本土等に送られた
A 最初の年だけは応募好調だったが、現地待遇の悪さが知れ渡る等して、強制無しに計画人数を動員する事が出来無く為った
B 強制動員の方法は夜襲・誘い出し等、誘拐と言える手段も用いられ、文字通りの強制連行であり様々な抵抗もあった
C 動員先は大半が炭鉱や土木工事現場で、劣悪な条件の所が多く、給料も満足に受け取れ無い事が多々あった
●当時の日本政府自身が強制と認めて居る
・先ずは実行当局の責任者の話
『国民動員計画に基く内地その他の地域に対する産業要員及び軍要員の送出又激増を来し、今日尚相当弾力性を有する半島の人力が我が国戦力増強上最大の鍵と為って居るのであります。(中略)
官庁斡旋労務供出の実情を検討するに、労務に応ずべき者の志望の有無を無視して漫然(まんぜん)と下部行政機関に供出数を割当て、下部行政機関も又概して強制供出を敢てし、かくして労働能率低下を招来しつつある欠陥は断じて是正せねば為りません』
これは1944年4月13日付の朝鮮総督府官報に載った政務総監(総督の次席に当たる高官)田中武雄の訓示。同時掲載の小磯総督訓示は行政機関が民を苦しめて居ると云う趣旨の厳しいお説教でした。事態は総督府トップが民草の眼前で組織を強く諌め無くては為ら無い程切羽詰った事態だったと。何れにしても、国民動員計画に係る官庁斡旋労務供出、所謂官斡旋は「概して強制供出」だった事が判る。
そして、訓示の3ヶ月後に朝鮮に派遣された内務省管理局嘱託の小暮泰用氏は、1944年7月31日の復命書(出張報告)にこう書いて居る。
『戦争に勝つ為にはかくの如き多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地に送り出さ無ければ為ら無い今日である、然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務舎の残留家庭の実情は果たして如何であらうか(中略)蓋(けだ)し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的略奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさる事乍ら、送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である』
『徴用は別としてその他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である。それはもし事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多く為るのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物も無かった事から生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まる事は往々にして彼等の身心を破壊する事のみならず残留家族の生活困難ないし破滅が屡々あったからである』
ここで更に、強制連行は全て当時の国民徴用令に依る「国民の義務」だったと云う見解も明快に否定される。ソモソモ強制連行は法的な徴用が実施される前から既に行われて居た。そして、この復命書が出され、追って徴用による動員が始まった直後の9月に開かれた第85回帝国議会への説明資料で、朝鮮総督府は「警察に於ける濃厚なる指導取締の裏付を為すにあらざれば所期の動員至難」と述べ、暴力装置の助けを借りた動員を継続する旨表明して居る。この様に、存在証明に充分な一次資料が残されて居る。ここではそれを、具体的数字を見ながら追って行きます。
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●何人、如何やって何処に送られたのか?
一連の動員は、国家総動員法に基づく国民動員計画に依って実施された(初期の名称は「労務動員計画」)。労働期間は当初、2年間を原則として居た。
上図はこの動員数に付いて、日本政府の内部文書に記載された数字。これ以外の動員として朝鮮域内の動員等があるが、所謂「朝鮮人強制連行」と言えば域外への労務者動員を指します。1943年度までの数字は、朝鮮総督府が第86回帝国議会(1944年12月〜翌3月)向けに作成した説明資料に記載の、「昭和十四年以降国民動員計画ニ基キ内地、樺太南洋ニ送出シタル状況」の数字です。
1944〜45年度は、大蔵省が1947年に非公表で取り纏めた「日本人の海外活動に関する歴史的調査」と云う文書が情報源です。
延べ72万人強が朝鮮から外に労務動員された。これとは別に、軍属など軍要員に動員された人も145,010人居る。朝鮮内での動員も官斡旋422,397人、道内動員延べ200万人超、他徴用等様々な形でありました(大蔵省、前掲、第10冊P71-72)。
送られた先を業種別で見ると下のグラフの様に為る。「工場その他」分が上積みされた1944年を除き、炭鉱、建設現場が圧倒的多数を占める。
★最初は募集の建前
最初の年(1939年)は朝鮮で旱魃(かんばつ)があり、応募が好調だったとされて居るが、翌年から早くも強制連行の事例が出て来ます。『朝鮮の鉱山に「斡旋」で遣って来た労働者の1940年中の「離散」の理由を調査した朝鮮総督府は、10.9%が強制募集と推定される事を認めて居た』 (外村大「朝鮮人強制連行」2012年、P77)。
この初期の遣り方は、事業者が職業紹介所を通じて募集を申請し朝鮮総督府の承認を得て自ら募集し職場まで連れて行くと云う建前だが、現地行政機関・警察が屡々(しばしば)協力した。この時期既に官憲の深い関与と強制色があった事を示す、受け入れ企業側のこんな文書が残って居る。
一、募集実務
・・・従って募集は募集取締規則に基く各社の募集者による募集と言う事に為って居るが、実務は前記事由により朝鮮官権に依って各道各郡各面に於て強制供出する手筈に為って居る 即ち警察に於て割当数を必ず集める 之を各社の募集従事者が詮衡する事に為って居る
一、供出半島人に就て
所轄警察署に於て思想堅実身元確実 身体強健にして成るべく国語を解する者を供出する
住友鉱業鞄熾博送ソ「半島人移入雇傭ニ関スル件」1939.9.22 朴慶植『戦時強制連行・労務管理政策(1)』1982年収録 P298-299より
★1年半で官斡旋に移行
1942年2月には「朝鮮人内地移入斡旋要綱」が出されます。所謂官斡旋の始まりで、これには 「職業紹介所及び府邑面は常に管内の労働事情の推移に留意精通し供出可能労務の所在及供出時期の緩急を考慮し、警察官憲・朝鮮労務協会・国民総力団体其の他関係機関と密接なる連絡を持し労務補導員と協力の上割当労務者の選定を了するものとする」と規定されました(外村、前掲書、P113:太字は引用者)。
職業紹介所は数が少なかったので、実行部隊は末端行政機関の府邑面(日本で言えば市町村)でした。割当人数分の応募が無ければ、村役場が選定せざるを得無い事に為り行政機関の関与が公的に明確に為る。この時期の官斡旋の実態が、当局の担当者によって語られて居る。東洋経済新報社が1943年11月に行った座談会で朝鮮総督府厚生局労務課の田原実が述べた発言を上述の外村氏著書が紹介して居るので、P144から引用します。(太字は引用者)
「この官斡旋の仕方ですが、朝鮮の職業紹介所は各道に一ヶ所位しか無く組織も陣容も極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府・郡・島を第一線機関として労務者の取りまとめを遣って居ます。が、この取りまとめが非常に窮屈なので仕方無く半強制的に遣って居ます。
その為輸送途中に逃げたり、折角山〔鉱山〕に伴れて行っても逃走したり、或いは紛議を起す等と云う事例が非常に多く為って困ります。しかし、それかと云って徴用も今直ぐには出来無い事情にありますので、半強制的な供出は今後も強化して行かなければ為るまいと思って居ます」
冒頭に引用した「夜襲・誘出・その他各種の方策を講じて人質的略奪拉致」を「半」強制的と表現してますが、公開刊行物への掲載を考慮して表現を割り引いての発言でしょう。何れにせよ、募集に非常に難儀して居た事、強制的供出が常態化して居た事を少なくとも半分は公然と認めて居た。
この座談会の半年後に出たのが冒頭に紹介した「概して強制供出」の訓示で、「全く拉致同様の状態」の復命書が続きます。「出稼ぎに応募しただけ」と云う論外のデマであるかは充分に証明して居る。
★末期に為って徴用
国民徴用令に基づく徴用が労務者動員に適用されたのは1944年8月。徴用ですから必然的に強制に為るが、如何云う状況だったか、これも朝鮮総督府自身に語って貰います。1944年8月の第85回帝国議会に出された説明資料から引用します。戦前の例に洩れず文を区切ら無い読点も打た無い書き方で非常に読み辛いので、適宜整形して居ます。太字は引用者。
「最近一般徴用実施せられる旨発表せらるるや、一部知識階層並びに有産階級中には逸早く支那満州国方面に逃晦(とうかい)し、或いは住居を転々として当局の住居調査を至難為らしめ、或いは急遽徴用除外部門への就職を企て、一般階層に於ても医師を篭絡(ろうらく)、仮病入院し、又態々花柳病に羅染し疾患の故を以て免れんと企て、中には自己に於て肢体を傷け不具者と為り忌避せんとする者、
甚だしきに至りては、労務動員は邑面職員乃至警察官の専恣に因るものと曲断し、これを怨み、暴行脅迫の挙に出づる等の事案は実に枚挙に遑(いとま)無く、最近報告に接せる事犯のみにても二十数件を算する状況に在り
殊に先般忠清南道に発表せる送出督励に赴きたる警察官を殺害せる事犯の如きは克(かつ)く這間の動向を物語るものにて、特に最近注目すべきは、集団忌避ないし暴行行為にして慶尚北道慶山警察署に於て検挙せる不穏企図事件の如きは、徴用忌避の為、青壮年27名が決心隊なる団体を結成し、食料、竹槍、鎌などの武器を携行、山頂に立て籠もり、飽く迄目的貫徹を企図し居たるものにして先鋭化せる労働階層の動向の一端を窮知し得らるる所なり
如上の如き情況下に於ける今次の緊急大動員は、実に容易為らざる事に属し、此の際、警察に於ける濃厚なる指導取締の裏付を為すにあらざれば所期の動員至難なるのみならず、治安上に及ぼす影響また甚大なるものあるに鑑み、指導啓蒙を更に強化実施すると共に、労務動員を阻害するが如き事案に対しては、厳重取締為しつつあり」
この引用箇所は、徴用が強く拒絶されて居た事、「警察に於ける濃厚なる指導取締の裏付を為すにあらざれば所期の動員至難」である状況が判る。徴用は議論の余地無く強制。「国民の義務だったに過ぎ無い」等と吹聴する向きを見掛けるが、植民地化故に発生した「義務」ならそれは植民地化による被害なので何の弁解にも為って無い。日本の植民地にされ無ければ、この様な強制は受け無かったから。
●劣悪な待遇、給料の天引きに強制貯金
・特高月報に見る、強制連行された朝鮮人労務者の実情(1943-44年)
初年度は応募好調と言われた労務者動員が、何でアッと云う間に強制連行し無いと人手を確保出来無い事態に転落したのか?給料の支払が良く労働条件も宿舎も真面で、約束の2年経てば故郷に錦を飾れる様な話だったら、好評が好評を呼んで「半強制的な供出は今後もなほ強化」する必要など無い。
・当初からトラブル多発
動員先の企業によって待遇は様々だった筈なので、一律にこうだったと言う事は出来無いが、当初からトラブルの多かった事を示唆する数字はある。
『労務動員されて来た朝鮮人を受入れた事業場では労働争議や或いは「内鮮人争闘事件」と官憲が呼んだ日本人と朝鮮人の衝突事件が多発した。両者を「紛争議」として調査して居た特高警察によれば、その件数と参加人員数は1939年から1940年末までに於いて338件、23.338人を数える。参加人数は1940年末時点の「移入朝鮮人労働者」数の26.3%、詰り四人に一人が紛争議に関わって居た事に為る。
紛争議の原因は、@募集時の労働条件と実際の労働条件との相違A言語習慣の違いによる誤解B坑内作業を危険視しての忌避C安全対策や福利施設の設備要求等であると特高警察は纏めている。』(外村、前掲書、P65)
炭鉱の安全対策と言えば戦後頻発した炭鉱事故を思い出すが、動員2年目で早くも4人に1人以上が警察の記録に残るトラブルに至らざるを得無かった事は、自発的応募者ですら受忍出来無い労働環境が低く無い確率で当初から待ち受けて居た事を示して居る。
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・給与は天引きに強制預金、手に入ら無いケースも
冒頭でご紹介した内務省嘱託・小暮泰用氏の復命書に挙げられて居る事例を。太字は引用者。
「大邱府の斡旋に係る山口県下沖宇部炭鉱労務者967人に就て調査して見ると、一人平均月76円26銭の内、稼働先の諸支出月平均62円58銭を控除し、残額13円68銭が毎月一人当りの純収入にして、謂はば之が家族の生活費用に充てらるべきものである。
給料の内実に82%が何だかんだで天引きされ、18%しか手許に残ら無いと云うのです。斯の如く一人当りの月収入は極めて僅少にして、何人も現下の如き物価高の時に之にて残留家族が生活出来るとは考へられ無い事実であり、更に次の様なことに依って一層激化されるのである。
(イ)右の純収入の中から若干労務者自身の私的支出があること
(ロ)内地に於ける稼先地元の貯蓄目標達成と逃亡防止策としての、貯金の半強制的実施及び払出の事実上の禁止等があって、到底右金額の送金は不可能であること
(ハ)平均額が右の通りであって個別的には多寡の凹凸があり、中には病気等の為赤字収入の者もあること、而も収入の多い者と言えども其れは問題に為ら無い程の極めて僅少な送金額であること
以上の如く彼等としては、此の労務送出は家計収入の停止と為るのであり、況や作業中不具廃疾と為りて帰還せる場合に於ては、其の家庭に取っては更に一家の破滅とも為るのである。
斯して送出後の家計は如何なる形に於ても補はれ無い場合が多い、以上を要するに、送出は彼等家計収入の停止と為り、作業契約期間の更新等に依り長期に亘る時は破滅を招来する者が極めて多いのである、音信不通、突然なる死因不明の死亡電報等に至てはその家族に対して言う言葉を知ら無い程気の毒な状態である、然し彼等残留家族は家計と生活に苦しみ乍ら一日も早く帰還する事を待ち倦んで居る状態である。
軍方面の徴用者の中には克く家庭との通信、送金等があって残留家族にありても比較的安心し生活上にも左程不便を感ぜざるも、特に一般炭鉱並びに其の他会社等の関係に在りては右の如く送出後殆ど音信を絶ち、尚家庭より通信するも返信無く、半年乃至一年を経るも仕送金無きものもありて、其の残留家族、特に老父母や病妻等は生不如死の如き悲惨な状態であるのみ為らず、其の安否すら案じつつ不安感を有する者極めて多く、此の如きは当事者の家庭現状にのみ限らず今後朝鮮から労務者送出上大なる影響を与へるものとして憂慮に堪へ無いのである」
「法に基づく徴用だと国民徴用扶助規則に依って留守家族への援助も制度上あった様だが、徴用為らぬ強制連行ではその対象にも為りません。之等の事情に対する異論もある様で、即ち労務援護や労務協会の事や残留家族殊に婦人の積極的活動に依る収入の確保等があるでは無いかと、然し朝鮮の労務援護に就て云へば、左の如き二つの方法があるであろう、
其の一つは隣保相助を、之れも朝鮮の農民と労働者の大衆は未だ斯る良風美俗の実践者たる為には余りにも貧困過ぎる現状であり、其の二は労務協会の援護だが、之れも労務者一人当り5円を財源とする本会の実情は之の予算も現実的には宴会其の他の費用に充てられて居る現状である」
遅まきながら1944年9月には財団法人朝鮮勤労動員援護会が発足、官斡旋労務者を含め困窮する留守家庭を援護する事に。
「空襲に伴う通信の不円滑又は援護機関の末端不整頓の為、送金極めて円滑を欠き、政府に対する更に新しき不信の声となつて遂に終戦と夏田。」(大蔵省管理局編『日本人の海外活動に関する歴史的調査 第10冊』 P73)
「援護施策の不徹底と云う結果には、受給資格を有する者を含めてその制度が好く知られて居なかった事が関係した。…朝鮮に残って居たのは女性や老人であり、申請書類の作成の能力を持た無いケースが寧ろ多かった。…そして申請を行ったとしても受給決定迄には可成りの時間を要した…朝鮮勤労動員援護会会員、詰り動員された朝鮮人を雇用する企業側のサボタージュの問題もあった。…日本内地の企業からの補給の送金も、1945年3月末時点で予定額の10%程度に留まって居たと言われて居た」(外村、前掲書、P193-195)
と云う有様で、民草を救うに至りません。
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・その他、監獄部屋、暴行、飯が碌に出無い……
約束通りの真っ当な待遇をした企業も探せば在るかも知れ無いが、『動員された朝鮮人の証言でより多く語られるのは、矢張り暴力を伴う抑圧的な管理、労働するには十分とは言え無い食事、長時間労働の強要等である』(外村、前掲書、P159)。慰問演芸会を催す炭鉱もあった様だがそれ位は刑務所でもある。娯楽を提供する炭鉱は暴力や酷使が無いと云う事には為ら無い。
一方、上に挙げた話を素直に受け止めるなら、足った1年で強制連行が出始め、その後加速した事の説明が成り立つ。朝鮮人労務者が高待遇だったと言い張る向きが居るが、もう少し突っ込んでみよう。高待遇論者は例えばこんな感じ。「炭鉱現場、待遇の差無し」「徴用」記憶遺産、韓国は事実に基づく主張を 九州大・三輪教授 産経WEST 2015.9.30
行き成り《「町を歩いて居る者、田圃(たんぼ)で仕事をして居る者等手当たり次第、そのままトラックに乗せて日本に連れて来た」等と、徴用を担当したと云う労務係の証言を伝聞として掲載し「強制連行」のイメージを作った》と始まるが、上に見た通り総督府の政務総監など当局上層部も募集側人事担当も揃って、官斡旋の段階で既に「概して強制」「半強制」だったと認めて居る。
「韓国側は強制的に連れて行かれたと主張しますが、自ら日本に来た人も多い。何とも可笑しな話です」等と話がジャンプして居るのは、勉強不足で無ければ故意に無視して居る。(自己希望で来日した事実を誰も否定して居ない)
「(労働の)期間を定めて居る事自体、奴隷の様な強制連行では無かった事を示して居ます」と珍説を披露してるが、期間さえ定めれば強制連行で無いなら、それこそ強制連行でも奴隷労働でも「期間を定めて」遣り放題。と云う訳で、この記事こんな事も言って居る。
「財団法人労働科学研究所の『半島労務者勤労状況に関する調査報告』によれば、19年頃の九州での炭鉱の賃金は1日4〜8円。各種手当が付いて月収は150円、多い人で300円を稼ぐ人も居ました。大卒事務系の初任給は75円程度です。石炭採掘は確かに危険を伴い命を落とした人も多い。その分、厚遇されたのも事実です」
「赤池炭鉱(福岡県福智町)の採炭労働者1人当たりの平均日給は、内地人4・65円に対し、朝鮮半島出身者は4・64円でした」と言って居るから、朝鮮人鉱夫は 150÷4.64=月平均32.33日働いたと言って居る様で支離滅裂だが、一応確認しましょう。
産経記事が根拠にして居る労働科学研究所「半島労務者勤労状況に関する調査報告」(1943年5月)の記述がこれです。この他、平均値(朝鮮人)として炭鉱Aは月収69.9円、炭鉱Fは日給3.373円とある。炭鉱Dは異常値(収入が支出より大幅に低く、明らかに矛盾)で、何かありそうだが留保するとしても、平均で月150円行く様な水準で無かった事位は判る。内務省報告書にある宇部炭鉱の平均月76円26銭とも辻褄が合う水準。 この報告書には、支出に関するデータも載っている。収入を併せてデータが揃っている3つの炭鉱に付きグラフにしたのが下図。
寄宿舎費用の殆どを占めるのが食費で、何処も一日45〜-50銭前後で大きくは違いません。後は送金と貯蓄に回って居る。炭鉱Aは支出が収入を上回って居るが、春窮(はるきゅう)で実家が苦しい時分に手持ち現金からの送金額が大きく為ったなら有り得無い数字ではありません。
この内、送金は届か無かった例が少なからずあるのは内務省報告書にもある通り。大蔵省管理局が言う「送金が極めて不円滑」な状況も影響して居た事でしょう。又貯金に付いてもこれ迄見た通り、足止めの為に強制的に貯金させ、引出しを抑圧した挙句、戦後不払いと為り今に至るケースが多々指摘されて居る。
労働省が1950年に「帰国朝鮮人労働者に対する未払賃金債務等に関する調査」を全国的に行って居り、この結果として供託済み未払い賃金458万円、その他未払い金9.674万円、郵便貯金945万円等が把握されて居る(田中宏他『未解決の戦後補償』 2012年、P176-179。因みに現在の貨幣価値に直すと、後ろにゼロが幾つか付きます)。
更に、坑内保安、死傷者の発生状況及びこれへの手当て等、金銭為らざる待遇も併せて見るべきである事は勿論、そもそも待遇さえ弾めば強制連行して好いのかと云う根源の問題も忘れては為りません。
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●逃走と防止システム
動員されて来日した朝鮮人労務者は全員「協和会」と云う統制団体に入会させられました。中央協和会は1939年6月、厚生省管轄の財団法人として設立され、沖縄を除く各道府県(東京府が都に為るのは1943年)と樺太庁に下部組織が設置されて居る。
道府県の協和会は知事を会長とし、その下に警察管区毎の支会が置かれ警察署長を支会長として、特高警察のメンバーが幹事に加わって居た(協和事業年鑑(1941年版) P26「協和事業機構」の図参照)。
この団体に入ると協和会手帳が発給される。写真欄の左ページには職業欄があり、逃亡しても手帳を見られれば逃亡元が判り摘発出来る仕組み。更に企業に依っては「住宅の廻りに歩哨みたいなものを立てたり、場合によっては鉄条網を張つて非常に厳重な管理を致します」(日産懇話会本部『時局下に於ける労務問題座談会』1941年。引用元は外村、前掲書、P64)
と云う具合に、監禁では無いのかと思える具体例も残って居る。「嫌なら辞めて帰れば良かった」様な生易しいものでは無かったのです。しかしそれでも脱走者は多く、警察による1943年末時点の「現在調べ」では動員された朝鮮人「移入者」366,464人中逃走者が118,735人で、実に32.4%が逃走して居た計算に為る(外村、前掲書、P158)。
●世界遺産・端島の強制連行
ユネスコの世界遺産に長崎県の旧炭鉱・端島(所謂軍艦島)等の炭鉱施設を登録するに当たり、これら炭鉱に強制連行された朝鮮人労働者等に関する記述で韓国との交渉が難航し、「forced to work」の表現で妥結して居る。
処が安倍政権は「強制労働を意味するものでは全く無い」(菅官房長官記者会見・7月6日) 「我が国として,強制労働があったと認めるものでは無く,これ迄の日本政府の認識を述べたものであります」(岸田外務大臣記者会見・7月7日) 等と発表。
端島は三菱高島炭鉱の一部で、高島は長崎市中心部から十数キロ、端島はそこから更に数キロを隔てた島。1941年の出炭量は高島坑37万トン、端島坑41万トン(『竹内康人『調査・朝鮮人強制労働@ (炭鉱編)』P267)で、炭鉱の規模として高島と端島は当時拮抗して居た。このヤマも又強制連行、強制労働の場であった事は資料でハッキリ証明されて居る。
[1] 内部資料
石炭統制会、と云う当時の業界団体(炭鉱は全部強制加入)の内部資料が出版されて居る。
高島炭鉱への朝鮮人の在籍が明確に記録されて居る。死傷者数と死傷率の計算が合いませんが、少ない方に合わせて死傷者合計191人、合計死傷率12.7%として整合させても全国平均12.0%よりやや高め。これだけ死傷率が高い事から、客観的に劣悪な環境であった事はほぼ間違い無いが、国内の他炭鉱と比べても決して良い方で無かった。
それなのに、他の炭鉱が軒並み逃走者を出して居る中で高島炭鉱は逃走者ゼロ。高島も端島も離島なので自明とは言え逃走が非常に困難であった事が改めて確認出来る。
又、竹内・前掲書P270 に依れば、厚生省は1942年8月(詰り官斡旋が始まった後)以降に高島炭鉱に入山し1945年8月15日現在在籍した朝鮮人労務者に付いて「厚生省勤労局報告書長崎県分高島炭鉱名簿」を作成して居る。
この名簿から当該労務者は1,299名居た事が判って居る。官斡旋開始以降の入山なので、総督府訓示の表現を借りれば全員が「概して強制供出」で連れて来られた人達と云う事に為る。無理やり連れて来られた人が海の孤島に配属され、公然かつ平穏に脱出出来たと考えるのは無理で、端島が「監獄島」 だったとする数多くの証言を裏打ちする客観史料と捉えるべきだろう。
[2] 証言
『調査・朝鮮人強制労働@ (炭鉱編)』は炭鉱毎にデータ、証言や解説を収録して居り、端島に付いては要旨次の様な証言が掲載されて居る。
労務者名・ 連行時期・ 配属・ 証言内容・ 掲載頁
・李任逑 1939年 端島 一日の賃金が5円、食事は白米と言った甘言に依る連行であり、新参者は1円50銭だった。1940年7月に炭車事故により下敷きと為り死亡 274
・尹椿基 1943年 端島 賃金の3分の1は強制貯金、3分の1は故郷への送金とされたが、帰国してみると全く送金されて居なかった。食事はさつまいもや外米飯と汁、イモを覗くと飯はスプーン3杯程度。1日3交替で働かされ、1日のノルマはトロッコ10台以上。同じ村の李は餓死、それを知らせる手紙を書くと端島の派出所へと拘留された。 276
・崔璋燮 1943年 端島 青年訓練の最中に捕らえられて益山の郡庁に連れて行かれた。益山から端島に連行され、9階の建物の地下1階に入れられた。逃走して捕まった者はゴムのチューブで皮膚が剥げるほど叩かれ、拷問された。「将に収容所の様な場所」「人間の地獄がここだナアと思った」 276-277
・徐正雨 1944年? 端島 連行された人々は端島の端の「2階と4階」の建物に収容された。人々は腕立て伏せの体罰やケーブル線による殴打などの暴力的脅迫によって入坑させられた。数ヶ月後に三菱長崎造船所へと転送され、被爆した。 277
出典:竹内康人『調査・朝鮮人強制労働@炭鉱編』 社会評論社、2013年
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女優・松坂慶子氏の父親・韓英明氏も1938年、強制連行とは別枠だが端島の属する高島炭鉱に日本人名で応募し日本人飯場に入って居る。8時間労働・日給4円の筈が、親方から「10銭」「20銭」等と書いた紙切れを貰っただけで、逆らえば殴られ逃げればリンチと云う環境で、仲間3人で丸太に掴まり泳いで逃げたと言う(同書、P264-265)。被害者の証言は他にも、幾つも残されています。
[3] 加害者自身が認めて居る
戦争末期の炭鉱に居たのは朝鮮人労務者だけでは無い。連合軍の捕虜や中国人も強制労働させられて居た。当然、両者からもこの問題を追及されて居る。右は朝日新聞の2015年7月24日付け記事です。
『戦時中に日本に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者らが三菱マテリアル(旧三菱鉱業)等に損害賠償を求めて居た問題で、同社が「使用者としての歴史的責任」を認めて謝罪し、一人10万元(約200万円)を支払う等、訴訟外で和解する条件を示して居る事が中国側の複数の関係者の話で判った』
『元労働者側は…一つのグループを除く全てのグループが、こうした和解条件を基本的に受け入れて居る』。
この1年後、2016年6月1日に三菱マテリアルは「中国人元労働者との和解に付いて」と云うプレスリリースを発表し、「第二次世界大戦中に中国人元労働者(以下、元労働者)が当社の前身である旧三菱鉱業株式会社(以下、旧三菱鉱業)の事務所において労働を強いられた事に付いて、3名の元労働者の方々と和解致しました。…歴史的責任に対し真摯かつ誠実な謝罪の意を表明」
と述べて居る。このプレスリリースに挙げられた対象の砿山に、端島炭鉱も入って居る。この10日程前には、連合軍捕虜に謝罪すると云う報道が為されて居る。捕虜の場合は強制が自明として、中国人に付いて認めた以上、朝鮮人だけは強制労働で無かったと強弁し続けるのは無理。朝鮮人に強制する必要が無い様な環境なら中国人に強制する動機の説明が付か無いからです。
余談:245人居る!
現在の在日コリアンの方々の市民権に付いて、「先祖が強制連行された人達だから市民権を認めるべきだ」と主張して居る人が居るのか居無いのか私は存じ上げませんが、そう主張するのは許せ無いとの趣旨とおぼしき書き物は時々見掛けます。
在日コリアンの方々の市民権問題は、ご先祖の強制連行云々には関係無いと云うのが私の理解です。そうでは無く、過つて日本国籍と扱われた状況の下に日本国内に生活基盤を築き、日本国内の日本語環境の中で子孫をもうけた故に故国への帰還が困難に為った人達なのに、敗戦の後一方的に日本国籍を取り上げ、故に我が国では国籍とセットに為って居る市民権迄剥奪した事が問題なのだと私は考えます。一言で言うなら、一度日本人扱いした責任を取るべしと云う事です。在日台湾人に付いても全く同様です。
在日コリアンの大半が2世、3世以降に為った今日に於いては尚更です。日本生まれ日本育ちなのに親の国籍を理由に満足な市民権を享受出来無いのは、私から見れば門地による差別です。
そう云う訳で、現在の在日コリアンの方々の何%の先祖が強制連行で日本に来たのか私は余り興味がありませんが、これは余りにヒドイだろうと云う話が目に入ったので一言して置きます。
外務省が1959年7月11日付で発表した文書で、当時の在日コリアン約61万人の「外国人登録原票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者として来たものは245人に過ぎ無い事が明らかになつた」と遣らかしています。これを近年穿り返して何かのエビデンスに用いようとした国会議員が居るようです。
そもそも徴用だけ数えて官斡旋の分を無視して居る時点で可笑しいのですが、徴用開始後だけでも推定20万人オーダー vs. 245人で、残留率は0.1%近辺にしか為らず余りに不自然ですので一寸確かめてみましょう。
外務省(当時)は「外国人登録原票について…渡来の事情を調査した」と言っています。当時有効だった外国人登録法の第4条によれば、外国人登録原票に記載される情報は次の通りです。一体どの項目を見れば「戦時中の徴用で日本に来た」と判るのでしょうか?
一 登録番号
二 登録の年月日
三 氏名
四 出生の年月日
五 男女の別
六 国籍
七 国籍の属する国に於ける住所又は居所
八 出生地
九 職業
十 上陸した出入国港(出入国管理令に定める出入国港を云う。以下同じ。)
十一 旅券番号
十二 旅券発行の年月日
十三 上陸許可の年月日
十四 在留資格(出入国管理令に定める在留資格をいう。)
十五 在留期間(出入国管理令に定める在留期間をいう。)
十六 居住地の地番
十七 世帯主の氏名
十八 世帯主との続柄
十九 勤務所又は事務所の名称及び所在地
二十 市町村名及び作成の年月日
在留資格を見ても判りません。精々、1945年9月2日以前に来日したか如何か程度が判るだけ。上陸許可の日付でしょうか?国民動員計画とほぼ同時期の1939年9月1日〜1945年8月15日に来日し定住して居た人は、当の外務省発表で35,016人居ます。245人の100倍以上。終戦前からの在留者388,359人から日本出生者、来日時期不明を引いた143,012人に対して24%を占めます。この外務省発表はこんな事も言って居ます(太字は引用者)。
「1939年末現在日本内地に居住して居た朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達して居た。そして、この間に増加した約100万人の内、約70万人は自から内地に職を求めて来た個別渡航と出生に依る自然増加に依るのであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等に依る募集に応じて自由契約に基付き内地に渡来したものであり…」
この様に基本的な所で明らかな間違いを犯して居る資料は、数字の出し方も信頼出来無いと判断するのが賢明。この発表は当時から問題視され、新聞に掲載された翌日の7月14日には早くも朝鮮総連の反論が新聞に出て居る。動員先の一つだった宇部炭鉱の地元「山口県宇部地区だけでも、強制徴用残留者は245人居る」との指摘はナカナカ示唆に富んで居る。
他、朴慶植氏が体験者への聞き取り調査によって『朝鮮人強制連行の記録』を著す大きな切っ掛けに為る等、この外務省文書は強制連行問題の掘り起こしに火を点け多くの反証を招いたとは言えるかも知れませんが、後年の調査研究に対して反証し得る文書と考えるのは論理的順序が逆な様です。
以上
長い文章に為ってしまい申し訳ありません。具体的な資料を揃えてのレポートですので何となく理解できた感じがします。有難うございました。皆さんがどの様に考えるか、そしてどの様にしたいのか・・・投稿出来たらお願いします、待っております・・・
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