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2018年06月15日

物部氏とは 過つて日本国を治めて居た出雲王朝の末裔である


 物部氏とは、過つて日本国を治めて居た出雲王朝の末裔である


 出雲と物部氏


 「日本神話」によれば「出雲」は天上から天降ってヤマタノオロチを倒したスサノオに始まるとされて居ます。そして、オオナムチ(大国主)に主権が移され、オオナムチスクナヒコナオオモノヌシによって本格的な国造りが成され(国づくり神話)、高天原の神々と争った結果(葦原中国平定)アマテラスの子孫のニニギに国が譲られます(国譲り神話)。尚、このニニギの子孫が後のヤマト王権へと続いて行きます。

 出雲神話について

 スサノオの追放から国譲りまでの神話については下記のリンクを参照して下さい。

 ・スサノオのヤマタノオロチ退治(古事記版)
 ・因幡の白兎/大国主の根の国訪問(古事記版)
 ・大国主の国づくり/葦原中国平定(古事記版)


 この神話における歴史を考古学的に紐解くと、古代日本では紀元前から紀元後300年辺りまで「勾玉(マガタマ)」を中心とする「鏡・玉・剣」の文化があったのにも関わらず、300年以降はその文化がパッタリと無くなり、その代わりに「馬具」や「王冠」等の文化に変わって行ったことが明らかと為っています。
 この変わり目とされる4世紀の事は未だに明らかにされて居ない為「空白の4世紀」等と呼ばれており、それに伴って大陸から渡って来た騎馬民族により古代日本は征服されたとする「騎馬民族征服王朝説」などが唱えられています。
 しかし「日本神話」には、上記の通り出雲の神々によって国作りが 為されて、それを高天原の神々(後のヤマト)に譲ったとあり、これは「出雲王朝」と「ヤマト王権」が争って出雲が負けたとも言い換える事が出来ます。

 これに付いては、今までは出雲に王朝があった証拠など無く只のおとぎ話であるとして片づけられて居ましたが、近年、出雲の荒神谷遺跡から大量の銅剣や銅鐸が発見された事から、考古学的な物証が裏付けられた為、出雲王朝の存在は軽視出来なく為りました。
 叉、北は東北から南は九州に至る迄、全国の遺跡から勾玉が発掘されて居る事から、出雲王朝は「鏡・玉・剣」の文化を以って、北海道、沖縄を除く全国を支配して居たと云う事が言えます。
 
 サテ、その出雲王朝と物部氏の関係ですが、物部氏は「饒速日尊(にぎはやひ)」を始祖とする氏族であるとされて居ます。このニギハヤヒは「日本神話」に於ける神武東征の際に突然名前が登場し、後の初代天皇と為るイワレビコの敵として描かれて居ます。その為詳しい出自については諸説あり未だに議論されて居ます。
 ニギハヤヒは多くの別名を持つ事でも知られて居り、神社によっては「天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと>」と云う名前で祀られて居ます。この名前には「アマテラス」や「ホアカリ」等別の神とされる名前も含まれて居る事から、これらは神としての役割を表す世襲名では無いかとも取れます。
 叉、これ等を包括する名を持つニギハヤヒは、ヤマト王権以前の日本国に於いて最も尊い神であったとされて居たのではないかとも取れます。

 尚、このニギハヤヒの出自については諸説あります

 『先代旧事本紀』によれば、オシホミミとタクハタチヂヒメの子であり、ニニギの兄に当たるとされニニギ以前に天降って地上を平定したものの、子のウマシマジを儲けた後に亡く為ってしまったと記されています。
 一方、第73世武内宿禰を自称する竹内睦泰氏によれば、スサノオとカムオオイチヒメの子である「大年神(おおとしのかみ)」がニギハヤヒであり、現在は奈良県桜井市の三輪山(大神神社)に祀られていると云う事だそうです。

 大神神社の主祭神と言えば大物主(オオモノヌシ)であり「国づくり神話」によれば、

 「大国主(オオクニヌシ)はスクナヒコナと国作りを行っていたが、スクナヒコナは途中で常世国に帰ってしまった。一人に為った大国主が国づくりに付いて悩んでいると、彼方から海を照らして遣って来る神がおり、その神は大国主に自分を三輪山に丁重に祀るのであれば国作りに協力しようと言った。大国主は その神の言う通りに三輪山に丁寧に祀ると、国は見事に治まった」
 
 とされています。尚『古事記』において「国づくり神話」の後直ぐに大年神の系譜が説明されるのですが、「大物主=大年神」である為らばその流れにも納得がいきます。

 大物主(オオモノヌシ)と大国主(オオクニヌシ)

 よって「国づくり神話」における主要な神の一柱に「大物主」こと「ニギハヤヒ」が居り、そのニギハヤヒは「鏡・玉・剣」の文化を以って日本国を統治した出雲王朝の神でもあると云うと云う事に為ります。尚、上記の事をまとめると、物部氏の始祖であるニギハヤヒの出自は以下のようになります。

 1.オシホミミとタクハタチヂヒメ(オモイカネの妹)の子(『旧事紀』による)
 2.スサノオとカムオオイチヒメ(オオヤマツミの子)の子の大年神であり大物主である(竹内睦泰氏による)

 これ等は出自が異なる為、その信憑性について考えさせられますが、その血統はとどのつまりスサノオに帰結します。

 素戔嗚尊(スサノオ)

 スサノオが天降って最初に辿り着いたのは島根県です。その島根県では石見(西部)・出雲(東部)問わずスサノオを尊崇して居り、アマテラスを祀る神社や知名度は比較的少ない傾向にあります。叉、スサノオを主祭神とする神社やスサノオに纏わる地名なども多いです。
 よって、スサノオは最初に島根県から国家を造り始め、後のオオナムチ(大国主)の時代に出雲王朝と云う大王朝に迄成長したものと考えられます。そして、大年神ことニギハヤヒが出雲から出て大和の三輪山に拠点を置き、そこから畿内を平定した事で出雲王朝が初めて日本国を治めたと推測出来ます。

 その後、アマテラスの子孫であるヤマト王権が日本国の主権を主張して出雲王権と争ったと云う事でしょう。そして、出雲王朝が敗北して国譲りが行われた後、先ずはニニギが九州に君臨し、後にその子孫であるイワレビコ(神武天皇)が九州から大和に東征した際、ニギハヤヒからイワレビコに主権が譲渡され、その際にニギハヤヒの臣下が物部氏と為ってヤマト王権に仕えたと云う事なのだと思われます。

 上記の事から、物部氏はスサノオから続くニギハヤヒの臣下であった者達であり、その源流は出雲王朝にあると言えます。よって「物部氏とは、過つて日本国を治めて居た出雲王朝の末裔である」と言い換える事が出来るでしょう。

 以上
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