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2018年05月20日

明治維新と大東亜戦争 その1


 明治維新と大東亜戦争 その1

 誰も教えて呉れ無かった!明治維新と大東亜戦争の繋がり 

 原田 伊織  作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年京都生まれ。
近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れを汲む高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新と云う過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣達』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
 ・・・から引用しています

      ghq1.jpg

GHQとは何か?

 そもそもGHQとは、日本が受諾したポツダム宣言を執行する為に設置された連合国の機関である。では、無条件降伏した日本を管理する最高意思決定機関は何処か、それは「極東委員会」である。
「極東委員会」は、アメリカ・イギリス・ソビエト連邦・中華民国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・フランス・オランダ・イギリス領インド・アメリカ領フィリピンの十一ヵ国で構成された。後に、ビルマ(今のミャンマー)とパキスタンが加わり十三ヵ国と為った。この時点で、インドはイギリス領、フィリピンはアメリカ領の共に隷属国家として参加して居る事を知って置く必要があるだろう。

 この極東委員会とGHQの関係は、極東委員会が決定した対日占領政策を実際に執行する機関がGHQであると云う、言わば上下の関係にある。組織である以上明確に上下が存在し無ければ可笑しい。処が、これは単なる「形式」であって実際にはGHQが極東委員会に従った事は先ず無い。この事は、極東委員会の顔ブレを観るだけで理解出来るだろう。
 実質的に日本の占領を全て執行したのはGHQであった。その最高責任者がアメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥であった。歴史と云う時間軸の上では遂数日前の出来事である。マッカーサーは昭和20(1945)年八月十四日に連合国軍最高司令官(SCAP)に就任し、日本の占領施策を全面的に指揮したのである。

     ghq3.jpg

 これも平時の感覚からすれば可笑しな話で、極東委員会の下部組織で在る筈のGHQのボスは、連合国軍最高司令官であったのだ。現に、マッカーサーの前任者は誰であったかと言えば「史上最大の作戦」としてお馴染みの「ノルマンディー上陸作戦」を指揮したアイゼンハワーである。
 結局、戦争とは「勝てば官軍」であって、どんな組織で誰に何を遣らせるかと言った事柄も勝者の理屈と事情で行われるものだ。勿論、この様な米軍による日本占領下で行われた事柄も、私に取っては検証の対象である事は云うまでも無い。かくして、敗戦後の日本を統治したのは実質的に米軍であり、統治の最高権力者はマッカーサーであった。

 奇妙な事に、日本人自身に日本が敗戦によって独立を失い米軍に占領されて居たと云う意識が殆ど存在しない。若者の中にはその事実を全く知ら無い者すら珍しく無い。この事が占領軍教育の成果であると言っても好いだろう。
 敗戦を「終戦」等と云う言葉に置き換えて事実を正視せず、占領軍を「進駐軍」等と云って刺激を和(やわ)らげ様とする等、占領された日本側も米軍に媚(こ)び諂(へつら)ったのである。

     ghq2.jpg

            東京裁判

 明治維新と官軍教育

 思えば、明治維新と言われるあの時には矢張り卑しい程の欧米崇拝に狂奔し、大東亜戦争敗戦によって占領されたその後は再びアメリカ至上主義が社会をリードすると云う具合で、占領下で幼少期を過ごした私等は、検証され無いままの「官軍教育」と矢張り検証された事の無い占領軍教育とその派生でもある左翼教育に振り回されて異常な教育を受けて育ったのである。
 ホンの一例を挙げれば「道」の着くものは全て軍国主義に繋(つな)がると云う乱暴な理屈で、華道・茶道迄白眼視され、学校教育では柔道・剣道・書道等は全て禁止されたのである。他国の民族文化等に余り興味も知識も持たぬGHQは「道」と云う文字の付くものは全て「国家神道(しんとう)」に繋がるものであると誤解して居たのであろう。

 又、地域と時期によって大きな差はあるものの、日の丸を堂々と掲揚出来無かった事は占領された民族としては当然であった。事の序(ついで)に余談として述べて置くが、アメリカに占領されて居た七年間に米兵に殺された日本人は、調達庁の資料を調査した高山正之氏によれば約二千五百名である。そして、米兵に強姦された日本女性は二万人強とされ、米兵が強姦して居る現場で日本の警察官が見張り役をして居たと云う事例は数多く伝えられて居る。
 これ等米兵の犯罪や非行は、GHQの厳しい「検閲指針」によって新聞やラジオは一切文字にも言葉にも出来無かったのである。

 この「検閲指針」に違反すると米軍の軍事裁判に架けられ「三年乃至(ないし)五年の沖縄に於ける強制労働」を課される事に為って居たのだ。勿論、違反して居るかどうかを判断するのはGHQである。逆にGHQは、新聞やラジオに戦時中に日本軍が如何に残虐な行為を行ったかを繰り返し報道させた。
 この事が、戦後日本人に拭い去れ無い贖罪(しょくざい)意識を植え付け、自虐史観と言われる歴史認識を定着させた事は否定出来無いであろう。
 日本の敗戦直後に副総理格で無任所国務大臣と為った近衛文麿は、玉音放送から十一日後に早くも「特殊慰安施設協会」を設置して居る。この協会は日本各地に「慰安所」を設置した。慰安所とは、平たく言えば米兵の為の“売春宿”である。言わば、敗戦国ではあったが国立の売春宿であったのだ。

 GHQの占領政策をアカデミックに論じる事は盛んに行われて来たが、その種の論だけでは、敗戦・占領下の実態は判ら無い。敵国に占領されると云う事はこう云う事なのだ。


 その2につづく



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