2018年09月20日
一緒に学ぼう世界史のポイント 80 《ナポレオン 3》
世界史講義録より
一緒に学ぼう世界史のポイント 80 《ナポレオン 3》
ナポレオン3
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ナポレオンのフランス軍の強さ
ナポレオンの率いるフランス軍が何故圧倒的に強かったのか。瞬く間にヨーロッパ全域を支配下に置いた強さの原因を整理して置きます。
まず、一番大きな原因はフランス兵の士気の高さです。士気と云うのは「やる気」です。兵士一人ひとりが戦う自覚を持っていた。何故かというと守りたいものがあったからです。それは、抽象的に云えば「革命の成果」具体的には「土地」です。
フランス革命によって封建制度が無くなったフランスでは、ジャコバン派の政策などによって亡命貴族の領地が政府に没収され多くの農民達がこれを手に入れた。フランスが対仏大同盟に負けると云う事は、フランスに王政が復活し亡命貴族達が戻って来て、折角手に入れた土地が取り上げられると云う事です。
革命によって手に入れた土地と自由を失いたく無い、と云うのがフランス人の気持ちであり兵士の気持ちです。例え自分が戦場で命を落としても我が家の土地を守れるのだと思えば必死に戦います。これがフランス軍が強かった最大の理由。だから、例えナポレオンが登場し無くてもフランス軍は強かったと云える。
付け加えれば、当時のフランスはロシアを除いて最大の人口がある。当然兵士の数も多いので強くて当たり前です。
では、他の国はどうだったか。フランス以外の兵士は全然戦う意欲はありません。金で雇われた傭兵であったり、プロイセンのように農民が無理矢理兵隊にされていたりで、戦争の意義を理解し自分の意志で戦っている訳では無い。その差は歴然としている。だから、ヴァルミーの戦いでは、フランス義勇軍の雄叫びを聞いただけでプロイセン軍は恐れを為して退却しています。
二つ目の理由として、以前にも触れましたがフランス軍には、被占領地の被征服地の民衆の協力があったこと。「敵領の民衆を圧政から解放しよう。我々は革命軍なのだ」と言ったように、ナポレオンは自由・平等の旗を掲げて戦争を行う。
敵国に行っても、敵はその国の支配者階級である封建領主や貴族であって民衆は味方だったのです。イタリアでナポレオンが歓迎された様に、各地の民衆、詰まり平民階級はナポレオンの軍隊が自分の国に攻めて来て封建制度を打ち倒すことを期待しました。これで、戦争に勝て無い訳がない。
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン
有名な例として、ベートーヴェンの話をして置きましょう。「運命」や「歓びのうた」を作曲したあのベートーヴェンです。丁度ベートーヴェンはナポレオンと同じ時代を生きた人です。生まれたのはドイツのボン1770年です。家は、お爺さんの代から続く音楽家一家ですが、身分は平民。幼い頃から天才振りを発揮してやがてオーストリアの都ウィーンに出て演奏家・作曲家として活躍します。
ウィーンは今でも音楽の都と言われる位音楽活動の盛んな処ですが、どうしてそう為ったかと言うと、過つてオーストリアの貴族達が音楽を愛好して音楽家達のパトロンに為って居たからです。
当時の一流の音楽家は、貴族の為に演奏したり作曲して生活していたのです。例えば、ウィーンに出て来たベートーヴェンは初めハイドンの弟子に為りますが、このハイドンはハンガリーの大貴族エステルハージ侯爵家の宮廷楽団長だった人です。音楽家は皆、そう遣って暮らしていた。
だから、言い方は悪いけれど、音楽家は貴族にお愛想して気に入って貰えなければ成功出来ない。ベートーヴェンが本当に弟子入りしたかったのはモーツァルトだったんですが、モーツァルトは奇行が多くて、貴族社会に受け入れられず極貧の中で死んでいます。ベートーヴェンがウィーンに来る直前のことでした。
自分の才能に自信のあるベートーヴェンは、貴族にヘイコラするのが嫌で嫌で堪らない。彼はこんな言葉を残しています。
「侯爵なんか偶然の生まれによるもので何千人と居るが、ベートーヴェンは才能によってこの世にただ一人」
見方によっては何とも傲慢な言い方です。しかも、彼はこのセリフを自分を援助している貴族の前で言ったらしい。言われた貴族は「ハハハ」と笑って聞き流した。モーツァルトが、貴族社会から嫌われて死んで行ったのにこんなことを言うベートーヴェンが許されたのは何故か。
一つは、ベートーヴェンのこう云う傲慢な振る舞いが貴族達から面白がられていたと云う事です。才能が認められて居たことは確かですが人間としては「物笑いの種」として受け入れられて居たのではないか。ベートーヴェンを崇拝する人には怒られそうですが、私はそんな感じを持っています。
もうひとつの理由として、これが重要なんですが、オーストリアの貴族達も時代の変化を感じ始めて居る。フランスで平民たちが革命を起こしたようにオーストリアでも革命が起きるかも知れない。だから、貴族階級だからと云って平民を以前のように一方的に見下して邪険に扱っては為らない。特に、ベートーヴェンのように才能のある平民は。こう云う意識が生まれ始めている。モーツァルトとベートーヴェンの運命の違いはこの時代の変化にあったのでしょう。
ハイドン-フランツ・ヨーゼフ
ちなみにベートーヴェンの先生のハイドンは、晩年はイギリスに渡り演奏活動をして大成功を収めます。イギリスでは市民が入場料を払って演奏会を聞きに来る時代が訪れ始めており、ハイドンは貴族社会の援助無しに自立した最初の音楽家と為ったのです。
ベートーヴェンが活躍した時代は、ヨーロッパが貴族社会から市民社会へと大きく変化する、まさに変わり目だったのです。
先ほどのセリフでわかるように、ベートーヴェンは当然、貴族社会なんか早く潰れてしまえば好いと思っています。だから、ナポレオンが占領地の封建制度を打ち壊して行くのを見て物凄く期待する。早くウィーンも占領して呉れないかと云うのがベートーヴェンの本音です。
ナポレオンに心酔するベートーヴェンは彼をテーマに交響曲を作曲します。題名は「ボナパルト」 この曲が丁度完成した時にウィーンにいるベートーヴェンの元にニュースが届く。ナポレオンが皇帝に即位したと云うのです。それを聞いて、ベートーヴェンは激怒します。本心から貴族社会を否定する人間が、皇帝と云う特別の身分に就く筈がありません。
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ベートーヴェンは、ナポレオンに騙されていたのだと悟った「あの男も俗物だった!」と叫んで、机の引き出しから完成したばかりの楽譜を取り出して、題名の「ボナパルト」と書いてあるところをグワーッとペンで塗り潰した。それでも、気持ちが収まら無いので塗り潰した表紙を、引き千切ってクシャクシャと丸めてゴミ箱に放り込んだ。
何故そんなことが判るかというと、後で弟子がゴミ箱から表紙を拾って取って置いたのです。それから、残された楽譜の最初のページには、表紙の題名を消した時のペンの跡が残っている。余程の強い筆圧でかき消したのでしょう。
幸いにして、楽譜そのものは捨てられずに済んだので、我々はこの曲を聴く事が出来ます。ベートーヴェンが着け直した題名は「一偉人の追憶を称える為の英雄交響曲」普通には、交響曲第三番「英雄」と呼ばれて居ます。
UT動画
出だしの部分だけ少し聞いてみましょう。最初にフォルテでドン・ドンと鳴ります。私は、自由と平等の旗を掲げてウィーンに近づいて来るナポレオンの足音のように感じるのですがどうでしょうか。
実際に、後にナポレオンがウィーンまで攻め込んで来ます。フランス軍がウィーンに撃ち込む砲撃の音がドカンドカンと響く。その時、城壁の傍にある弟の家に逃げ込んで居たベートーヴェンは、枕で頭を抱えて怒鳴り続けた。「ナポレオンの馬鹿野郎、俺の耳が壊れるじゃないか!」この時既にベートーヴェンの耳はかなり悪く為って居たのです。思想的にも自分の耳にとっても、ナポレオンはベートーヴェンには許し難い人物に為ってしまったのですね。
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話が大分逸れてしまいましたが、当初はヨーロッパ中の平民階級、詰まりは一般の民衆が、ベートーヴェンと同じようにナポレオンを応援していたと云う事です。
ナポレオンの強さの理由の三つ目。やはりナポレオンの戦術の上手さを挙げなければならないでしょう。但し、これも士気の高いフランス兵だから出来た部分はある。先ず、ナポレオンは軍の機動力を重視します、スピードです。常に敵軍よりも早く行軍し戦場に到着する。敵軍が結集する前に攻撃を加える。
例えば、フランス軍4万ロシア軍6万の兵力で戦闘があるとします。兵力ではフランスが劣る。しかし、ロシアは6万と云っても予定戦場に一度に6万人の兵士が到着する訳では無い。今のように幅の広い舗装道路があるわけではないですから、軍隊は部隊ごとに多くのルートにわかれて徐々に終結します。フランス軍は、ロシア軍が終結するより早く行軍を完了し、未だ敵軍が分散している時に攻撃を仕掛ける。そうすれば、数的な劣勢は充分に補う事が出来るのです。
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では、フランス軍は何故早く移動出来るのか。簡単です、兵士が走るのです。フランス兵は遣る気がありますから一所懸命走る。フランス兵のこんな言葉が残されています「皇帝は我々の足で勝利を稼いだ」
また、フランス軍は夜や雨の中でも行軍出来る、他国の軍隊は出来ません。夜間行軍をすれば兵士は逃げて居なくなる。雨では、サボって動こうとし無い。それから、フランス軍は荷物が少ない、軽装備です。だから走れる。何故軽装かというと、現地で必要な物資を調達出来るからです。理由は何度も説明しましたね。敵地の民衆の協力があるからです。ロシア軍やオーストリア軍のように何ヶ月分かの食糧を荷車に積んで、ゴロゴロ引っ張って行く必要がないのです。
こうして機動力を発揮して、兵力の集中・中央突破・各個撃破で勝利を収める。更に、戦術の特徴として、歩兵・騎兵・砲兵を有機的に結合させたと云われます。詰まり砲兵を上手に使ったと云う事ですね。
また、ナポレオンは追撃戦も得意です。会戦でフランス軍が勝てば敗れた敵軍は退却します。これは当然。さて、ナポレオン以前の戦争では、敵が退却したらそれで戦いは終りです。処が、ナポレオンは退却する敵を追撃して徹底的に打ち負かす。
ナポレオン以前は何故追撃しなかったというと、戦争と云っても戦っているのは封建領主同士や貴族同士です。偶々、属している国が違うだけで身分としては仲間同士。だから、勝敗がつきさえすれば深追いしてそれ以上のダメージを与えることはしなかった。しかし、ナポレオンのフランス軍は、封建領主の軍隊ではないからお目こぼしはしない。完璧な勝利を追求します。
又、追撃命令を出すと、部隊は散開して指揮官の目が届か無くなる。封建領主の軍隊では兵士は逃げたりサボったりするので、したくても追撃を命令出来なかった。しかし、フランス兵は自覚を持って戦うから大丈夫。結局は、フランス兵の士気の高さに行き着きますね。
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最後に、伝説に属することかも知れませんがナポレオンのカリスマ性。これが、フランス兵を奮い立たせたという。同時代人の証言を紹介しておきましょう。
「彼が戦場に姿を現せば兵士4万人分に値する」(英・ウエリントン将軍)
「我々は一種の光芒に包まれて進軍して居る様な感じだった。私は50年後の今でさえ、その温もりを感じることが出来る」(仏・マルモン元帥)
「望みを叶え様とする時のナポレオンの声には強烈な説得力と魔力があり相手をその気にさせ、自分の欲望道理に事を運ぶことにかけては、どんな手練れの女性も適わなかった」(ナポレオンの侍従長コーランクール)
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没落の始まり
1810年前後がナポレオンの絶頂期ですが、やがてナポレオンの大陸支配が個人的栄光とフランス産業の利益の為だと云う事がハッキリする。ベートーヴェンがナポレオンを見限ったように、初めは封建制度を打ち倒すフランス軍を歓迎していた諸国民も、ナポレオンの支配に抵抗を始めます。
自由・平等と言っている癖に、フランスとの関係では自由も平等も無いではないかと云う事です。ナポレオンが自由・平等と云う考えを広めた結果、皮肉なことに各国で民族意識が高まって来たのです。特に、諸国の反感を買ったのは大陸封鎖令です。ヨーロッパ諸国は一番産業の発展しているイギリスに原材料や食糧を輸出して経済が成り立っていた。それを禁止したのですから反発は当然です。
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最初にフランスの支配に抵抗を始めたのはスペインです。ここでは、1808年からフランスに対する反乱が始まっている。ナポレオンの兄がスペイン国王に為って居ますから、反乱を起こしたのはスペイン軍では無い。一般の市民たちが抵抗闘争を始めたのです。今で云えばゲリラ戦です。
ナポレオンは反乱鎮圧の為に最終的には30万の軍隊を投入しますが成果は上がら無い。正規軍と決戦をすればフランス軍は無敵ですが、スペイン人ゲリラは何処にいるか分から無い。フランス軍の隙を突いて襲ってくる。そもそもゲリラと、そうで無い市民との区別も着きません。フランス軍は報復の為に怪しいと思った人たちをどんどん処刑して行くしかない。
ゴヤ 1808年5月3日の処刑
ゴヤが描いた「1808年5月3日の処刑」と云う絵があります。マドリード市民の反乱が題材で、僧侶も含めて一般市民をフランス軍が銃殺して居る処です。ゴヤはフランス軍の暴虐を告発する為にこの絵を描いた。中央で白いシャツを着た男が両手を挙げています。男の右の手のひらを好く見ると穴があいている。
これは聖痕と云って、イエスが磔に為った時に手に釘が打ち付けられたその傷を象徴しています。今、殺されようとしているこの男の側にこそ神のご加護がある、そう云うメッセージです。フランス兵達は、やましいので聖痕を持つ男を真面に見ることが出来ません。顔を上げることが出来ず俯いたままで発砲しようとしているのが判りますか。ゴヤがこの絵に込めたメッセージです。
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こうなるとフランス軍は革命軍でも何でも無い。只の侵略軍です。そして、ナポレオンは最後までスペインの反乱を鎮圧することが出来ませんでした。
ナポレオンによって領土が半分に為ってしまったプロイセンは、国を挙げて改革に取り組みます。これをプロイセン改革と云う。プロイセンの指導者たちは真剣に考えた。何故フランス軍に負けたのか、フランス軍との違いは何か?答えは簡単です。プロイセンの兵士はやる気が無い。フランス兵のように兵士としての自覚も戦う意志も無い。
プロイセン兵は強制的に集められた農民でしかも彼等の身分は農奴です。封建領主に経済的にも身分的にも抑圧されている農奴が、封建領主の為に戦おうとする訳が無いのです。それ処か、ナポレオンに負けることを願っているかも知れない。
だとすれば、プロイセンを強くする為には封建制度を無くすしか無い。しかし革命は困る。そこで支配者側が、自分達の権力を手放さ無い様にしながら行ったのがプロイセン改革です。こう云うのを上からの改革という。
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改革のリーダーに為ったのは、シュタインとハルデンベルグと云う二人の大臣です。彼等は農奴制を無くして、農民を自由な身分として解放します。フランス革命のように農民が土地を手に入れる様な徹底的な改革ではありません。一説によると、要約フランス革命前のフランス農民の状態に近づいた位だとも云われていましがそれでも大進歩です。
又、軍制改革を進めました。軍隊内でのリンチや鞭打ち刑を廃止して兵士の待遇を改善する。更に、身分に関係無く能力のある者は将校に抜擢する。シャルンホルストと云うプロイセンの将軍は「兵士は国王の召使いでは無く、国家の市民でなければならない」と言っている。素晴らしいセリフですが、彼が民主的な人だからこんなことを言っているのでは無い。そうしなければフランス軍のように強い軍隊が作れ無いからです。
こうして、プロイセンは短期間のうちに国民皆兵の原則をうち立て、フランス軍に近い国民軍を作り上げることに成功しました。プロイセンの兵士も、一寸は国の為に頑張ろうかという気持ちに為ってくる。こうなるとフランス軍の優位性は揺らいで来ますね。実際に、後のワーテルローの戦いでナポレオンが敗北した時に、決定的な役割を果たしたのがプロイセン軍でした。
またプロイセンでは、哲学者のフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行って民族意識が高まって行きました。
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次に挙げるのは、或るプロイセン人が少年時代の思い出を描いたものです。彼が、未だ子供でベルリンに住んでいた頃、ナポレオンが自分のアパートの前を通った。彼は、英雄が通る!と、無邪気に燥(はしゃ)いで母親に声を掛けたのです。
私「窓のところに来てご覧、ナポレオンが通るよ」
母「私は台所に引っ込んで居るよ。何の罪も無い貧しい国にズカズカ押し入る男なんて見たくも無いよ」(ヴィルヘルム・キューゲルンゲンの想いで) 名も無い庶民のお母ちゃんも、こんな風に考え始める。民族意識の高まりとはこう云う事ね。
そして、ロシアです。フランスから一番遠いロシアは、1810年大陸封鎖令を破ってイギリスとの貿易を再開します。ナポレオンは大陸封鎖令に従うように警告を繰り返しますがロシアは無視する。これを放置しておいてはナポレオンのメンツは丸潰れです。
ロシアに影響されて、他の諸国まで大陸封鎖令を破り出せば、ナポレオンのヨーロッパ支配は崩れ去る恐れがある。1812年5月 ナポレオンは側近たちの反対を押し切りロシア遠征を開始しました。兵力は60万。そして、このロシア遠征がナポレオンの没落の始まりと為ったのです。
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参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたい時は
世界軍事史―人間は何故戦争をするのか 小沢郁郎著。ナポレオン戦争だけでなく、洋の東西を問わず、古代から19世紀に至るまでの、主要な戦争の軍事技術、戦略を、それを生み出した社会制度から言及した隠れた名著。
著者が高校教師だった為か、痒い所に手が届くような教師にとっては「おいしい」本。本当は、誰にも教えたくない私の「ネタ」本。ちょっと高いですが、世界史教師には充分おつりが来ること請け合い。
ベートーヴェン―運命は扉を叩く 日野まどか著。ジュニア向けの本ですが、簡潔にして要を得ており、今回のネタにバッチリ使わせて貰いました。ベートーヴェンが傲慢だったのは、聴覚障害を周囲に悟られまいとした涙ぐましい努力の結果でもある様です。実は、皆気づいているのですが、ベートーヴェンを気遣って知ら無い振りをする。そのあたりの機微やラッパのような巨大な補聴器など、人間ベートーヴェンの息づかいが伝わるようでした。
ナポレオン3 おわり 次のページへ 《ナポレオン4》
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