2018年09月06日
一緒に学ぼう世界史のポイント 60 《ドイツの混迷・三十年戦争》
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ドイツの混迷・三十年戦争
三十年戦争
イギリスやフランスが絶対主義国家として中央集権化を図っている時に、ドイツでは内乱が起きていました。これが三十年戦争(1618〜48)です。三十年間続いたので三十年戦争と云う単純なネーミングです。しかし戦争の中身は複雑でした。殊の発端は宗教対立です。
一寸復習、1555年 神聖ローマ皇帝カール5世はアウグスブルグの宗教和議を出し、ドイツの宗教内乱は一旦は収まりました。アウグスブルグの宗教和議は、新教徒にも信仰の自由を認めるものだったけれども幾つかの問題点があった。
一つは、個人に信仰の自由が与えられ無かったこと。諸侯が選んだ教会をその土地に住む住民は信仰し無ければ為らなかった。だから、信仰の自由は諸侯に取っての自由です。もう一つはカルヴァン派の信仰は認められて居なかったことです。アウグスブルグの宗教和議は中途半端な妥協の産物だった訳です。
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サテ、オーストリアの領地にベーメンと云う土地があった。今のチェコです。ドイツのオーストリア・ハプスブルク家によって支配されていますが、民族はチェク人でドイツ人とは違い宗教改革以前からローマ教会に楯突く処があった。
そしてベーメンの人々は新教を信じていた。従来ベーメン人達は信仰を認められていましたが、1617年に支配者が代わって新教徒に対して弾圧を始めた。これに対してベーメンの新教徒貴族が反乱を起こしたのです。初めはハプスブルク家領内の内乱に過ぎ無かったんですが、他の新教の諸侯がこの内乱に参加してから戦争の規模が大きく為る。ドイツ以外の国も夫々新教や旧教を援助して介入して来たので、収拾の付かないまま30年間続いてしまった。
新教側と旧教側の両陣営を見て置きます。新教側で戦ったのは、ドイツの新教諸侯のデンマーク王クリスチャン4世やスウェーデン王グスタフ・アドルフ。フランスもリシュリューが新教側を応援して戦争に介入します。フランスは旧教の国なので新教側の味方をするのは変なのですが、領土拡大が本当の狙いですからこう云うのもありです。
宗教を理由に各国や諸侯は参戦しますが、ドサクサ紛れに領土拡大を狙っていたと考えて好い。デンマーク王やスウェーデン王が参加した理由もそこにあります。
皇帝軍総司令官ヴァレンシュタイン
旧教側は、神聖ローマ帝国皇帝がその中心です。オーストリアのハプスブルク家でしたね。同じハプスブルク家のスペインも旧教側で参加。旧教側で大活躍したのが皇帝軍総司令官ヴァレンシュタインでした。この人は傭兵隊長。皇帝の支払う巨額の資金で2万以上の傭兵部隊を率いて大活躍します。
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三十年戦争で兵士と為ったのは大部分が傭兵でした。傭兵がドイツの農民など一般民衆に物凄い被害を与えたのです。傭兵はお金で雇われる兵隊です。国を守る為に志願して兵士に為る様な近現代の兵隊とは全然違う。給料さえ払って呉れれば誰にでも雇われるのです。
ヨーロッパの何処かで戦争が起こると、傭兵のグループはそこへ行って自分達の部隊を売り込む。そして、高く雇って呉れる陣営に参加する。三十年戦争の様な長期の戦争になれば、ずーっと引っ切り無しに戦闘が続いて居る訳では無くて、大体大きな合戦が一つあったら暫くは中休みがあります。何故かと云うと、諸侯や皇帝は常に莫大な給与を傭兵たちに払い続けられ無いからです。一つ合戦を遣ったら資金が底を尽くから傭兵を首にします。資金が溜ったら又傭兵を雇って合戦をする、そう云うサイクルで動いています。
傭兵の立場からすると、雇われて給料を貰えている期間より失業状態の時の方が長い。失業中でも食っていかなければ為らない。どうするかと云うと傭兵部隊はドイツの農村を略奪して廻るのです。農民に取っては、戦争があれば重税を課せられ領主はその金で傭兵を雇う。村が戦場に為れば畑が踏み荒らされる。戦争が無い時は失業中の傭兵部隊が何時襲って来るか判らない。傭兵部隊に襲われたら、略奪・暴行・虐殺のやりたい放題に遣られる。
三十年戦争でドイツの人口は1800万から700万に減ったと云う。この多くが傭兵による被害と考えて好い。傭兵にとっては戦争が長引けば長引くほど仕事が続く訳だから、合戦の時も八百長試合もする。勝利の直前に戦闘を中断して雇い主に賃上げを要求したりもしました。兎に角、兵士としては質が悪い。
ブライテンフェルトの戦い
これは「ブライテンフェルトの戦い」(山川出版社・世界史写真集)を描いたものです。1631年、旧教側の軍をグスタフ=アドルフ王率いるスウェーデン軍が破った戦いです。 当時の軍隊の隊形が好くわかって面白い絵です。
この絵で四角形に見える固まりが沢山あるでしょう。これが、当時の部隊です。長い槍を立てて四角い陣形を造って居るので、遠目にはサイコロみたいに見える。一見すると、古代ギリシアの重装歩兵の密集隊形のように見えますが中身は全然違う。ギリシアの重装歩兵は、密集して敵に向かって全速力で駆けて行きますが、このドイツの部隊はゾロゾロとユックリ進軍して走ら無い。何故か。大体百人で一部隊になっていて、四隅に将校、真ん中に隊長が居ます。彼等は諸侯直属の貴族。それ以外の兵士は傭兵かもしくは無理矢理集められた農民兵。遣る気も忠誠心も無い。詰まり、自分の命が本当に危ないと思ったら逃げてしまう。
四隅の将校は部隊の隊形が崩れ無い様に見張って居るのです。目の前に敵が出現しても「突撃!」なんて命令して傭兵を走らせたら何処に走って逃げてしまうか判ら無いから走らせ無い。だから、隊形を崩さずにユックリ進むのです。部隊の真ん中にいる指揮官が四隅の将校に対してどちらに向かって進むのかその都度指示を与えます。
デンマーク王クリスチャン4世
こう云う具合で、実際に敵軍と接触して戦闘が始まるまで四角の隊形は崩しません。戦闘が始まるとどうなるかと云うと、敵も味方も傭兵で命よりも金が欲しいですから真剣に戦わ無い。雇い主の諸侯たちが見て、サボっていると見られ無い程度に遣るだけです。だから、ナカナカ戦争の決着もつか無かったのです。
三十年続いた戦争も要約集結します。戦争に関わったドイツ国内の封建諸侯その他フランスやスペイン等の参加国が集まって、国際会議が開かれて条約が結ばれます。1648年のウェストファリア条約です。
ウェストファリア条約締結国
ウェストファリア条約の内容
1.ドイツ国内の諸侯の独立状態を認める。ドイツは、神聖ローマ帝国皇帝が統治する帝国と云う建前でしたが、現実には統一国家では無く皇帝は名目的なものでした。この実体を認めようと云うのです。これ以後、諸侯の統治する地域は領邦国家と呼ばれ、事実上の国に為ります。諸侯は「領邦主権」を持ってその国を統治するのです。
これまでと同じ様に、神聖ローマ帝国皇帝は居ますが、単なる名誉ある称号に過ぎなくなります。この称号を持つのはハプスブルク家ですが、ハプスブルク家の領邦はオーストリア。ですから、神聖ローマ帝国皇帝が実際に支配しているのはオーストリアとそれに付随する地域だけに為ります。
2.ルター派と共にカルヴァン派にも信仰が認められた。ドイツでの話ですよ。
3.スイス・オランダの独立を正式に承認。スイスもオランダも以前から事実上独立していたのですが、この国際会議の席上で正式にそれが認められたと云う事です。スイスもオランダも元々ハプスブルク家の領地だったのでこの件が取り上げられたのです。
4.フランスがアルザス地方を獲得。アルザス地方は元々ドイツの一部だった地域です。
5.スウェーデンもドイツに領土を拡大。以上です。
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三十年戦争の結果、ドイツはどう変わったか。2点を押さえてください。
1.ドイツの農村や産業が徹底的に荒廃した。
2.イギリスやフランスが中央集権化を進めているのに対して、ドイツは逆に分裂を固定化させた。
ドイツの混迷・三十年戦争 おわり 次のページへ 《プロイセンとオーストリア》
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