2018年09月06日
一緒に学ぼう世界史のポイント 59 《フランスの絶対主義》
一緒に学ぼう世界史のポイント 59 《フランスの絶対主義》
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フランスの絶対主義
ユグノー戦争
フランスでは1562年から1598年までの間は内乱がありました。ユグノー戦争と云う。丁度、ネーデルラント独立戦争やイギリスではエリザベス1世が即位していた時です。ユグノー戦争は宗教戦争です。フランスはカトリックの国ですが、宗教改革の影響で新教、特にカルヴァン派の影響力が強まっていて宗教対立が激しく為ってきた。その結果起きた戦争です。カルヴァン派のことをフランスではユグノーというのです。
ユグノー戦争・サン=バルテルミの虐殺事件
国王を中心とするカトリック勢力とユグノーの諸侯が対立しダラダラと内戦が続きました。細かい経過は必要ないですが、内戦中の事件を一つだけ覚えて置くこと。
サン=バルテルミの虐殺事件(1572)です。国王側と新教側が和解することに為って、王の妹マルグリットがユグノーの指導者ブルボン家のアンリと結婚した。この結婚を祝う為に全国からユグノーの有力者がパリに集まって来たのですが、国王側が彼等を騙し討ちで虐殺したと云う事件です。折角、平和に為るかも知れなかったのに益々内乱は激しく為ってしまった。
サン=バルテルミと云うのは聖人の名前で、虐殺の始まった日がこの聖人の祝日だったので事件名になっています。
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処で、この虐殺事件の影の演出者として悪名高いのが王の母親カトリーヌ=ド=メディシス。イタリアの名門メディチ家出身の女性です。この女性が虐殺事件を起こした訳では無いのですが、イタリア女と云う事で虐殺事件の責任者にされてしまって悪役扱いです。
彼女の名前は非常に細かい処なので覚える必要は無いと思いますが、フランスにはこんな風にイタリアの名門貴族から王妃を迎えることが屡々あった。どう云う事かというと、未だこの時期はイタリアがヨーロッパ文化の先進地域で、産業もフランスより発達していたのですね。だから、フランス王族もイタリア女性に憧れた。カトリーヌ=ド=メディシスの様にイタリアから遣って来た女性によって、フランスの文化は徐々に洗練されて行くのです。
アンリ4世
さて、ユグノー戦争はどう為ったか。戦争がダラダラ続く中で王家ヴァロワ家の血統が絶えてしまって、王の妹マルグリットを妻にして居たブルボン家アンリに王位が巡って来ました 。彼はユグノーのリーダーでしたね。こうして成立したのがブルボン朝。アンリは即位してアンリ4世(位1589〜1610)と為る。この時35歳でした。
処が、フランスの大部分は彼を王と認めませんでした。何故なら、フランス人はカトリックが多数派でユグノーは少数。アンリ4世はユグノーですから、カトリック勢力の強い地域では誰も云う事をきか無い。アンリ4世をフランス王と認めたのは全土の六分の一しか無かったのです。彼は首都パリに入ることも出来なかった。
そこでアンリ4世は裏技を使った。カトリックで無ければフランス王と認められ無いのならカトリックに為ってしまえと云う事でカトリックに改宗してしまった。
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信仰というのは心の奥底の人格と切り離せ無い様なものでしょう。そう簡単に改宗出来るものでは無いと思うのですが、アンリ4世は政治家としての利害に自分の信仰心を従属させた。これは、本心からの改宗ではないと当時も非難されましたが、カトリック側に取って悪い気はしない。取り敢えず、これでカトリック側は彼の味方に付いた。
一方、激怒するのがユグノー勢力です。今まで自分達がリーダーと仰いでいた人物が王に為った途端、敵側の宗教に寝返ったのですから当然許せ無い。王としては、彼等の怒りも鎮めて自分の王権に服属して貰わないと内乱が何時までも続く。
アンリ4世の外出
1598年 この問題を解決する為に王は「ナントの勅令」を発布した。ナントは、王がこの法律を出した町の名前。内容は、カトリックとユグノーの両派に信仰の自由を認めると云うもの。ユグノーでも弾圧しませんよと云う事です。
今の感覚では、信仰の自由なんて当たり前ですが、当時はカトリックの国が国民に違う宗派の信仰を認めると云うのは画期的なことだったのです。スペインやイタリアではカトリック以外を信じていたら火炙りの刑ですからね。信仰の自由が認められてユグノー勢力もアンリ4世を認め、ユグノー戦争は要約終わりました。この内乱でフランスの大諸侯の力が衰えました。その為、アンリ4世に続くブルボン朝の王様達にとって、絶対主義を実現し易い条件が出来上がりました。
ナントの王令
フランスの絶対主義
ルイ13世
アンリ4世を継いだのがルイ13世(位1610〜43)。彼に仕えた宰相がリシュリュー。リシュリューの名前は確りと覚えてください。『三銃士』などで敵役として登場するキャラクターですが、実際のリシュリューはフランスを発展させる為に誠心誠意努力した人物「余の第一の目標は国王の尊厳であり、第二は王国の盛大である」とはリシュリューの言葉。
ドイツで起きた三十年戦争にも介入して、領土を拡大するなど、この時代にフランスはヨーロッパの政治に大きな影響力を持つ様に為ります。
宰相リシュリュー
ルイ14世
次の王がルイ14世(位1643〜1715)。フランス絶対主義を代表する王です。僅か5歳で即位したので、小さい頃は宰相マザランが政治を運営しました。マザランもリシュリューと同じ様にフランス王国と王権の発展を目指した。
宰相ジュール・マザラン
フロンドの乱
王権を強化する為に貴族階級などの既得権を奪おうとした為、貴族が反乱を起こす。これがフロンドの乱(1648〜53)。一時期反乱軍がパリを占領しマザランは幼いルイ14世を連れてパリから逃れた程でしたが、最終的に反乱は鎮圧され結果的に中央集権化が進みました。
1661年、成年に達したルイ14世の親政が始まります。親政というのは、王が自分で政治をすると云う事ですよ。ルイ14世の政治を見て行きましょう。
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経済政策 コルベールと云う人物を大蔵大臣に任命して重商主義政策を展開した。開店休業状態だったフランス東インド会社を再建し海外貿易に乗り出しました。
文化奨励 今の我々がイメージとして思い浮かべるヨーロッパの王侯貴族の暮らしを作り出したのがルイ14世です。宮廷貴族の礼儀作法やファッション等、この時代に確立したものが多い。象徴的なのが、ヴェルサイユ宮殿の造営です。場所はパリから南西約20キロ離れたところ。ここに大規模で豪華な宮殿を建設した。
宮殿には王、貴族、官僚など5000人が住んでいた。そして、宮殿の周囲の付属の建物に兵士や召使いなど1万5000人ほどが住んでいたと云う。宮殿と云うけれど、王が住むだけでは無く政府の機能もここに移したから、新しい都市を建設したと言った方が好い。
ヴェルサイユ宮殿鏡の間
この写真はヴェルサイユ宮殿の中でも有名な鏡の間。幅10メートル奥行き75メートルの大宴会場です。ここに大きなガラスと鏡がずっと並べられて居る訳だ。鏡というのは大きくすればするほど歪みも大きくなる。当時歪みの小さい大きな鏡を作れるのはイタリアの特別なガラス工房しかなかった。一枚の鏡でも非常に高価だったそうで、それを惜しげも無く使っているのが鏡の間のミソ。文字通り夢の世界だったわけ。
こんな宮殿を造営した国王ルイ14世の威光は高まるばかり。ヨーロッパ中の君主の憧れの的。後に、ヴェルサイユ宮殿を真似した宮殿が世界中で造られます。日本の赤坂離宮、今は迎賓館に為って居ますがこれもヴェルサイユ宮殿を真似たものです。フランスの貴族たちは、過つてのように王権に反抗するだけの力は無い。王から年金を貰って暮らしているものもいる。少しでもルイ14世に「お近づきになりたい」と思って居た様です。王あっての貴族なのです。
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ヴェルサイユ宮殿には王以外に貴族達が住んでいたと言いました。貴族は全体としては物凄い人数がいるので、ヴェルサイユ宮殿に住めるのはルイ14世のお気に入りの貴族だけです。ヴェルサイユ宮殿に住めるだけで貴族としての箔が着く。
ルイ14世も、そういう貴族心理を上手く見抜いて、自分をスーパースターとして演出していた。朝起きる時から、着替え、食事、散歩と、全ての王の行動は儀式化されていて、選ばれた貴族たちがその儀式に参加することができる。コップやハンカチを王に渡す役が、貴族たちに割り振られていて、そういう役目を貰ったら名誉なのです。
食事が済んだら朝の散歩ですが、どの貴族が散歩にお供出来るかは王の指名によります。だから、散歩の前には貴族達が宮殿の広間に詰めかける。王はぐるりと貴族たちを見渡して「〇〇公爵、〇〇伯爵・・・・」と、その日の散歩のお供を指名する。指名された貴族たちは、それこそ天にも昇る心持ちで散歩について行く訳です。
こう云う時にルイ14世は、どういう基準で選ぶかというと、豪華でお金の掛かった衣装・装飾を着けている者を選んだ。王のお供をする者はゴージャスで無ければならないのです。だから、王の寵愛を得ようとする為には、借金をしてでもドレスアップをしなければならなかった。ファッションでフランスがヨーロッパ文化の華となるのにはこんな事情があったのです。
但し、こういう空しい贅沢を続けなければならないので、貴族達の経済的な負担は大変でした。多くの貴族は益々政府、と云うのはルイ14世ですが、に頼らなければ経済的に成り立って行かなくなって行った。
ルイ14世の肖像画
序にファッションの話もして置こう。ルイ14世の肖像画、これが、ヨーロッパ最新のファッション。貴族の憧れの的です。ズボンは短くて足にピッタリのタイツを履いています。我々が今履いている様な長ズボンは、下層民の服で貴族は履きません。ヘアースタイルも特徴的。このクシャクシャとした長い髪、これはカツラです。フランスでのカツラの大流行が、やがてヨーロッパ中に広がり、その後正装として定着しました。
モーツアルトやベートーベンの肖像画を見たことあるでしょう。彼等も長髪パーマでしょ。あれもカツラ。彼等はルイ14世の時代から100年以上あとの人たちです。イギリス国会上院の議長は今でもカツラをしている。流石に伝統の国ですね。(ベートーベンのボサボサ頭の肖像画はカツラはつけてい無いそうです。ご指摘ありがとうございました)
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何故、カツラをするように為ったかと云うと、ルイ13世に原因がある。ルイ13世は若禿でした。それで、カツラを被る様になったのですが、王様一人がカツラを被って居ると禿を隠しているのがバレバレなので、取り巻きの貴族たちも同じ様にカツラをするように為った。どうせするなら派手にと云う事でこんな奇抜なカツラが誕生し、ルイ14世時代になるとこれが正装にまで為ったという訳。
因みにルイ13世時代というのは、ユグノー戦争の混乱の余韻が残っていて、宮廷のマナーと云うのは滅茶苦茶だった。これではイカンと考えた貴族の婦人達によって、サロンと云うのが造られて、ここから貴族らしいエチケットやマナー、オシャレな会話が段々と普及する様に為った。
それでも、ルイ13世の頃はマダマダ酷かったらしい。特にルイ13世その人がエチケットとは縁遠い人だった。ルイ13世の成長記録が残っていて、それによると、彼が初めて入浴したのが7歳、顔を洗ったのが9歳だという。ヨーロッパではペストの流行以降、入浴の風習が廃れたんですね。入浴で感染すると考えられたのです。でも、ルイ13世は極端です。全然体を洗わない。当然臭い。
ルイ13世の傍に仕えた女性によると、王に近づくと「腐った肉のような匂い」がしたと云う。堪らんね。王を臭いと言っている女性も、入浴する風習が無いから臭い訳。やっぱり臭いのはイヤです。そこで、体臭を誤魔化す為にフランスで香水が発達した。体臭を誤魔化そうと考えることも、エチケットの観念が普及して来た証拠。
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しかし、ルイ13世自身はそう云うエチケットの観念とは対極にあった人で、気に食わない相手に口の中のモノを吐きかけたり、ズボンを穿いたままジャジャーッとオシッコをして、自分の不快感を表現したと伝えられている。野蛮人ですね。
宮廷のマナーが確立して来るのがルイ14世の時代。洗練された文化の中心としてヴェルサイユがヨーロッパの憧れと為るのですが、それでも、今の我々の感覚で考えると、マダマダ変な風習は沢山ある。
有名なのはヴェルサイユ宮殿のトイレの話。ヴェルサイユ宮殿は住んでいる人の数に較べて、トイレの数が極端に少なかった。何処で用を足すかと云うと、オマルですね。処が、皆がちゃんとオマルで用を足す訳では無い。人の余り通ら無い階段の踊り場などには結構してあったと云う。それから、オマルの中身は何処に捨てるかと云うと、召使いの人たちがオマル抱えて庭園に出て草木の陰にジャバッと捨てる。だから、見た目は綺麗なヴェルサイユ宮殿の庭園も香ばしい匂いが漂っていて、下手に林の中に足を踏み入れると、グチャッということもあった。話が、だいぶ逸れてしまいました。ルイ14世の政治に戻ります。
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ルイ14世は、フランスの領土拡張の為に積極的に外征を行った。南ネーデルラント継承戦争(1667〜68)オランダ侵略戦争(1672〜78)ファルツ継承戦争(1689〜97)。更にスペイン継承戦争(1701〜13)です。スペインのハプスブルク王家が途絶えた後、ルイ14世は自分の孫をスペイン王にしようと考えた。そう為ると将来は両国が合体するかも知れない。ブルボン家が余りにも大きく為り過ぎるのを警戒した周辺諸国がルイ14世の孫の即位に反対する。その結果起きた戦争です。
この戦争は1713年のユトレヒト条約で終結します。この条約で、ルイ14世は自分の孫をスペイン王にする事を列国に認めさせる事が出来ました。但し、将来に渉ってフランスとスペインが合体し無い事を条件として。又、この条約で海外の植民地の多くを失いました。領土と引き換えに反対する国を買収したと云う事です。特にイギリスが北アメリカや地中海に領土を増やして得をしました。
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ルイ14世のフランスは、度重なる戦争で少しばかり領土を拡大しますが、戦争の負担は重税と云う形で国民に伸し掛かった。これが、徐々にフランスの経済を悪化させて行きます。もう一つルイ14世の失政がある。これが、1685年の「ナントの勅令の廃止」です。この結果、信仰の自由を認められ無くなったユグノーは、フランスから逃れてオランダなどに移住した。
ユグノーは豊かな商工業者が多かったから、結果として富裕な市民階級がフランスからゴッソリいなくなってしまった。結局、政府の税収は減るし産業の発展という意味でも大きな損失と為った。
ルイ14世治世の末期には、人口の一割が乞食同様だったと云う記録もある。農民反乱も屡々起こりました。見た目の華やかさの陰で、フランスの政治、経済の矛盾は大きく為っていった。この矛盾が爆発するのが、ルイ14世の次の次の王、ルイ16世の時のフランス革命です(20020226改稿)。
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