2018年09月06日
一緒に学ぼう世界史のポイント 57 《 絶対主義》
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絶対主義
イギリス
イギリスは、ノルマン征服で成立したノルマン朝以来、他のヨーロッパ諸国に比べて、王権が比較的強いと云う伝統がありました。しかも、1455年から三十年間続いたばら戦争で国内の有力な封建諸侯は没落してしまった。しかも、ばら戦争後即位したテューダー朝のヘンリ7世は意欲的に王権の強化に勤めました。
また、この頃から新興市民階級が力を着けてきます。具体的には商人と新興地主層です。イギリスの新興地主層を特に「ジェントリ」と呼びます。地主ですが貴族ではありません。さて、ヘンリ7世の次がヘンリ8世。この王は宗教改革で登場しました。イギリス国教会を始めた王でした。
ヘンリ8世
この頃、16世紀になるとイギリスの農村ではジェントリによる「第一次囲い込み(エンクロージャー)」が盛んになる。囲い込みとは何か。ジェントリ達が、自分の土地を耕している小作人を追い払って広大な農地を柵で囲って文字通り囲い込むのです。小作人を追い払ってその後どうするのかというと、広大な農地に牧草を育てて大量に羊を飼う。そして羊毛を採る。採った羊毛は、これをネーデルラントに輸出するのです。
ネーデルラントは毛織物工業で発展していたと前回も話しましたが、その原料はイギリスが輸出していたわけです。だから、ネーデルラントの発展は、即イギリスの羊毛輸出量の増加、詰まりイギリスの発展に繋がるのです。
エリザベス1世
こう云う流れの中で、16世紀半ばにエリザベス1世が即位し、イギリスの後の大発展の基礎を築きます。これがエリザベス1世の肖像画。好くわかりませんが、多分凄い美人なんでしょう。大きな蛇腹の襟巻きとか、フックラした袖とか、真っ白に塗った化粧とか、ファッションだけでも見ていて飽きない。
即位したのが25歳。美人で独身で、イギリス王ですから、ヨーロッパ各地の王侯貴族からのプロポーズが沢山あった。その中でも、スペインのフェリペ2世は有名。フェリペ2世はエリザベスの姉、メアリと結婚していたと云う話は宗教改革の時にしました。メアリが死んだ後、妹のエリザベスにプロポーズするんですね。政略からですが、それにしても節操が無いというか、統治階級の人にとっては全てが駆け引き大変ですね。
スペインのフェリペ2世
さて、今でこそイギリスは一流国ですが、当時のイギリスはまだまだヨーロッパの中では弱小国です。スペインやフランスの様な大国の狭間で、何とか国家の独立と発展を図ろうと必死な状態。で、エリザベスは、美人で独身という自分の魅力を最大限に発揮して、フェリペ2世のような有力者のプロポーズを受けるような素振りをして、気を持たせてなかなか正式な返事をしない。焦らしてじらして、相手からイギリスに取って有利な条件を引き出そうと、自分の結婚を外交カードとして最大限利用した。
結局エリザベスは生涯誰とも結婚しません。イギリスの国益と云う事を最優先に一生を過ごしました。何故、結婚しないのかと聞かれて、エリザベスは「私は国家と結婚している」と言ったと云う。この言葉に彼女の生涯は象徴されて居る様です。イギリス国民もまたそういう女王を愛しました。「愛すべき女王ベス」なんて呼ばれています。
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さて、エリザベス1世はどんな政治をしたか。先ず、イギリス国教会を確立します。姉がローマ=カトリックでしたから、これをイギリス国教会に戻した。その為の法律が「信仰統一法」(1559)。
次に、ネーデルラント独立戦争を援助する。何故かというと、先ほども述べたようにジェントリが生産した羊毛はネーデルラントに輸出されるのでした。だから、ネーデルラントの平和と発展がそのままイギリスの発展に繋がる。スペインのフェリペ2世はネーデルラントに重税を課し、これに反発してネーデルラント独立戦争が始まる。経営感覚の無いフェリペ2世に統治されるより、独立した方がネーデルラントの発展に繋がる。エリザベス1世がネーデルラントの独立を援助するのはそう云う理由からです。
又、イギリスはスペインと宗教問題でも対立していたから徹底的にスペインの邪魔をします。スペインが困ればネーデルラントは楽になる、イギリスにも利益という理屈です。
有名なのが海賊に与えた私掠特許状。イギリスは海に囲まれた国でしたから海賊が沢山いた。エリザベスはこの海賊に「略奪しても御咎めなし」と云う免許状を与えたのです。これが私掠特許状です。但し、イギリスの商船を襲うことは許されません。スペイン船ならオーケーと云うのです。
イギリスとスペインは戦争している訳では無いから、スペイン船なら襲って好いなんていう理屈は何処にも無い。これは、れっきとした犯罪行為です。今風に言ったらテロ支援国家イギリスです。
海賊の親分で有名なのが、ホーキンズとかドレイクと云う人達です。プリントの挿し絵はエリザベス女王がドレイクを自分の臣下にしている処。膝まづいているドレイクの肩をエリザベスが剣で打っている。これが臣下にする儀式です。只、この絵は後から描かれた想像画のようですが。
女王から許可を貰った海賊たちは大西洋に乗り出して、アメリカ大陸からお宝を満載してスペインに向かう商船を次々と襲ってスペインに多大な損害を与えた。
特にドレイクは1577年から1580年まで世界一周海賊旅行をした。出発前にエリザベス女王や金持ちの貴族達から出資金を集めて出発した。途中で、スペイン商船やスペインの港を襲いながら、西回り航路で地球を一周してしまった。イギリスに帰って来た時には30万ポンドの利益を得ていたと言います。これは、イギリスの当時の国庫収入と同額。エリザベス女王は出資金の4700%の配当金を得たそうです。余談ですが、この時のドレイクの航海はマゼラン艦隊に次いで世界で二番目の世界周航でした。
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初めスペインのフェリペ2世は、エリザベスが海賊に特許状を与えているとは思っていませんから、海賊の取締を要請しますが、エリザベス自身が海賊の総元締めだから効果があるわけ無い。やがて、フェリペ2世もイギリスがしていることに気がつく訳だ。オマケに、イギリスはネーデルラントの独立を支援している。こうなると、スペインとしてはイギリスを放っておけません。
ここで、スペインはイギリス征服作戦を開始した。スペインの誇る無敵艦隊が百三十隻、将兵二万三千人を乗せてイギリスに向けて出撃した。これが、1588年です。スペインは当時ヨーロッパ最強。一方イギリスはと云うと、マダマダ弱小国です。エリザベス女王が海賊にスペイン船を襲わせていたのも、元はと言えば貿易でも戦争でも正面から立ち向かって勝ち目が無いから。だから、ゲリラ戦を遣って居たに過ぎない。そもそも、イギリスには当時海軍すら無かったのです。
このままでは、イギリスはスペインに占領されてしまう。この時に、イギリスの危機を救う為に集結したイギリス海軍、元は私掠特許状を貰った海賊達でした。
アルマダの海戦
これが有名なアルマダの海戦です。ドーヴァー海峡にやって来たスペイン無敵艦隊の戦法は衝角戦法と云う。自分の船を相手の船にブツケテ沈没させる伝統的な戦法です。
これに対してイギリス船は、射程距離の長い大砲を載せていて、これでスペイン艦隊を撃つ。イギリス船は小型の船が多いのですが、これが狭いドーヴァー海峡を動き回って無敵艦隊に攻撃を仕掛けた。無敵艦隊の方はと云うと大きい船が多く、イギリス船に近づく前に大砲で撃たれてしまう。偶々、嵐も重なって操船が上手くいかず大敗北をしてしまいました。その後の海戦にも敗れ、逃げるように大ブリテン島の廻りをグルッと廻ってスペインに帰った。
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結局、艦隊の三分の一が失われた。フェリペ2世はイギリス征服を断念します。この後、スペインはズルズルと、世界史の主役の座から滑り落ちて行きました。
スペインに取って代わって世界の海に乗り出して行ったのが、ネーデルラントとイギリスと云う事になるのです。イギリスは1600年、東インド会社を設立してアジア貿易に乗り出して行きました。エリザベス女王は足かけ46年間在位し、その間に国内の宗教問題を解決し、イギリスの国際的地位を向上させ、経済発展の基礎を固めたのでした。
エリザベス1世の肖像画
この肖像画(山川出版社、世界史写真集のパネル)は多分晩年のものだと思いますが、実に面白い構図です。エリザベスの左右に二枚の絵が飾られている。アルマダの海戦を描いたものです。左が開戦直前。向こうから無敵艦隊が遣って来ています。手前に固まっている船隊がイギリス海軍。実体は海賊船。
右が海戦の最中です。嵐の中で沈んで行く無敵艦隊が描かれています。二枚の絵を後ろに掲げて「私が無敵艦隊をしずめたのです」とエリザベス女王が自慢している声が聞こえて競うです。そして、更に注目が、彼女の右手。地球儀の上に置かれています。「七つの海は私のもの」と言っているようではありませんか。
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絶対主義
スペインのフェリペ2世やイギリスのエリザベス1世の時代は、夫々の国で国王による中央集権化が完成する最後の段階でした。諸侯や貴族たちは既に過つてのような力が無く、国王が比較的自由に国政をリードすることが出来ました。この時代のことを「絶対主義」と言います。国王が、貴族・封建諸侯の権力を制限し絶対的な権力を握ったことからこういう呼び方をしています。
フェリペ2世やエリザベス1世以外にも、この様な王様が何人かいます。エリザベス1世の後を継いだジェームズ1世やフランスのルイ14世が有名です。彼等の話は次回以降にします。取り敢えず、今日は絶対主義という言葉を覚えてください。又、絶対主義の政治を絶対王政、絶対主義の王様を絶対君主とも言います。
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最後に絶対主義の一般的な特徴を三つ述べて置きます。
一、「官僚制」と「常備軍」 絶対君主が権力を振るう為には、王権を支える組織が必要です。それが常備軍と官僚制です。官僚は、従来の貴族や封建領主に代わって国王の手足となって働く。常備軍は、何時もある軍隊です。それまでは、戦争の時にだけ傭兵を雇うのですが、平時にも常に軍隊を養っておいて、これで国内・国外に睨みを利かせる。
二、「重商主義」官僚も常備軍も常に雇って置かなければならない。王は彼等に給料を払わなければならない訳だ。これは金がかかります。金を稼ぐ為に、絶対君主は積極的に海外貿易を推進します。各国が東インド会社を作るのはその為です。海外貿易を行うことによって国が豊かになると云うのが当時の経済理論でこれを「重商主義」という。
三、「王権神授説」 王は、俺が一番偉いのだと威張る。これに反発する者も当然います。過つては王と同格位に力を持っていた封建諸侯、そして新しく力を伸ばしつつある新興市民階級です。
国民の反発に対して、王が絶対に偉いのだと云う事を理論化したのが王権神授説。簡単に言えば、「王の権力は神から授けられたものである、王の言葉は神の言葉に等しい、王に逆らうことは神に逆らうことと同じである。だから、国民は文句を言わずに王に従いなさい」と云う事になる訳です。
ただ、国民もそうそう王権神授説を有難がるわけでは無い。最初に国民が王の権力に対して異議を申し立てたのがエリザベス1世以後のイギリスでした。次回は、その話。
絶対主義 おわり 次のページへ 《イギリスの革命》
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